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満月の夜、鳥が飛び立つ為に窓を開けた。

コロナ禍で仕事だけじゃなく生活の中でも、
人と直接会うことに慎重な日々を皆が送り、
まるでこれまでと流れる時間の速度と質が変化してしまったように感じるけど、
オンラインを利用したコミュニケーションは、
それこそ必然と言える技術の蓄積があってのことで、
世代や個人の性格によるけど、すんなりそれにのっかれる人は、
むしろこの機会に物事の進むスピードを速めているのだし、
お芝居の公演にお客様を劇場に集客することが難しくとも、
仲間たちの中にはオンラインで作品を発表する方法を模索し実行する果敢な者が居たり、
そうしない僕だって改めて人が同じ場に集い空間を共有する類の芸術の価値を見直す機会を得てるのに、
ぶっちゃけ仕事も生活にも身になることは何も出来ずに、
ゆっくりとしか進まない時間の中に居ながら、
眠る前や月の変わり目には「あっという間だ!」と何度も時の手応えなく過ぎてく時間の速さに驚愕しつつ、
心をすり減らしながら、
「コロナのせいなんだから仕方がないのだ」と言い訳を身にまとい、
背中を丸めそっと息を潜め生活してきた。

騙し騙し古傷の痛みを抱えながらプレイをしてきたスポーツ選手が
この時期に手術に踏み切るように、
新しい企画が進まず、
さらに人との出会いと会話から刺激を受ける場が制約されるこんなときは、
積ん読された本を手にとってみたり、
書きかけの文章の続きに向き合ってみたり、
あるいは気になってメモを取っていただけのワードを検索して調べて、
そのまま気の向くままにネットサーフィンするだけでも、
今後いつか新作と向き合う日の為、
何かしらの準備を少しは蓄えておけるはずなのに、
僕といえば、そんな気構えにはならずだった。

それにはきっかけがある。

長年飼っていた愛鳥が死んだのは、昨年の秋、
深夜、日と月が変わって10月1日、十五夜の日だった。
それから、半年間も、
僕は文章を書こうとすると、
なぜだか目の奥から具合の悪さが胸に落ちてきたみたく苦しくなっちゃって、
だけど、それも(もちろん不謹慎な言い方は承知で)コロナのおかげで、
自分の作品発表に影響を出さずにすんで、
ある意味でただ悲しみに暮れることができた。

もちろん悲しみ終わりなんてのはないけど、
時代に負けて、このまま歳ばかりとるだけなのは嫌だから、
ありがたいお声がけをいただいたこともあり、
新しい企画のため作品を書き始めることにした。
そして、その前に、
愛鳥との別れのこと、書き残しておこうって想ったんだ。
忘れたくないからね。

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(左オカメインコのぽっぽ。中コザクラインコのぺこ。右セキセイのぷー)

数年前には三匹が家に居たんだけど、
最後に残ったのがオカメインコのぽっぽ(メス享年8歳)だった。

オカメインコは値段がそこまで高くないし、
育てやすい身体の大きさと、
なによりも人に懐きやすくて、
ユニークなパッチワーク(ほぺったの色のついた部分、実際は耳毛)の色と、
コミカルな冠羽のコミュニケーションの愛嬌のせいなのか
ここ数年で人気が高まった種類で
名前にインコとついてるけど、実際はオウムの仲間。

鳥と生活したことがある人にとっては常識だけど、
鳥は体調の不良を必死に隠す生き物で、
何でも早期に気づいてやるのが難しくて、
もちろん少しでも様子がおかしかったら病院に連れて行くけど、
とりあえずのそのう(鳥さんの消化管)とふんの検査だけでわかることも多くなく、できることが保温しながら見守ってあげることだけだったりする。

