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最終的に行き着く場所は同じ。

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最近の記事

この美しき残酷な世界では

わたしが生まれてもうすぐ30年になる。決して満足のいった人生ではないし、満足するためにできるだけの行動をしてきたとも言い難い人生だっただろう。じゃあ満足するためにわたしは生きているのだろうか。わからない。わたしの幸せは何かを欲求しそれを得ることによって得られる「満足」だけにあるのだろうか。そもそも、満足ってなに?満たされる気持ち?それを得るのに時間や労力をかければかけるほど自分の中でそれの価値が上がり、手にした時の喜びが大きいのは言うまでもないだろうけど、でもじゃあ、それがす

    • 要求性能未達の社会的動物

      最近のわたしはいつも行動することを躊躇っていて、なにもできていない。側から見たら「難しいことじゃないのになぜ」「どうしてできないの」という反応を受けるようなことであろうことも、事態が深刻ではないことも、わたしが客観的事実以上に自分の頭の中で繰り広げられた個人的見解の歪みに苛まれていることも、たぶん、頭ではわかっている。わかっているのか、これを書いている今も、はいはいわかってるからこれ以上わたしが既に考えに至ったことを言わないで、と周囲に主張して自分を守るためだけにやっているこ

      • ごはんのあたたかさ

        お米という意味ではない、食事全般を表す「ごはん」という言葉の無防備さが苦手だ。 丸裸で無垢な「ごはん」という存在を裏切ってはいけない、という気持ちが働く。 この言葉に限らず、食べたかったものが食べられない人を見ることも、勝手に切なくなってしまうから苦手だ。 何かを食べたいと言っている人に、それはないよ、と伝える時、強い言葉でNOを突きつける人が苦手だ。 なぜか自分が言われる分には大丈夫で、側からそれを言われている人を見るのが苦手だ。 この感覚に初めて気づいたのは7歳の時。

        • 檸檬代わりの爆弾

          何について書いたらいいのかわからない。書きたいことはとくにない。でも何かを書きたい。何かを書き殴れば、今感じている檸檬でいうえたいの知れない不吉な塊みたいなものをすこし軽減させられる気がする。わたしの心全体を覆っている黒いもやもや、どっかいってほしい。檸檬みたいな何か爆弾のようなもの、今のわたしにとっては何がそれにあたるんだろう。 今のわたしの境遇が最悪ならば、それは誰にどんな嫌なことをされたり言われていようと、必ずわたし自身の責任だってある。自分だけが悪いということがないよ

        この美しき残酷な世界では

          自動贖罪人形

          罪を償う、罰を受けるという行為には、浄化作用はあるのだろうか。 わたしはあると思っていたんだと思う。だからやるべきことをやらなかった自分は幸せになってはいけないし、楽しんでもいけないと考えた。不幸になる方向に自分ら進んでいった。 わたしが当初目指した最終ゴールは「不幸」ではなかったはずだ。それなのに、どうして自分からそっちの方へ足を進めているんだろう。 セルフネグレクトには中毒性がある。簡単に罪を償えるから。実際はそんなことは自分の世界の中だけでの問題で、他人からしたらこ

          自動贖罪人形

          【感想】映画「夜明けのすべて」

          先日、たぶん一年以上ぶりに映画館に行った。ハイキュー!!を見たんだけどすごくよくて、やっぱり映画館で映画を観るのは家と違って全然いいなあなんて思いながら、早速もう一つ気になっていた映画を観てきました。タイトルの通り、松村北斗さんと上白石萌音さんが主演の「夜明けのすべて」。ちなみに、わたしは原作の瀬尾まいこさんの小説はまだ読んでいません。 ここから下はネタバレを含みますが、正直、ネタバレしてもあまり問題なく楽しめる作品だと思っています。(もしくはわたし自身があまりネタバレを気

          【感想】映画「夜明けのすべて」

          自分だけのライフスタイルを作っていく

          ある人と話をしていて、つくづくわたしとは全然考え方もやりたいことも違う人なんだな、と感じた。わたしは元々は彼女のような、外向的で、明るくて、堂々としていて、人当たりがよく感じのいい人に憧れていた。 それはそういう人が周りにいることで場が華やぐからで、わたしも人にとって花のような存在になれたのなら、わたしが彼女に向けているようなポジティブな感情を、自分自身にも向けられるかもしれないと想像していたからだ。 素敵だと思う誰かを模倣することでその人のエッセンスを自分自身に取り入れるこ

          自分だけのライフスタイルを作っていく

          大河の一滴

          わたしがわたしに生まれた以上は、わたしは自分を満足させるために生きる。自分は何が好きなのか、何をしたいのか。何が嫌いで、何をしたくないのか。どう生きていきたいのか。どういう人が好きなのか。何に心を動かされるか。そんなことはわざわざ言語化しなくてもいいし、意識しなくたっていい。きっと無意識のうちにわたしは自分が行きたい方向に舵を切るのだから、そんなことは知っていても知らなくても、どちらでもいい。わたしはただわたしを満足させるだけ。それだけのために生きる。 わたしという存在は宇宙

