人類はお引越ししました。【小説】

 透明なドーム越しに、沈みゆく夕日を眺めていた。
 遠くでカラスの鳴き声が聞こえる。
 もう少し日が暮れれば、狼や犬の遠吠えが聞こえてくるだろう。
 もしかすると、象の嘶きやライオンの鳴き声も聞こえてくるかもしれない。
 暴君による支配から解放された地球は、しかし、本来の姿を取り戻すことは出来なかった。なにしろ生態系がしっちゃかめっちゃかになっているのだから。
 けれど、彼らは持って生まれた生命力と野生の本能で、新たなルールのもと自然と折り合いをつけて上手く生き延びているらしい。
 無論、折り合いがつかずに絶滅した種もあるんだろうけれども。
 まぁ、そのへんは原因を作っておいて、勝手に地球を離れた僕らが考えることではないし、その資格もない。
  

 この地球を、長きに渡り我が物顔で支配していた人類だったが、高齢化やら少子化やら、環境破壊やら、異常気象やら、民族紛争やら、テロやら、戦争やらで、その数は激減し生産性もガタ落ちし、
「このままだと、国とか、民族とか、文明とか維持するのムリだわー」
 と相成った。
 その一方で、テクノロジーの発達により人類の寿命はほぼ1.5倍に伸び、諸々の労働から解放された。
 さらに頭部に装着し脳に直接電気信号を送るデバイスの登場で、今まで「視覚」と「聴覚」しか持ち込めなかったウェブ空間に「味覚」「嗅覚」「触覚」の「五感」を全て持ち込むことに成功。つまり、ウェブ内で自分のアバターを作れば実質『モニターの向こう側』へ行けるようになっていた。
 最初はオンラインゲーム用に開発された技術だったが、やがてSNSに転用されるようになって爆発的に普及した。
 人口が増えればインフラが整い、インフラが整えば仕事が生まれ、仕事があれば人口は更に増える。
 職場がウェブ内に出来、デバイスを用いて出勤するようになる。
 ウェブの世界に、自分の家を持てるようになる。服を、食事を、作ったり買ったり、食べたり飲んだりできるようになる。恋愛やSEX、結婚だって出来る。もとより娯楽は各種取り揃っている。
 こうして、人類は自らの手で作り上げたもう一つの世界を『次なる世界 ― ネクストワールド』と読んだ。

 最初は、通いで「現実の世界」と「ネクストワールド」を行ったり来たりしていた人類だけれども、諸々が整えば生活拠点の比重は徐々に『新居』に移っていく。現実(リアル)と仮想(ウェブ)の認識が入れ替わる。
 だが。それにも限界はあった。
 いくら仮想空間に身を置いたところで、肉体までは持ってはいけない。
 生物である以上、肉体が死ねば精神も死ぬ。だから定期的に「リアルワールド」に戻り、肉体のメンテナンスが必要になる。
 具体的に言うと、栄養摂取、排泄、洗浄、病気になれば治療だって必要だし、「ネクストワールド」にいる間、環境や外敵から肉体を守る必要もある。

 そんなすったもんだをしているうちにも「リアルワールド」での人口は順調に減り続け、すでに国という概念は意味をなくしていた。最低限のことは国連が代行していたけれど、人類が各地に点在していたのでは、いかにも管理しづらい。そこで
「もう、みんな一箇所にまとめちゃえばよくね?」
 と誰かが言い出し、ほかの人々も「そりゃそうだ」と賛同して、色々話し合って、気象条件やら気候やらエネルギー確保やら色々計算した結果、人類が一番住みやすい場所に、ほぼ全人類が移り住んだ。必然的に最新のあらゆるテクノロジーも技術も全てその場所に集結することになる。
 あくまでも「リアルワールド」維持の為の苦肉の策だったわけだけれど、皮肉なことに「ネクストワールド」への移住条件もほぼ整ってしまった。

 人間、立って半畳寝て一畳と言うけれど、ただ、肉体を置いておくだけなら家のような大きなスペースはいらない。理論上、体一つ分のスペースに、生命維持に必要な最低限のシステムさえあれば、人類の「ネクストワールド」への『引越し』はほとんど完成する。そのためのテクノロジーは手元にあるし、実行すれば「リアルワールド」の維持コストも最小限で済む。
 なにより、誰もが「リアルワールド」への『里帰り』が嫌になっていた。
 重力に縛り付けられ動かすのに苦労する肉体、経年劣化していく姿、「ネクストワールド」でどれほど快活に生き、若々しい姿をしていても、「本当のお前はこんなものだ」と突きつけらる現実が煩わしく苦しい。

 出来ることなら、「リアルワールド」を切り離してしまいたい。

 誰もがそう思った。「リアル」はただの重荷で、執着する理由もない。
「そんなわけで、『ネクストワールド』に引越しするべー」
 国連の会議での決定に異論を挟む者は一人もいなかった。

 そうと決まれば話は早い。 
 あらゆる分野の学者が考え、あらゆる分野の技術者と労働者がそれを形にしていく。
 有史以来、(おそらくは初めて)全人類が協力しあって、肉体を収納するための『物置』を完成させるまで、十年とかからなかった。
 肉体への栄養摂取、給排気、洗浄、排泄などの機械的制御を自動的に行うカプセル型の『肉体保管庫』が用意され、そのカプセルを一括管理できるタワーと、電力供給のための発電所を建設し、必要な栄養分を製造するための工場や畑が作られ、外敵や気象変化から、それらの施設と肉体を守るために、透明で強固なドームで覆った。
 それが今僕が立っているここ、いわば「ネクストワールド」の『室外機』の中だ。

 基本、『室外機』の管理は、プログラムされたロボットと、メンテ用のロボットを「ネクストワールド」からの遠隔操作で行っているけれど、それでも万が一、「ネクストワールド」からの操作が出来なくなった場合のことも考えて、僕を含めた管理会社の技術者が8時間交代、24時間体制制で、この『室外機』の見張りを担当している。
 まぁ、あくまで何かあったときの保険のようなものだ。
 何をするわけでもない。ただ居るだけの簡単なお仕事ってやつ。
 いざという時のために、コッチの体を動かす体力は必要だから、ドーム内を散歩したり、気が向けば体を鍛えたりはするけど。

 で、今はまさにその途中で、僕はぼんやり夕日を眺めているのだ。

「っていっても、この仕事もいつまで続くかわからないんだけどね」
 と、誰も聞いていないのを承知で僕は声に出して言ってみる。
 久しぶりに聞く「現実」での自分の声に、違和感を覚える。
 今「ネクストワールド」では、肉体との切り離しに向けて試行錯誤が行われているらしい。
 つまり、『リアルの肉体』から『データーの肉体』への『引越し』だ。
 今や、現実の肉体は基本的な生理機能と、思考と記憶以外の役割を持たない。
 なら、『個』としての記憶をメモリー、思考をCPUに代用させれば
「もう、体とかいらなくね?」
 という事らしい。
 まぁ、門外漢の僕には詳しい理屈はわからないけど。
 なんにせよ、実現すればドーム中央にそびえ立つ馬鹿でかい『物置』は、そのまま、「リアルワールド」での人類の墓標になるのかもしれない。

落ちていく夕日の朱に染まるタワーを見つめながら、そんなことを、僕はぼんやりと思った。

                                おわり


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noteイベント部さんの、『皆さんのネクストワールド』という企画に参加しようと書き始めたけど、間に合いませんでした。orz

と思ったら、公式さんのハッシュタグイベントのお題が「引越し」だったので、せっかくだし参加しちゃおうと思います。

#小説 #引っ越し




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