ぽっぽの最初の大きな身体の異変は5歳を過ぎたある朝、
キッチンのテーブルの上でいつも通りにお気に入りの綿棒をついばんで遊んでいるときに、
足の付け根、下腹部あたりに大人の男性の親指くらいの大きさに膨らみが
羽の隙間から飛び出していることに気づいたことだった。
ぽっぽの小さな身体にはあまりにも大きな腫れ物だったから、
その日の予定をキャンセルして、
定期健診にも行っている川崎市内にある鳥を診てくれる動物病院にあわてて行った。

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(水に映る自分の姿に「鳥やん」ってなってるぽっぽ。)

鳥を飼い始めたばかりの人や、
これからお迎えを考えている人に参考になればと想う話。

鳥は犬猫に比べたら、格段に世話の手間がかからずに飼いやすいペットだし、
犬猫に負けないくらいべったりと飼い主に懐いて人のそばに居たがるし、
頭を擦り付けてきたりスキンシップも好む。
子どもの頃から、いつも鳥や犬猫やウサギと一緒に生活してきたけど、
僕の中ではぶっちぎりでぽっぽが一番懐いてくれて、
心のやり取りができる家族だった。

僕がPCに向かって仕事してる間は頭や肩にずっと乗ってるし、
無視してると肩から腕をつたって手の甲まで降りてきて仕事の邪魔してきて、
PCの画面のポインターの矢印マークを追いかけて遊んだり、
そんな最中にこちらがトイレに行こうもんなら、
冠羽をたててビーッ!ビーッ!と小さな身体からは信じられない大きさで呼び鳴きをする。
こちらが戻ってくると、冠羽を下ろして何事もなかったようなきょとんとした顔をして、可愛いかった。
オカメインコはオーストラリアでは街の中を飛んでいるメジャーな野鳥で、
オーストラリア最速で飛ぶ鳥と言われてるみたいな話もきいたことがある。
もちろん鳥だからって、飼ったら放っといても大丈夫なわけじゃないけど、
ペットとしてはとても優秀で、愛情深い鳥です。

鳥を家族としてお迎えするうえでたぶん一番注意しないといけないのが、
診察してくれる動物病院が極端に少ないことだと想う。
僕が住む川崎市でも動物病院はよく目にするけど、
その中で鳥の診察が可能なところや、
専門でみてくれる病院はごくごく僅かででした。
なので鳥を飼い始める時には、
前もって診てくれる病院を探しておく必要があります。
治療や入院の費用が高額になることもあるので、
できればペット保険の加入もオススメです。
僕は未加入だったんで、ぽっぽが亡くなる前の2ヶ月間の病院代はとても大変でした。
獣医さんの治療の方針はまちまちで、
飼い主さんにとって賛同できるものかどうかわかりません。
いろんな獣医さんがいるから、
納得して治療に望める先生が見つかるまで、
多少遠くとも、いろいろな病院に行ってみた方がよいと想うし、
複数の先生が在籍する大きな病気の時には特にだけど、
若い獣医さんの話では納得できない場面も多々あり、
僕の場合はなるべく院長先生の意見を一度聞かせてもらう様にお願いしていました。

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(黄→卵。ピンク→腫瘍。)

最初に行った川崎の病院では
いつも通りにそのうとふんの検査をして異常は見られず、
体重も100グラム程度あり、毎朝測定している数値にも特に変化はなかった。
川崎の病院の先生はいつも
小鳥にとって治療の負担を軽減してあげること、
食欲がある限りは保温意外にはあまり処置をしない方が良い、という考えで、
お腹の大きな腫れ物に関しても
あまり触らないほうがいいという話だけで帰らされた。
「鳥は簡単に死ぬからそれはいつも覚悟してくださいね」
ってやたら何度も言ってきて、
それも事実だろうけどさ、
正直、僕は責任逃れに聞こえちゃって、
インターネットで調べて、
翌日、とある有名な鳥を専門に診てくれる病院に行くことにした。

