みさきちたべにっき2【小説】

 三月になり、日中暖かい日が随分と増えた。

 まだ、朝晩はコートが必要だけれど、昼間はシャツにジャケットだけで十分な日も多くて、通りにいる人の数も増えてきたような気がする。

 ミサも、そんな春の陽気に誘われた一人だった。
 食道楽で飲んべえ。友人からはオッサン呼ばわりされている彼女は、冬の間、会社絡みの飲み会以外では殆ど外出することなく部屋にこもっていた。

 彼女のもう一つの趣味は読書なのだが、読書家が集まるSNSでお気に入りのレビュアーさんから教えてもらった、池波正太郎にすっかりハマってしまい、「仕掛け人梅安」「剣客商売」「鬼平犯科帳」計五十一冊の文庫本をひと冬かけて読破したのだ。
 とはいっても、彼女はことさら時代劇が好きなわけではない。
 池波正太郎といえば、ファンのあいだでは食通として知られ、作品内で主人公たちが食べる、四季折々の食べ物の描写が読者の胃袋を刺激することで知られている。
 「食道楽で飲んべえ」のミサが彼の作品に興味を持った最初の理由もまさにそれだったのだ。


 三月も中盤に差し掛かった土曜の昼下がり。
 ミサは散歩がてら夕飯の買い物をしようと、薄手のジャケットを羽織って外に出た。
 最初は、アパートから歩いて十分ほどのスーパーで買い物を済ませるつもりだったが、春の陽気に誘われるままに駅前の商店街まで足を伸ばすことにした。
 道に沿って伸びる用水路を遡るように歩く。
 この用水路沿いの土手には街の人たちが植えた桜並木があって、満開の頃になると地元住民だけでなく、ちょっとした観光スポットとして近隣の町からも人がやってくる。

 さすがにまだ桜の時期には早いけれど。
 それでも、枝には青葉がついていて、寒風に耐えながら待ち続けた暖かな日光を気持ちよさげに浴びている。
 よく見れば、枝の先には薄紅色の小さな蕾がいくつも付いていた。

「春が来たんだなぁ」

 その小さな蕾に春の訪れを実感したミサは、そう呟いたあと、自分が声に出していることに気づき、周りに人がいないか目の動きだけで確認する。
 幸い、周りに人はいなかったのを幸いに、ミサは小走りで目的の商店街へと向かった。

 駅前の商店街は、土曜日ということもあってずいぶんと賑わっていた。
 昔から地元に住んでいる人たちに言わせれば、「これでも随分と寂しくなった」のだそうだが、この街よりも田舎から出てきたミサにしてみれば、まるで祭りのような賑わいで、その活気を眺めるだけでテンションが上がってくる。

 かまぼこ型のアーケードの中を、特に目的も決めずに歩いていると、威勢のいいダミ声に呼び止められる。

「らっしゃーい。ほら、そこのお姉さんも見ていってちょうだいよ」
 思わず声の方に目をやって、白髪まじりの魚屋の大将と目が合ってしまった。
 そういえば久しく魚を食べてないなーなどと思い、誘われるままに魚屋の店先に近づいていく。

 イナメに浅蜊(あさり)、イサキ、うるめ、鰹(かつお)にマスに鱚(きす)、金目鯛、車海老などなど、店頭の台の上に並ぶ魚たちはどれも、ひと目で新鮮だと分かる。

 その中で一際ミサの目を引いたのは、ザルに小分けにされた小さなホタルイカだった。
 まるで、ほかのイカのミニチュア、いや、可愛らしくデフォルメされたマスコットキャラのような風貌がなんとも愛らしい。

「ホタルイカは今が旬だからね。目とエンペラの中の軟骨だけ取っちゃえばあとは丸ごと料理できるから、使いやすいし美味しいよ」

 ミサの視線の先に気がついた大将は、人懐っこい笑顔でそう言う。
 値札をみると一山十杯入って五百円。このくらいなら、一度で食べきれるだろう。

「やっぱり煮物ですかね?」
「そうなー、煮物もいいけど、あんまりクセがないからね。
焼き物に炒め物、酢味噌和えも美味いし……若い人なんかはスパゲティーに入れたりね」
「え? スパゲティー?」
「春の野菜と一緒に炒めるんだってさ。キャベツとか新玉ねぎとか、あと、菜の花とか」
 そういえば、テレビでそんなパスタを見たことがあるとミサは思い出す。
 確かペペロンチーノみたいに、にんにくや唐辛子と炒め合わせるのだったか。そういえば、手前の八百屋で菜の花を売っていたっけ。

