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演技と驚き◇Wonder of Acting #31

タイトル画像:「芍薬」岩崎灌園『本草図譜』
演技を記憶するマガジン [ July,2022 ]

00.今月の演者役名作品インデックス

左幸子
ムン・ソリ:ミヨン、キム・ソニョン、チョン:ヒスク、チャン・ユンジュ:ミオク『三姉妹』
小栗旬
河合優実:成宮瑤子『PLAN75』
野村周平:大羽紘一『ALIVEHOON アライブフーン』
音楽座ミュージカルの皆さん

01.今月の演技をめぐる言葉

メインコンテンツです。編集人が気付いた「演技についての言葉」を引用・記録しています。※引用先に画像がある場合、本文のみを引用し、リンクを張っています(ポスター・公式サイトトップ・書影など除く)。

阿乱隅氏 @yoiinago417 original >
今日は左幸子さん誕生日。日本映画史上最高の女優の1人。「暖流」「飢餓海峡」「にっぽん昆虫記」…それこそ指先まで神経が張り詰めた如き迫真力。溌剌とした「女中ッ子」、不穏なまでに繊細な「彼女と彼」から凄烈な「軍旗はためく下に」。監督主演作「遠い一本の道」もハイレベルな傑作です。

via Twitter

引用させていただいた皆さん。ありがとうございました †

02.雲水さんの今様歌舞伎旅(ときどき寄り道)

第二十一回:記憶にない舞台のこと~箕山 雲水

今月も寄り道しようとしている。歌舞伎のことを書くつもりで、実はギリギリ公演中止も免れて見てもいるのだが、あまりにも強烈な舞台に出会ってしまい、その印象がどうしても抜けていかない。強烈な、それなのに幻のような、そんな不思議な舞台だった。
子どもの頃、お盆に灯籠がくるくる回るのを親戚の家で見て、懐かしさと美しさと、どこか遠いところと繋がってしまったような気持ちと、そういうものに包まれたことがある。怖いけれど、どこかあたたかく、あちらにいる人たちに励まされているような、表現し難い気持ち。たしかに見たはずなのに、それが現実なのか幻なのかあとから考えるとよくわからない。それと似た感覚だった。音楽座ミュージカル『ラブ・レター』、何年ぶりかの再演作品だ。

少し脱線するが、初演だったか、以前の公演も実は見たことがある。吾郎という浮き草のような主人公の男の物語で、結婚した覚えもないのに妻が死んだと伝えられて遺体を引き取りに行く、そんな話だ。遺体を引き取りに行く間に、その妻(実は偽装結婚をした相手で、結婚したもののすっかり忘れていたらしい)からの手紙を読んだり、知り合いにあって話を聞いたりするうちに、彼女に情が芽生えて…その行動が一緒に遺体を引き取りに行った若者の心を動かして彼は医者になる、というような展開だったと思う。ひねくれポンチなので「そんな綺麗事」と斜めに見ながら、しかしちょうど祖母が亡くなった時期だったこともあり、亡き人たちのことを思い出してたんまり泣きもした。いわゆるドラマを楽しんでいた。