川越にあるその病院では、
鳥の診察にとても手馴れていて、丁寧に検査していただいて、
レントゲンで腫瘍が手術で切除が可能であることを確認してくれた。
ただし、
血液の検査で脂肪肝の傾向が認められ、
イエローフェザー症候群って羽が黄色く変色する状態であり
まずはその治療が必要であることを説明され、
あと大きな卵をがお腹の中にあり、
卵詰まりの危険性もあるのでと1週間の入院をすることになった。

鳥に限らずかもだけど、
ペットの不調を早期に見つけてあげるためには
毎朝の体重測定と、写真を沢山撮っておくことが一番有効だと想う。
写真は想い出も沢山残せるしね。

入院して問題なくぽっぽは卵を生み落とし、
退院してからしばらくは2週に一度ほどの通院が続いた。
その間、体重を80グラム弱まで減量させて、
スポイトで投薬を続けて、
数ヶ月ほどで羽の色は元のグレイに戻って、
この頃には、お腹の腫瘍も3分の1くらいに小さくなったので、
相談して僕は手術はせずに、しばらく様子をみることにした。

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(ベランダで日光浴をしてる。ぽっぽが食べてる緑は好物の豆苗。)

それから2年以上、元気に生活を送っていたけど、
今想うと体調を崩す前からすごく甘える様になっていた気はする。

昨年の夏、
ある日、僕が一日中、家をあけて帰ってきたら
急にぽっぽの食欲は落ちていて、お腹が膨れてることに気づいたので、
(腫瘍は小さくなったまま変化はなかった)
まずは、また家から近い川崎市内の病院につれていった。
ここではやはり大したことはわからずに、
いつもと同じやり取りがあって連れて帰ってきた。
今想えば、このときに川越の病院に連れて行けば良かったんだけど、
仕事の都合で時間的余裕がなくて、
同じ日の午後に横浜にある鳥の専門の病院につれていった。

ここから数週間は本当に苦しい闘病が続いて、
ぽっぽの体重はどんどん減って、すぐに飛ぶことも出来なくなっちゃった。

お腹のふくらみの原因は特定できず、
とにかく強制給餌と胃腸の薬を与えて、
まずは1週間の入院をさせてみたけど、
体重はさらに減って、
お腹はかえるの喉みたく膨らんで皮膚が薄くなって、
毛の質もボサボサに、まるで別の鳥の様になって帰ってきた。
継続して入院を勧められたけど、
可愛そうだったので、
ひとまず家に連れて帰ってきて考えることにした。

ぽっぽは家に戻ると安心したのか、
シード(植物の種の餌)をすごい勢いでついばんで、
体調が回復したのか?と想うのも数日後には、
首を振りながら、すぐに食べたものを吐き戻すようになった。

数日で、また数グラム体重が減ったので、
このままではいけないと想い、
今度は世田谷区にある鳥の専門の病院を予約して診察に向かった。
どこの病院もコロナのせいで、待合室にいる人数が制限されて、建物の外にあるエレベーターの扉の前で待たされた。
診察内容は横浜と変わらず、
お腹のふくらみの原因よりも、
まずは胃腸薬と強制給餌をして体力を回復させましょうと、
こちらでも1週間をめどに即入院となった。
帰る前に入院の注意書を渡され、
説明された最後には、
「数パーセント以上の確率で入院したまま亡くなることをご理解くださいね」
と下手くそな役者の本読みみたいな台詞を聞かされてから、サインをさせれた。

1週間が経ち、
症状は改善せず、もう1週間の入院の延長を決めた。
数日後、
様子聞きのために病院に電話すると、
ぽっぽの体重はさらに減っているとのことで、
今度は1週間を待たずに退院させることにした。
数日後ぶりに会ったぽっぽの顔は、
吐き出した強制給餌用の茶色い餌がはりついたのがガビガビに乾いていて、
子供の頃よりも軽い身体になっていた。

とまり木に止まってもフラフラして、
少し離れると、目が半開きになって羽を落として、
可哀想に、
辛そうだたので、
巣の中のとまり木を取り払って、
巣の中が30度を保たれる様に注意していた。