 ミサの頭の中に、ニンニクと鷹の爪で香ばしさとコクを増したホタルイカと、菜の花のほんのり苦味のある春の味がいっぱいに広がった。

 ホタルイカと菜の花を調達したミサは、アパートへの帰り道、持っていたスマホでLINEを立ち上げた。
 読書系SNSの中で特に趣味の合う仲間と、新刊やオススメ本の情報交換、それ以外にも雑談などのやり取りをするためのLEINグループを作ったのだ。

『駅前の商店街で、ホタルイカと菜の花GET。今夜は春のペペロンチーノにしようかな♪』
 と打ち込んで送信すると、すぐに反応が返ってくる。
『おぉ、美味しそう!!(*´﹃`*)』
『春の味ですねー』
『うらやましーヽ(`Д´)ノ』

 そんな、仲間の反応の中に、kazuyosiからの書き込みを見つけ、ミサの心臓が跳ねる。
 kazuyosiは、ミサが池波正太郎のオススメ作品を教えてもらって以来、なにかとネット上でやりとりをする仲で、博識で柔らかな人当たりに、ミサが密かに心惹かれている人物でもある。
 といっても、まだリアルで出会ったことは一度もないのだが……。

『春のペペロンチーノ、美味しそうですね。^^ 
ホタルイカと菜の花のパスタといえば、こんなレシピもあるみたいですよ。
https://note.mu/w_interface/n/nbe603b5589c9?magazine_key=mf29884b1aa42
 』

 添えられたURLを見ると、以前、kazuyosiに教えられて登録した、『note』というSNSのものだった。
 自分の作品をアップしたり、その気になれば売り買いも出来るという新しいタイプのSNSで、プロアマ問わず、色んなジャンルのクリエーターが登録している。
 読書系SNSは字数制限があるので、kazuyosiは思う存分感想を書きたい時に使っているのだという。
 彼の感想を読むためにnoteに登録したミサだったが、自分も本の感想などもたまに上げていて、今では、kazuyosi以外にも、フォローしているクリエーターさんが何人かいた。

 リンク先をクリックすると、写真付きのnoteが開いて、『桜えびとシラスのコロッケ』と『菜の花とホタルイカのパスタ』の二品のレシピが写真付きで載っていた。
「なるほど、和辛子か…」
こちらのレシピでは、ニンニクと唐辛子は使わず、素材の味を活かすあっさり味になっていて、最後にワンポイントとして、
『辛味が欲しい人は、和辛子を入れてみるのも良いかもしれません。』
と、書かれていたのだ。

 アパートに帰ると、ミサはすぐに冷蔵庫を開けて、中を確認。
 野菜庫に先日使ったマッシュルームの余りと、チューブの和辛子を見つけた。
 家に帰るまでに、彼女の頭の中は『note』のレシピに占領されていたのだ。
 一番大きな鍋にたっぷりのお湯を沸かすと、塩を入れて小分けに切った菜の花をザルごと入れる。するとパッと色が変わり、鮮やかな緑色になった。
 菜の花を引き上げたあとそのお湯にパスタを投入する。もう一つのガス口でフライパンを温め、魚屋の大将に教わった通り下処理を済ませたホタルイカとマッシュルームをオリーブオイルで炒め、さらに湯掻いた菜の花も投入する。

 白だしを加えて、少し炒めたあとにパスタのゆで汁を入れて味をみる。
 塩味はバッチリだったので、そこにチューブから少量の和辛子を溶き入れて味見。ツンとした辛味が鼻腔を抜ける。唐辛子とは違った後に残らない辛味は、あっさり味のソースにピッタリのアクセントだった。
 まだ芯の残るパスタをフライパンに投入。アルデンテになるまでソースと一緒にさっと炒めて完成。お気に入りの皿に移すと、なんとも食欲を誘うビジュアルのパスタが完成した。