ところが、今回の再演である。そもそも同じ作品だったのだろうか。たしかに吾郎は出てきたし、妻の遺体を引き取りにも行っていた。だから、別の作品かと言われるとそんなこともない。それなのに、全く別の作品だった。言葉では形容し難いほど、元の作品をきちんと引きながらも全く別の作品だった。何よりも、ドラマを楽しんだ記憶がほとんどないのだ。前回は、あれほどドラマを楽しむ作品だったのに。かわりに記憶に残っているのは、冒頭、奇妙奇天烈な格好をした人たちが「ただそれだけのこと」と自分の死因を歌う場面、同じ曲を具体的な衣裳で歌うラストシーン、サトシ(前回は医者になった若者)、それから強烈なメッセージ。あんなに個性的な登場人物が出て(この人がどうと言えないほど、どの隅っこに出ている人もギラギラ生きているし、全員が魅力的)あんなに濃いエピソードが繰り広げられているから、それぞれの場面を覚えていないわけでも、楽しんでいなかったわけでもない。残酷にも見える、警官や医者の場面にすら泣かされたくらいなのだ。そりゃそうだ、生きても死んでも紙に書き込まれるだけなのだ、それでもジタバタ生きる人間たちの、なんと愛しいことか。そんなことを考えながら見終わって、これはとんだ良作に出会ってしまったぞとふっと息をつき…ところで私は何を見たんだ?今、たしかにミュージカルを見た気はする、でも本当にそうなのだろうか。作品を見たことすらあいまいなままに、ただ、今まで生きてくる中で関わった全ての人たちが、顔も見たことがない先祖が、その人たちに関わった人たちが、生きろ、と自分に向かって呼びかけてくる。ああ、今私は主人公・サトシの体験を追体験している…!これはおそろしい作品に出会ってしまった、再演というから油断していた。こんなメタな体験に遭遇することになろうとは。これは本当にミュージカル、なのか???

この数年で、すっかり社会は変わってしまった。希望を持とうにも到底そんな気持ちになれないほど、今日だってまた不安の波が「何万人」という数字になって襲ってくる。誰かのせいにもできない現実の中で「何もできていない」自分と向き合い、足掻き、諦め、投げ出し、それでも生きるしかない日々。希望を持てるような作品を見て一瞬は癒されてもすぐに襲いくる虚無感との戦いで、また自分を責めて、逃げてを繰り返してばかりだった。そこに、良いでも悪いでもなく「なんだかよくわからないけど途方もない偶然の中で今生きている」ことを「ただ、それだけのこと」とドライに提示してくれた『ラブ・レター』がどれほど有難かったことだろう。だから、この作品が(珍しくまだ東京・名古屋・広島で公演を見られるチャンスがある)たくさんの人に届けばいいと、なかばラブレターのような気持ちで11月公演の前売り初日これを書いている。

さて。なくならないうちに11月公演のチケットもおさえにいきますか…!

03.こういう基準で言葉を選んでいます(といくつかのお願い)

舞台、アニメーション、映画、テレビ、配信、etc。ジャンルは問いません。人が<演技>を感じるもの全てが対象です。編集人が観ている/観ていない、共感できる/共感できないは問いません。熱い・鋭い・意義深い・好きすぎる、そんなチャームのある言葉を探しています。ほとんどがツイッターからの選択ですが、チラシやミニマガジン、ほっておくと消えてしまいそうな言葉を記録したいという方針です。

【引用中のスチルの扱い】引用文中に場面写真などの画像がある場合、直接引かず、文章のみを引用し、リンクを張っています。ポスター、チラシや書影の場合は、直接引用しています。

【お願い1】タイトル画像と希望執筆者を募集しています。>

【お願い2】自薦他薦関わらず、演技をめぐる言葉を募集しています。>

04.執筆者紹介

箕山 雲水 @tabi_no_soryo
『火垂るの墓』の舞台となった海辺の町で生を受け、その後大学まで同じ町で育つ。家族の影響もあって、幼い頃より人形劇などの舞台や太鼓、沖縄や中国の音楽、落語、宝塚歌劇、時代劇などに親しんでいる間に憧れが醸成され、東京に出てきた途端に歌舞伎の魅力にどっぷりはまって現在に至る。ミュージカルやストレートプレイ、洋の東西を問わず踊り沼にも足をつっこんでいるため、本コラムも激しく寄り道をする傾向がある。愛称は雲水さん

05.編集後記

『宇宙人の画家』という映画で、女子中学生(たぶん)二人が哲学めいたセリフを画面の向こうとこっちを移動しながらかわすシーンがあって、久しぶりに「演技」の底に触れたような感覚を覚えました。ほぼプレーンな、しかし、自分の身体から出ている言葉。キュートだが不気味。静謐で不穏。演じることと演じさせることの勾配がそもそも「力」を孕む。その<はじまり>を見たような気分になったのです。次号、この主題にチャレンジしたいと、ポジティブな〆で、では一か月後!

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