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(尾羽をビュンって飛ばす技。)

そして、次の休みに、
すがる想いで久しぶりに川越の病院(いつの間にか予約制に変わっていた)に行ってみることにした。
この頃には体重は50グラムを割っていたと想う。

血液の検査をしてレントゲンを撮って、
先生の見解では、
お腹のふくらみは卵巣嚢腫だろうという事だった。
卵巣が大きくお腹の中で膨れて、
内臓を圧迫しているから食べ物も通らないじゃないかという事だった。
何にしろ、体重が限界を超えて減っていて、
もういつ死んだって驚かない状況だと言われ、
強制給餌をしてもらい、
目薬のような形の薬を数種類もらって、
痛みを取るためにステロイドの注射を射ってもらった。

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(左はぽっぽの卵。右は僕が食べる鶏の卵。)

ペットショップによっては
鳥を飼うなら風切り羽を切り落とし飛べないようにすることを薦めてくる場合もある。
部屋の中の事故がなくなるし、その方が人によく懐くようになるらしい。
あとメスの鳥は観賞用として、スキンシップを控えるように言われる場合もある。発情をコントロールしないと、一年中産卵をして、病気や卵詰まりを起こす原因となり最悪の場合は命に関わる。

僕は鳥を飼っても羽は切ったことがない。
部屋の中でも自由に飛ばせていたし、
そうできる様に部屋に鳥にとって危ない場所をつくらいない様にしていた。
鳥の飛ぶ姿は神様みたいだなっていつも想っていた。
ぽっぽはメスだったけど、
懐く分だけ頭をなでて可愛がったので、
最初の5年間は卵もよく産んでいた。
発情のコントロールをしてあげられなかったことが、
もしもぽっぽの病気の原因だったなら、
本当に申し訳なく、苦しくなるよ。

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(ぽっぽの看病用の虫かご。小・中・大)

最期の3週間は、生活がぽっぽ中心で、
朝と夜に川崎の病院に連れて行き、強制給餌だけをしてもらった。
毎週水曜日は川越の病院の院長先生が池袋の分院で診察をしているので、
そこに夕方行って強制給餌とステロイドの注射をしてもらった。
痛みをとって、少しでも体重を維持させて
延命させるだけの日々だった。

鳥かごだと壁の網をよじ登ってしまい、
体力を消耗するので、
病院に連れて行く時いれる虫かごの中で看病した。
虫かごだと、
向きを変える時に尾羽がつっかかって窮屈そうだったから、
一回り大きな虫かごをamazonで注文した。
2〜3日使うと新しい虫かごも窮屈にみえてきて、
さらに大きな虫かごを注文した。
食べてくれる餌はないかと、
栄養価の高いペレットを通販したりもしたけど、
麻の実の皮をむいて、一個づつ口もとに手であげるのが、
唯一食べてくれるものだった。

亡くなる前日に池袋の病院に行った時は
先生がいつもと少し違って、
「ぽっぽちゃんはもうすごく頑張ってますからね」
って言われて、さすがにもうダメなんだろうなって想ったけど、
受付の女の子はいつもと変わらずに翌週の予約を聞いてくれたから、
僕も予約を入れてもらうことにした。

家に帰ってきたぽっぽはもう本当にふらふらしてるのに、
薬が終わると、亡くなる数時間前まで僕の肩によじ登ってきて、
ぴったり身体を僕のほぺったに寄り添わせていた。

夜中になるにつれて、
ぽっぽの意識は朦朧として、ぐったりしたかと想うと、
急に目覚ましのアラームが鳴ったみたいに飛び起きて、
キョロキョロと周りを見渡したり、
こんなに鳥が苦しそうにしてるの姿を初めて見た。
こんな小さな生き物なのに、
ハーハーハー、って肩を大きく揺らしながら荒く息をするのが聞こえてきて、
ただ近くで見守るだけの時間が続いた。