「美味しそう…」
 ミサは少し迷って、まずはW主演の一人、ホタルイカを口に運ぶ。
 柔らかな胴の部分をそっと前歯で噛む。

ぷちん。

 弾けた胴から出たコクのあるワタの味が舌の上に広がり、ミサは思わず仰け反り、吐息を漏らす。
噛み締める度にイカ独特の味わいにワタのコクが絡み旨みが増して、飲み込むのが惜しいような気持ちになる。
 名残惜しさを感じながらも、ホタルイカを飲み込んだミサは、もう一人の主役、菜の花を口に運んだ。

 ほろり。

 軽く歯を立てると、花と茎の部分がほどけて、野菜の甘味と微かな苦味が広がっていく。そのあとのシャクシャクとした茎の食感がなんとも心地いい。
「ほぁ…」
 と、思わず声が漏れる。
 そして、いよいよホタルイカと菜の花の旨みが染み込んだパスタをフォークに巻きつけて、そっと口に運ぶ。
 フォークから外れたアルンデンテのパスタが、戻ろうとする反動で、舌の上で暴れる。
 落ち着いたところでグッと噛み締めると、ホタルイカと菜の花の旨みをたっぷり吸ったパスタの複雑な味わいが口いっぱいに広がる。それぞれの個性を白だしとマッシュルームの旨みが包み込み、全てを一体にまとめているのだ。

 ミサはそっと目を閉じて、全神経をパスタに集中する。

 脳裏に春の景色が広がっていた。

 そこからはもう、ノンストップだった。
 ミサは、用意していたビールのプルトップを引き上げて、一気に喉に流し込むと、イカ、菜の花、パスタ、パスタ、イカ、イカ、パスタ、菜の花、菜の花、パスタ。
 次々と口の中に放り込んでは、噛み締め、味わい、飲み込む。
 みるみる、皿の上からパスタが無くなって、気が付けば、あっという間に完食してしまった。

「物足りない……」

 食道楽で飲んべえのミサは、実は中々の大食漢でもあった。
 それなのに、『春の味覚を食す』なんて風流なイベントに、山盛りパスタはさすがに女子としてどうだろう。などと余計なことを考えた結果、パスタを100gしか茹でなかったのだ。普段、軽く200gは食べるというのに。
 戸棚の中にポテチはあるけれど、せっかく口の中に広がっている春を、他の味で壊したくない。

「う~う~う~……う~…ん? あっ!」

 恨めしそうに空になった皿を眺めていたミサだったが、何かを思いつき、やおら立ち上がるとキッチンに向かう。
 そしてテーブルに戻ってきたミサが持っていたのは、昨日の会社帰りに、行きつけのスーパーで買った、ひと袋148円の食パンだった。

「ふふふ…」

 アニメの悪役のような笑い顔で、空になった皿の前に座るとミサは、袋の中から食パンを一枚取り出して、適当な大きさに千切ると、皿に残ったソースを染みこませて口に運ぶ。
「ムハー、まだ、ソースの味が残ってる! 美味しいー!!」

 なんか、色々台無しだった。

 ともあれ、夕食を済ませて、テレビを眺めながら残ったビールをチビリチビリ舐めていたミサは、そこで大事な事に気がついた。
「あぁぁぁぁ、写真! 写真撮るの忘れた!!」
 せっかくなので、LEINにパスタの写真を撮って上げようとしていたのだが、出来上がったパスタに我を忘れて、写真も撮らずに全部平らげてしまったのだ。

「いっそ、空の皿の写真を……っていうわけにはいかないか…」

 せっかくパスタのレシピを紹介してくれたkazuyosiに、出来上がったパスタの写真で女子力をアピールしようと思ったのに……。

「あーーーもう! あたしのバカー!」

 ミサの叫び声が、早春の宵闇に木霊する。

 早く来いと待ちわびれども、春はもう少し先らしい。


おわり


みさきちたべにっき(1)

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ならざきむつろ@noteイベント部さん企画、3月のマンスリーイベント、『春を待ちわびる』の後半戦、『春を待ちわびて』参加用に書きました。

 作中のリンクは、冬顔さん のレシピです。
 ホタルイカと、菜の花の組み合わせが、とても春らしくて美味しそうだったので、書かせていただきました。(*´∀`*)

ところで、僕はスマホも持ってないし、LEINってやったことがないんですが、おかしなところはないでしょうか?
もし、スマホやLEINはそういうの出来ないとかあったら、教えて頂ければ嬉しいです。

ではでは、(*´∀`*)ノシ


#春を待ちわびる #小説 #みさきちたべにっき

  


 



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