          大河の一滴

          弱肉強食な世界に抗う

          この世界はたしかに弱肉強食。そういうもの。でも、それに抗う自由は全員にあって、自分に突きつけられた現実にNOと意思表示する自由は誰にだってある。それをすることによってさらに傷つけられることもあるでしょう。できることなら、そんな仕返しは絶対に受けないとわかった状態で、安全圏から主張していたい。でもそんなのはきっと無理だ。わたしが自由ということは即ち、前の前の相手も自由だからだ。自分だけに自由が与えられているなんてことはない。もしそう思っているのだとしたら、あなたは自分と相手の間

          弱肉強食な世界に抗う

          灰色の領域

          自分のことを知ってほしいのに、でもやっぱり自分の内面を見られるのは怖くもある。 居場所がほしいのに、どこにも所属しない自由の身でもありたい。 何者かになりたいのに、自分が何どういう人間なのか、どこに括られるのかが決まってしまうのは嫌だ。 わたしはなんて欲張りでいいとこどりばかりしようとしているんだと思うけど、でも、それがわたしだ。誰にも迷惑かけずに(実はにじみ出ててどこかに迷惑かけてるようだったらすみません)ひとりで悶々としている分には自由だと言ってほしい。 白か黒かはっきり

          灰色の領域

          誰にも解釈されたくない

          子供の頃、どうして自分はこんなにも場を楽しめないのだろうと本気で考えたことがあった。小学二年生くらいの頃だったと思う。他の人の頭の中を覗いたわけではないけど、なんだかみんな楽しそうだし、誰かと関わりたそうにしているのに、わたしは楽しくない。とはいえぼっちになる勇気もなくて、誰かと一緒にいることが多かったけれど、なんとなく楽しくない。友達のことを好きかと聞かれると別に好きじゃなくて、ただ同じクラスになったから一緒にいるだけの人としか思えなくて、わたしが誰かをそういう目線で見てい

          誰にも解釈されたくない

          全部、まわりまわったら自分のため

          苛立ちの感情は、だいたい時間差でやってくる。人に何かを言われたとき、その場ではなんとも思わなかったはずだったのが、後になってから「あの人のあの言葉、今思い返すとむかつくな」と感じる。苛立ちは、突き詰めるとだいたいの場合は悲しみのような気がする。わたしはきっと、その場で言い返せなかった、怯んだ、というよりは、その場で真っ向にその言葉を受け止めてしまう以上に、その場をいかに社会的動物としての「常識さ」を失わないようやり過ごすことを優先しているから、すぐには苛立ちの感情がやってこな

          全部、まわりまわったら自分のため

          「進撃の巨人」に出会えたわたしの幸福な人生

          自分がどれくらい進撃の巨人を好きか、いくら言葉にしたところで伝えられる気がしない。 でも伝えたい。 その矛盾に自分が耐えられないので、今まで進撃の巨人についてnoteで語ることはしてこなかったのだけど、でもやっぱり伝わらなくても一回言葉にして残しておきたいと思ったので、書いてみます。 わたしは意味がわからないくらいにこの作品が好き。 これ以上に好きな作品に今後出会える気がしない。出会えたら幸福だろうけど、でもやっぱり超えて欲しくないような、不思議な気持ちがする。 今まである

          「進撃の巨人」に出会えたわたしの幸福な人生

          青が澄んだまま棲んでいる

          もやもやしている時ほど、自分の言いたいことが簡単に明確になるのが早い。もしくは早くスッキリしたいからこそ、それっぽい答えを出そうと頭がフル回転するのだろうか。わたしはその「明確化された風の何か」を自分なりに言語化し、どこかに吐き捨てるだけで少しスカッとする。品のないやり方であることは否定しないが。言葉を紡ぐことは自分の思考整理方法の一つであり、頭がごちゃごちゃしているほどに整理すべき対象物があちらこちらにある。やるべきタスクが自分の方から顔を出してくれ、わたしは探すことに精を

          青が澄んだまま棲んでいる

          帰る場所がなければきっとどこへも行けない

          帰省先の北海道から東京にある自宅に戻ってきました。 上京して一人暮らしを始めてからもう10年以上になるけど、家族やこの期間見てきた景色としばしのお別れをするのが毎回新鮮に寂しい。 前の記事でもこんなようなことを書いたけど、 どうして祖母の家にいるとこんなにも時間の進みが遅いのだろう。 一人暮らしの自宅からたった徒歩3分のコンビニに行くのは面倒くさいのに、どうして祖母の家から徒歩15分のコンビニには買うものがなくても歩きに行きたくなってしまうんだろう。 いつもならスーパーやコ

          帰る場所がなければきっとどこへも行けない

          2024

          目標、ってほどでもないけど、今年やりたいことを書き連ねてみます。 去年は「こうしなければならない」という呪いから脱却しようとしたはいいものの、ちょっと時間を無駄にしすぎた感じもあるので。挑戦することを、傷つくことを恐れすぎて、自己防衛に振り切りすぎた感じもします。 ところで、わたしは今年30歳になるんです。わたしが一番びっくり。 わたしと一番長く付き合い続けてきたわたし自身が、あんたもう30年も生きたのか!と驚いている。 内面は、未熟で幼稚で、子供がそのまま年だけ重ねてしまっ

          2024