深夜になって、日が変わって、
うつろな目でじっとこちらを見つめてきたぽっぽ。
なるべく体力の消耗をさせたくなかったし、
興奮させたくないから、投薬以外は虫かごから出さなかったけど、
あまりに訴えてくるようにこちらを見てるから、
我慢できずに両手でぽっぽを救う様にして、
僕の胸まで抱き上げたら、
その瞬間、僕の手の中ですっと糸が切れたように息が止まった。
こんな事ならずっと抱いててあげれば良かったと想ったよ。

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(ぽっぽって名前のレストランあるよね。スーパーの地下とかに。)

亡くなるまでの3週間、なるべくぽっぽの近くに居たので、
スポーツジムに行ったのも3週間ぶりだった。
筋トレを初めてから3週間もダンベルに触れなかった事はなかったから、
身体が上手く動かなせなかった。
僕は空を飛べないし、上手く身体を動かせないし、心の整理も下手くそだ。

ジムからでて近くのお花屋さんでお葬式用に花束を買った。
ぽっぽのチークパッチの色に揃えてオレンジ色の洋菊を選んだ。
十五夜だから、お花屋さんがすすきをサービスでくれた。

スニーカーを買った時の箱がちょうど良かったから、
いつもぽっぽが眠る時にケージに被せていた遮光布をたたんで中に敷いて、
保冷剤を置いた上にフェイスタオルに包んだぽっぽを寝かせた。
餌と遊ぶ用の綿棒と、
公園で拾ったのを綺麗に磨いて止まり木にしていた桜の木の枝を、
さらに箱のサイズに合わせてノコギリで切って入れてから、
周りに綺麗に洋菊を敷き詰めた。
別にぽっぽはお花なんて好きじゃなかったし、嬉しいかわからないけどさ、
女の子だからね、可愛いのがいいよね。

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(亡くなる前日のぽっぽ。肩が落ちて羽が地面についてる。寒そう。)

オカメインコにはいろんな柄の種類がいるけど、
多分ノーマルのメスは不人気だと想う。
特にノーマルの場合はオスだけが顔の周りが分かりやすく黄色くなって華やかだし、オスは口笛を吹くってスペシャルな特技があるから、
選べるならメスだけを単体で飼う人は珍しいかも知れない。

でも鳥は、犬や猫とは違って生まれた時点では雄雌の判断はなかなか出来なくて、オカメインコの場合も数ヶ月して、身体の模様が出てきてから判別が可能になる。
ぽっぽの場合も、ある朝起きたらケージの中に、
うずらの卵よりもさらにひと回り小さなかわいい卵があってメスである事が確定した。
誰に教えてもらったわけでもなく、卵をお腹の下に置いて温めてる姿は愛らしかった。

ぽっぽに、会えて本当に本当によかったよ。
いつもあたたかくて、良い匂いがしたよ。
僕がどんなに調子悪くても、変わらず甘えてくれたよ。
いつも部屋の中に神様がいてくれたから
僕も一緒に飛べる気がして、物語を書いてたよ。

ありがとう。

満月の夜、
ぽっぽをケージから出した状態で、初めて窓を開けた。
飛んでったかな。
でもきっとすぐに気が済んで、また僕の肩の上に戻ってくるかな。

いっぱいいっぱいありがとう。

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(鳥の雑誌を一緒に読むぽっぽ。)

noteに初めてテキストをアップするのに、
こんな長々と書いてしまったよ。
誰か読んでくれる人が居るかわからないけど、書いておいて良かった。
もしも鳥を好きな方にお読みいただけたらば、嬉しいです。

ちなみにぽっぽの火葬は前の子の時にも利用させていただいた
ペットパパさんにお願いしました。
早急に丁寧にお見送りをお手伝いいただいて、
骨壷に可愛いリボンをつけてくれました。

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