タマさんのお散歩 【小説】


 タマさんがその店に立ち寄ったのは、ほんの気まぐれである。
 それを言うなら二月だというのに、暖かな陽気に誘われて散歩に出よう思いついたのも気まぐれだし、垂直に立てた尻尾を誇らしげに揺らしながら歩く黒猫の後をつけてみようと思ったのだって気まぐれだ。

 黒猫は、後ろのタマさんに気がついているのかいないのか、尻尾をふりふり動かしながら道の端をゆっくり歩く。
 どうせすぐに気がついて、どこかに逃げてしまうだろうと思っていたタマさんは何だか当てが外れてしまって、それでも何か急ぎの用があるわけでもなから「まぁ、こんなのもたまには良いだろう」と、一定の距離を取りながら黒猫の歩調に合わせてゆっくり道の端をついていく。

 そのうちにだんだん夢中になって、タマさん周りの景色に目もくれずに前を歩く黒猫の尻尾だけを追っていたものだから、不意に黒猫が道路脇のブロック塀を飛び越えて、どこかの家の庭に消えるのを見送った時には、自分が一体どこにいるのか分からなくなってしまった。
 簡単に言えば迷子だ。

 辺りを見回しても、似たようなブロック塀ばかりで見覚えがない。
 それでも自分の足で歩ける程度の距離だし、時間だって十分と経っていないのだから、たまたま普段通らない道に入ってしまっただけだろうと、慌てることなくそのまま歩を進めた。
 脇道のない一本道、そのまままっすぐ歩いていればその内に交差点に出て、大きな道路にぶつかるハズ。

 ところが、五分歩いても十分歩いても交差点が見えない。
 道は、右に曲がり左に曲がり、また右に曲がり左に曲がり。
 さすがのタマさんもすっかり草臥れて、少し不安になってきたところで見つけたのが、その店だった。

 平仮名でもなくカタカナでもなく、漢字でもなければアルファベットでもない。
 見たことのあるようなないような、不思議な文字で書かれた小さな看板の奥には赤い瓦の屋根を乗せた漆喰壁の小さな平屋。
 西洋風にも見えるけれど、どこか東洋風でもある不思議な外観の建物には立派な無垢材の扉の横には大きな嵌め殺しの窓があって、中には昔懐かしいデザインのテーブルと椅子が見える。
 体を傾けヒョイと奥を見れば、手前には洋菓子屋で見るようなガラスケースが置かれ、その奥にはカウンターらしきものが見えるので、多分喫茶店なのだろうとタマさんは考えた。

 丁度、草臥れていたところだし、お茶でも飲もうかしらとタマさんは思い立つ。
 もしも中に入って喫茶店でなかったなら謝って出てくればいいわと、洒落たデザインの取っ手に手をかけて扉を開けると、カランカランとドアベルの音が鳴り、ふわりとコーヒー豆の香ばしい香りがしたので、安心したタマさんが一歩中に入ると、「いらっしゃいませ」と年齢を感じさせる嗄れた銅鑼声に迎えられた。

「おひとり様ですか?」
「ええ、そうなんです」
「では、カウンター席でもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん」
 カウンターの中の、黒縁メガネに白髪白ひげ、シャツの上に長めのエプロンを掛けたマスターと、そんなやりとりをしてカウンターに座ると、タマさんはウィンナーコーヒーを頼んだ。
 ブラックコーヒーの上に甘いホイップクリームが乗った、まだ、タマさんが中学生だった時分に、初めて入った喫茶店で飲んだ思い出のコーヒーだ

革表紙のメニュー表に『ウィンナーコーヒー』の文字を見つけ、その事を思い出して、懐かしさに思わず頼んでしまったのだ。

 マスターは、ゴリゴリ音を立てて豆を挽きながら、
「お客さん、ウチの店は初めてでしたか?」
と、声をかける。
「ええ、春の陽気に誘われて、ちょっとそこまでと散歩に出てみたんですけどね……」
 この店につくまでの小さな冒険をマスターに話して聞かせるタマさん。
 マスターはそんなタマさんの話に相槌を打ちながら、挽いた豆をネルに入れると、盛り上がった粉のテッペンに人差し指で小さな窪みを作ってから、湯気の出ているホーローの専用ケトルでネルに細いお湯を注ぐ。
 ポットに琥珀色のコーヒーが溜まると、店の中に芳しい香りが漂って鼻腔をくすぐる。どこか懐かしいような香りにタマさんは目を細めた。
 マスターは事前に温めておいた白磁のカップにコーヒーを注ぐと、冷蔵庫から絞り袋を取り出して、暖かいコーヒーの上に真っ白なホイップクリームを絞り出した。

「お待ちどうさまでした」
 目の前にカップが置かれたその時、ガランガランと勢いよくドアベルが鳴り、びっくりしたタマさんが目をやるとお下げ髪の女の子が一人、学生鞄を抱えて立っていた。見たところ中学生くらいだろうか。

