砂漠夜話【小説】

 西の都と東の都の間には、とても大きな砂漠が広がっています。

 昼間は熱した鉄板の様に暑く、夜になると真冬の氷の中の様に寒いこの砂漠は、今まで何人もの旅人の命を奪ってきました。
 それでも商人たちは、商いの為に西の都と東の都の間を繋ぐこの砂漠を渡ります。
 なぜなら、西の都で作られた絹は東の都ではとても高値で売れますし、東の都で作られたスパイスは西の都では大変珍しく、やはり、とても高値で売れるからです。

  ✩

 ぽっかりと浮いている、まん丸い月が一面の砂の海を碧く染めている中、小さなテントの前で一人の年老いた商人が焚火で暖を取っていました。
 商人の眉間にはいつも、深い縦皺が刻まれていました。
 この商人はとてもケチな男で、困ったり助けを求める者に、これまで一銭の施しもしたことがありません。
 自分が命をかけて稼いだ金を、他人に恵んでやるなど、商人には考えられぬことなのです。

 縋ってきておきながら金を貰えぬと分かると、商人に悪態をつく者や陰口を叩く者も多く、そんな言葉を聞く度に、商人の眉間の皺は深くなっていったのです。
 商人が信用できるのは、何度も共に砂漠を行き来し、今も横で眠っているラクダだけでした。

 商人は、火を絶やさぬように、小枝をくべながら焚火で沸かしたジャスミンの香りのするお茶をすすっていました。

 焚火の近くでは、一匹の小さな『水汲み虫』がせっせと動き回って、体に着いた夜露を後ろ足で器用に掻き集めては、小さなガラス瓶の中に移しています。

 『水汲み虫』は、砂漠の嫌われ者です。

 雨も降らず、木や草も生えない砂漠では水はとても貴重です。
 砂漠で生きる動物や虫たちは、出来るだけ水を飲まないようにしていますが、どうしても我慢が出来なくなると『水汲み虫』から、水を買わなくてはならないのです。

「あの虫は、同じ砂漠に住むモノから高い金を取って、ほんの少しの水を売りつける守銭奴だ」
「奴はどんなに頼んでも、金を払わぬ者にはたった一滴の水さえも分け与えようとはしない」
 砂漠に暮らす者たちは、口々にそう言って『水汲み虫』を忌み嫌っているのです。

 小瓶に八分ほどの水を汲み終わると、虫は大きく息を吐いて紐で小瓶を体に括り付けました。

「おい、そこの虫よ」
 商人は虫が一仕事終えるのを待って、声をかけました。
「今日の仕事は、もう終わりかね?」
「はい、今日は少し寒すぎて、これ以上、体に夜露がつきませんので」
「では、こちらに来て休まないかね」
「よろしいのですか? それはありがたい。実は今夜は特別冷えるので、すっかり体が冷たくなっていたのです」

 そう礼を言うと、虫は小瓶を引き摺りながら、商人の横にちょこんと座りました。
 ああ、暖かいと、虫は、ほっとした様に細い足で冷え切った体を擦っています。商人はそんな虫の様子を、ぼんやりと眺めていました。

「ご老人は、旅の方ですか?」
 やがて体の暖まった虫は体を擦るのをやめ、商人に向かって尋ねました。「わしは、商用で西の都から東の都に行く途中なのさ」
 商人は焚火に小枝をくべながら答えます。
「ワシはな、虫よ。物心ついた時から、かれこれ五十年も商売の為、この砂漠を行ったり来たりしているのさ」
「五十年!」
 虫は、自慢げな商人の言葉に目を丸くしました。

「そんなに長い間、この砂漠を旅するのは、さぞかし大変なのでしょうね」「なに、慣れてしまえばどうと言うこともない」
「しかし、若い旅人でも命を落とす程、砂漠の旅は大変です。ご家族の方は、さぞかし心配されているのではありませんか?」
「ワシには家族などおらんよ」
「それでは、これまで一度の結婚もされていないのですか?」
「ああ」
「なぜです?」
「妻を娶り、子を授かればそれだけ金がかかる。五十年もの間、ワシが命がけで稼いだ金を他の誰かに分け与えるなんぞ!」
 商人は、そんな事、考えただけでも腹立たしいと続けました。

「しかし、お墓の中までお金を持っては行けますまい」
「そう言うお前さんだって、夜露をその小さな瓶に集めて、砂漠の動物や虫に高値で売りつけているそうじゃないか。それで稼いだ金を一体どうする?」
 虫の言葉にムッとした商人が尋ねると、

「夢を買います」

と、虫は答えました。

「夢? 一体どんな夢だ?」
 商人に問われ、虫は少し考えてから、声をひそめて商人に言いました。
「誰にも言わないと約束してくれるなら、焚き火のお礼にお話しましょう」

 この小さな虫が一体どんな夢を持っているのか、商人は知りたくて仕方がありません。
「分かった。約束しよう」
 商人の言葉を受けて、虫は一息つくとぽつりぽつりと語り始めました。

「東の都の地の果ての『海』という所に、千年を生き、どこにでも自在に雨を降らせる事の出来る『アメフラシ』という生き物が居ると、旅の者の噂話を聞きました。
 もし、この砂漠に雨を降らせる事が出来れば、砂漠は潤い、やがて草木が育つでしょう。
 そうなれば、この砂漠に住むみんなが乾く事も、飢える事も、この砂漠を旅する人が命を失う事もなくなるかもしれません。
 僕の夢は、アメフラシに頼み、この砂漠に雨を降らせて貰う事で――」

