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顔と身体にフィルターを

ここ最近は、一時期に猛威を奮ったマスク警察は姿を消し、未だにマスクしている奴はバカだ論争もいつのまにか影を潜め、結局のところマスク着用の有無は個人の判断に任せます、という真っ当な社会になってきているのですが、自分は今でもマスクを着けて外出することが多いです。

ただ、例のアレへの対策というより、ある日いきなり急に襲いかかってくる花粉への対策です。

近所の田んぼはだいぶ縮小され、コンクリートの高層マンションがひしめく大阪砂漠においても、新鮮なイネの粉はびゅんびゅん飛んでいるのです。

顔をマスクで覆い、その上にサングラスを掛け、帽子を被り、フードを被り、さらにジャンパーのフードも下ろして完全防御モード。

家から駅までの道には交番がいくつかあり、何度もこの状態で通っているのですが、一度も職務質問されたことがないのが不思議だ。

そして、駅のコンビニの店員にはたぶん、完全防御モードで夜の8時くらいに角ハイボールを買う奴ということで覚えられている。バックヤードで「フード被りすぎやろあいつ……」とか陰口を叩かれているに違いない。

しかし、これがやめられない。顔のプライバシー(?)が保護されているという安心感があるのです。

本当はこの上に更に猫耳とエルフ耳を付けて、鋲だらけの革ジャンを身に纒い、ケモ耳属性のニーズにも応えた完全無欠のロックンローラー
を気取りたいものですが、さすがにそれは情報量が多すぎるような気がするので、現在のスタイルを保っています。

まず、フードをかけることによって、耳が保護されているという状況が精神的に落ち着く。耳栓やイヤホンのように完全に遮断されるわけではないものの、周囲から聞こえる音の量をかなり減らせる。

自分の中での疲れゲージの計り方というのがいくつかあって、そのうちで最もわかりやすいのが、街中の他人の大声をどう感じるか、というものがあります。

気持ちが安定している時、たとえば銭湯の帰り道などではあまり気にならないのですが、疲れている時に他人の大声を聞くとウザく感じてしまうのです。

大声でなくても、早口の喋りが聞こえてもイラッとすることがある。もちろん、普段から声が大きい人だっているし、早口な人だっているし、誰にも悪気がないのは承知しているので、それを咎めることはできないのですが、理性とは別のところで、脳がうんざりしてしまうのです。

あと、これはもっと告白しづらいのですが、2~4歳くらいの子供に特有の「ギャーッ!」という喚き声が、昔からものすごく苦手でして……。

赤ちゃんの夜泣きとかなら、できるだけ早く終わってほしいとは思うもののそこまで苦痛に思わないし、スーパー銭湯のソファーで子供が甲高い声で騒いでいても気にしませんが、あの「ギャーッ」だけは、どうしてもしんどい。

姪っ子がその該当年齢だった頃は、ちょうど例のアレがいちばん流行しており、自粛だの県外の移動はやめろだの政府が言っていた時期なので、ほとんど会っていません。

もっと小さい頃に会った時は、動くお人形さんみたいで、別にもうずっとそのままでもええんやで?と考えていたのですが、それは「ギャーッ」をやられると彼女を嫌いになってしまいそうなのが怖かったのだろうなあ、いま思うと……。

例のアレそのものは私も強く憎んでいますが、姪っ子をかわいいラブリーキュートなだけの姪っ子でいさせてくれていることには感謝しており、また、顔を覆って外出してもあまり表立っては気にされない社会になってきたことも、わりとありがたい。

これから寒い時期になっていくにつれて、自分の身体を覆うためのフィルター(それは一般的には衣類と呼ぶ)をたくさんかけられるので、非常に心強い。

全裸で外を歩くのは法律に反しているが、服を重ねすぎる罪状というものは存在しないので、いくらでも重ねて良いわけで。

しかし、物理的に重ねられる数には限界があり、最高でも5~6枚といったところか。

下着に関してはどうか。そういえば、なんとなくいつも1枚しか重ねていないが、別に重ねてはいけないわけではない。昔の女子小学生は、パンツの上にブルマを穿いていたわけで。

そもそも、上着なら他人に見られるという心配があるが、下着は誰に見られることもない。現時点では下着で勝負を懸ける相手もいませんことですし。

というわけで、ブリーフの上にトランクスを穿いてみ……。おおっ、圧迫感が……圧迫感があああ……(※生々しいので具体的な解説は控えますが、気になる方は試してみてください。結論をいえば、男性はあまりやらないほうが良いです)。

サウナはたのしい。