「あ、あの! こ、こちらは喫茶店ですか!?」
 緊張しているのか、つっかえながらマスターに尋ねる女の子。
「ええ、そうですよ」
「わ、わたし、まっだ、ちゅ中学生なんですけど! い、い、いいでしょうか!」
「ええ、構いませんよ。良かったらカウンター席にどうぞ」
「は、はい!」
 初めて一人で入る大人の世界に緊張しているのだろう。
 女の子は右手と右足、左手と左足を一緒に出しながら、ギクシャク歩いてタマさんの隣に座った。
「ご注文は」
「え、えーと、ぁの……あの! 一番苦いコーヒーをください!」
 女の子は勢い込んでそう言った。
「一番苦いコーヒーですか?」
「はい! わたっしの、中のよ、弱虫が逃げちゃうような、と、とびきり、苦いヤツをお願いしっ…ます!」
 女の子が眉毛を八の字にして、怒っているような、今にも泣きそうな顔でそう言うと、マスターは「かしこまりました」と、密閉された容器の中から色の濃い豆を掬いだし、タマさんと同じ手順で淹れ、お待ちどうさまですと女の子の前にカップを置いた。

 猫舌なのだろう。女の子は顔を真っ赤にしてフウフウとカップに息を吹きかけると、真っ黒なコーヒーに口をつけ、
!?!!!????
よほど苦かったのだろう。目を白黒させて、カップを置くと睨みつけたまま動かなくなった。

 そんな様子を横目で眺めていたタマさんはマスターに、
「この子のコーヒーにも、ホイップを入れてあげてくださいな」
と、頼んだ。
 え、っと驚いて顔を上げた女の子にタマさんは、
「あなた、これからチョコレートを渡しにいくのでしょう?」
と、訊いた。
「え、え? なんで??」
 分かったんですか!? という言葉が出てこずに、口をパクパクさせている女の子に、だって今日は十四日ですものねと種明かしをするタマさん。

「なかなか勇気が出ないから、気付け薬の代わりに苦いコーヒーを頼んだんでしょうけど、ダメよ。そんな怖い顔をしてチョコレートを渡したりしたら、男の子がビックリしてしまうわ」
 のんびり話すタマさんに、緊張の糸が切れたのだろう。女の子はベソベソと泣き出してしまった。
「わだ、わ、わだし、好きな男子にチョゴレートを渡して告はぐ、白したいんでずけど、断られたらどおぼうど、勇気がで、でなぐって…」
 べそかき声で、なんだか東北弁みたいになっている女の子の涙をタマさんがハンカチで拭ってやると、マスターがホイップを絞ったコーヒーを女の子の前に差し出す。

 温かいコーヒーの上で踊りながら、真っ白なクリームがコーヒーに溶けていって、少し濃い目のカフエオレのような色になっていく。
 初めて見るコーヒーに恐る恐る口をつけた女の子は、
「おいしい…」
と、呟くいてカップの中を見つめる。
「これはね、ウィンナーコーヒー。ほんのり甘くて美味しいでしょ?」
「はい…」
 ウィンナーコーヒーにつられたように、女の子を包む空気が柔らかくなった。

「バレンタインデーはあなたくらいの女の子の一大イベントだもの。
勢い込んでしまうのもわかるけれど、緊張しすぎるのは良くないわ。男の子はね、ホイップクリームみたいに柔らかな女の子が好きなのよ」
 ねえ、マスター? とタマさんが聞くと、ええ、その通りですとマスターも頷く。
「ウィンナーコーヒーでリラックス出来たなら、あとは、ほんの少し勇気をだすだけよ。さぁ、行ってらっしゃい。゛タマちゃん゛」
「え!?」と、驚いた顔のまま、女の子は蜃気楼のように店から消えてしまったけれど、タマさんは驚く様子もなく微笑んでいた。

「なるほど、あなたはあの時の女の子でしたか。
道理で見覚えがあったはずだ」
 こちらもさして驚く様子もなく、マスターは笑う。
「私もあの子を見て、やっと思い出したんですよ。その節は大変お世話になりました。マスター」
 相変わらず、のんびりした調子で頭を下げるタマさん。マスターも、いえいえどういたしましてと応える。
「それで、あのあと告白は上手くいきましたか?」
「さぁ、どうだったかしら。なにしろ五十年も昔の事だもの。もうすっかり忘れてしまったわ」
 そう言って、コロコロと笑うタマさんに、マスターはイタズラっぽい笑顔を浮かべながら、フワフワと蜃気楼のように消えていった。

 その場に一人残されたタマさん。
 辺りを見回すと、そこはタマさんがよく散歩で通る見慣れた道だった。
「あらあら、゛また゛代金を払い損ねちゃった。せっかちなマスターね」
 そんな独り言を呟いて、のんびり家の方向に歩きながらタマさんは、家で寝転がってテレビを観ているであろう夫に『交際五十周年記念』のチョコレートを買って帰ろうと決めた。


                               おわり

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            あとがき的な?

ならざきむつろ@noteイベント部さんの、
バレンタイン応援企画『Happy Valentine ! 2015』に参加させてもらおうと思って書きました。

せっかくのバレンタイン企画だし可愛らしい物語にしようと、自分の中の
女子力を限界まで高めて書きましたが、厳ついオッサンの女子力では、これが限界でした。(ヽ´ω`)トホホ・・

最後まで読んでいただいた方、本当にありがとうございます。(*´∀`*)ノシ

#ハピバレ2015

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