 その為にお金を貯めているのですと、明々と燃える火に手をかざしながら虫は言いました。
 意外な虫の告白に、商人はすっかり驚いてしまいました。
 商人も、虫は自分と同じ守銭奴だと思っていたのです。

「それなら、その事をみんなに話して金を集めればいいではないか」
「それは出来ません」
 商人の問いかけに虫はキッパリと答えました。
「なぜ?」
「アメフラシの話しは、あくまで噂話ですから。
 本当はそんな生き物など、いないかもしれません。
 確かにみんなに話せばお金を出してくれるかもしれません。
 でも、アメフラシが居なかったら、みんなをがっかりさせてしまうでしょう?」

「だから、たった一人で金を貯めてアメフラシを探そうとしているのかね? お前は他の奴らに、なんと言われているのか知っているのかね?」  
「もちろん知っています。みんなが僕の事を嫌っている事も」  
 虫は事も無げに言います。

「お前はそれで平気なのかね。誰にも本当の気持ちをわかって貰えず、嫌われ、陰口を叩かれ、それなのに何故そんな奴らの為に苦労をしようと思える!」
 商人はまるで、自分のことの様に声を荒らげます。
 しかし、虫は笑顔でこう答えました。
「僕は、みんなの笑顔が見たいだけなのです。
 それに僕の気持ちは、今、あなたが知ってくれました。それで充分です」

 虫の言葉に商人は、二の句を次ぐ事が出来ず、やがてぽろぽろと涙を流し始めました。
 今まで、五十年以上もお金を稼ぐ為だけに働いてきたのです。
 誰も信用せず、お金だけを信じてきたのです。
 なのに、自分の小指程の大きさしかない虫は、みんなに忌み嫌われながら、みんなの為に極寒の中、寒い思いをしてお金を貯めている。

 それで商人は、とても惨めな気持ちになってしまったのです。

 商人が突然ぽろぽろと涙を流し始めたので、虫は驚いて、おろおろと商人に尋ねました。
「なぜ泣くのです? 僕はなにか酷いことを言ってしまいましたか?」
「いや、そうではない。そうではないよ」
 そう言って、しばらく泣き続けた商人は、ようやく落ち着きを取り戻すと、虫に向かってこう言いました。
「虫よ、ここにワシが今まで稼いだ金が沢山ある。その金をお前にすべてやろう。お前はその金で、アメフラシの所へ行っておくれ」
 商人は、大事に懐にしまっていた、金貨が沢山入った袋を取り出しました。

 虫は、驚いたように商人の顔を見つめましたが、やがて静かに頭を横に振りました。

「それは出来ません」

「なぜだ?お前の夢の為にワシの金を使っておくれ」
「僕は自分の力で夢を叶えたいのです。どうかあなたは、あなたの夢の為にお金を使ってください」
「なら、他の事で何かお前の役に立てる事はないかね? なんでもいいんだ。ワシはお前の夢の役に立ちたいのだよ」

 商人の申し出に、虫は少し考えてから、こう言いました。

「では、あなたの頬に残っている、その涙をこの瓶に分けてください」
 そう言って、空の小さなガラス瓶を取り出しました。

「実は、この瓶が最後の瓶なのです。それを売れば、目標のお金が貯まります。しかし、今日はこれ以上夜露を集める事が出来ません。だから、あなたの涙をこの瓶に分けてはくれませんか?」

「ワシの様な男の薄汚れた涙など、とても飲む事など出来まい」
「いえいえ、僕には匂いで解かります。あなたの頬の涙は、この砂漠の夜露と同じ位に澄んでいます。どうかその涙を分けてください。お願いです」

 そう言われて、商人が自分の頬に残っている涙を小瓶に入れてやると、小さなガラス瓶はすぐに一杯になりました。
 虫は嬉しそうにどうもありがとう。と、礼を言いました。
「これで僕は今日中には旅に出る事が出来るでしょう。あなたと出会わなければ、出発がもう一日延びてしまうところでした。本当にありがとうございます」
 そう言うと、虫は商人に深々と頭を下げて体に縛り付けた二つの小瓶を引きずって歩き始めました。

「虫よ!」

 虫が振り返ると、商人は笑顔でこう言いました。
「ワシの夢が見つかったよ」
「ほう、どんな夢ですか?」
「ワシはいままで稼いだ全財産で、買えるだけの果物の苗木を買おう。
 そうして、お前がアメフラシに会ってこの砂漠に雨を降らせたなら、苗をこの砂漠いっぱいに植えよう。砂漠の者や、旅の者が決して飢えることのない様に」

「それは、素敵な夢ですね」
 虫は、笑顔でそう言うと、もう一度商人に深く頭を下げて、ガラス瓶を引きずりながら砂の向こうに消えていきました。

 商人は、虫が見えなくなるまで見送った後、まだ寝惚け眼のラクダを起こして、出発の準備を始めました。
 いつの間にか夜は明け、朝日が顔を出し始めています。
 朝の光をまっすぐに受けた商人の眉間に、もう深い縦皺はありませんでした。


 西の都と東の都の間には、とても大きな砂漠が広がっています。
 その砂漠は多くの旅人や、そこに暮らす多くの生き物たちの命と笑顔を奪ってきました。
 しかし、もしかすると大きな砂漠は大きなオアシスとなり、そこに沢山の笑顔が生まれる日が来るのかも知れません。

 いつの日か…いつの日か。

                                                                   おわり


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フォルダーを整理していたら、昔書いたこの話を見つけたので、加筆修正してアップします。
楽しんでいただけたら嬉しいです。(*´∀`*)ノ

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