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アナーキック・エンパシー

敬愛する作家のひとりに、ブレイディみかこさんがいる。

彼女の著書にはよく「アナーキー」という言葉が使われる。
「アナーキー」とは「無政府状態」を意味し、「アナーキーな」と言ったら過激、斬新、混沌とした状況を指すことが多い。

けれども彼女がいう「アナーキー」において重要なのは「政府に依存しない」ということ。暴れて政権を転覆させるというのではなく、淡々と、粛々と、自分たちで自分たちの面倒をみるということ。

世の中おかしい、と思った人の行動はさまざまだ。怒ったり、抗議する人もいるし、それも必要なことだと思う。私が自分に合っていると感じるのは、政府なしでも生きていけるようになろうとするアナキズムだ。

311のあと、日本でもオフグリッド(大手電力会社の送電網の外で生きる)とか、田舎に移住して自給自足とか、アナキズムが少しずつ浸透してきている。昨今の裏金問題へのアンサーとしての納税拒否なんかも。

そんなアナキズムを、他者理解の鍵である「エンパシー」(共感)とつなげたのがこの本。

先ごろ完結した訳書『答え』でも、全4巻のうち第2巻で「共感」について多く触れている。アイクは「愛とは共感であり、共感が欠如しているのがサイコパス=カルトである」と述べていた。

『他者の靴を履く』では、さらに踏み込んで、共感には「エンパシー」と「シンパシー」があるとしている。このふたつは響きも似ているし、他者の理解にかかわるという点では意味も似ているけれど、決定的な違いは「同意、支持」の有無のように思う。

エンパシーは「他者を理解する能力」と定義され、同意や支持があるとは限らない。意見に賛同できなくても主張する権利は尊重する、という理性にもとづく行動だ。対するシンパシーは、かわいそうな状況にある人を思いやったり、理念に賛同して仲間意識を持っていることをあらわす。つまり、自分が理解できる(賛同あるいは同情)ものに湧きあがる感情だ。

シンパシーは感情だから、湧いてこないものはどうしようもない。エンパシーは自然に湧いてくるものではなく、相手の状況からその行動を理解しようとするもので、それは訓練によって身につけることができる。

このあたりを、アイクは「パーソナルラブ」という言葉を使って説明している。身内や同じ考えの者だけを愛し、輪の外の者への理解や関心がない状態だ。アイクのいう「愛」は、個を超えたワンネスの愛であって、相手を限定するパーソナルラブは「偽の愛」であるという。

ワンネスの愛を理解したり、体現するのは、普通の社会生活を送っているとなかなか難しいと思う。そもそも「ワンネス」の時点で理解不能とか、キワモノ扱いされてしまうことが多い。でも、エンパシーを理解できれば、ワンネスもほぼ理解できるのではと思う。

多様性の時代、「他人の靴を履いてみる」ことは大切だけれども、エンパシーの「闇落ち」というダークサイドもある。『他者の靴を履く』で筆頭に挙げられていた例が、ワクチンだった(ポール・ブルームの論の引用)。ワクチンの副反応で重病になってしまったたったひとりの子どもに焦点を合わせ、反ワク運動を展開することで、ワクチンで助かるはずの命が失われる、というのだ。これについては、私は同意できない。

まず、エンパシー以前に「ワクチンで助かるはず」の部分に同意できないけれど、それについてはここで語ることではないので割愛。そして、「たった1人の例外」に共感したがために全体が犠牲に、と言うということは、アイクの「偽の愛」じゃないけど、共感する相手を取捨選択するということでは? ワクチンは善が大前提で、そう思う人、打っても無事だった人が「全体」、不幸にも副反応に見舞われた人は例外だから、その人の立場になる必要はない? なぜ副反応が起こったか、追及する必要もない? No way.


なんだか書いているうちにどんどん長くなっていくので(すごく刺激を受けたんだと思う。読み終えた昨夜はなかなか寝付けなかった)、続きはまた今度。

今回は最後反論で終わってしまったけど、おすすめの本です。アイクの論はトンデモ扱いされてなかなか受け入れてもらえないけど、近い内容(よりよい社会のためにどうしていけばいいか)を現実的な視点から語っています。みかこさんの考えに賛同できる人なら、アイクの論も大筋では理解できると思います。


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