シオマネキヘッダー

摩訶不思議生物奇譚 第3話 ~夏と島にまつわる私の郷愁~

ぷらすです。
昨年夏に刊行のモノカキ★プロジェクト季刊誌「水銀燈VOL・2」に、僕も参加させてもらい、 以前noteで書いた小説「雨にまつわる、私の景色」の続編を書きました。

本作を含む3作は、「摩訶不思議生物奇譚」という名前のシリーズで、物書きの中年男「私」と、摩訶不思議な生態を持つ生物の出会いの物語です。

ちょっと長めの小説ですが、読んで頂けたら嬉しいです。(´∀`)ノ


1話 2話 4話
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 1

 空調の聞いた空港のドアを一歩出た途端、まとわり付くような熱気に私は早くもこの地に来た事を後悔し始めていた。
 一体何が面白くて、この真夏にわざわざ南の島に来なくてはならないのか。
 北国生まれの北国育ち。寒さには多少耐性があるが暑さにはからっきしで、気温が三十度を超えればグッタリしてしまって、何もする気にならない。
 なので、都会で心を病んで移り住んだ海沿いの町でも、夏の間はクーラーの効いた家に篭もりだというのに。

「すっかり元の引きこもりに戻っちまったなセンセー」
 知り合いの漁師、松本さんはそんな風に呆れるが、こればっかりは体質なのだから如何ともし難いのだ。

「そんな憂鬱そうな顔をしないでくださいよ先生」
 元凶である編集者の高山君はそう言ってカラカラと笑う。
「仕方がないじゃないか。私が暑さに弱いのは君が一番知っているだろう」
「そうは言っても、こればかりは自然の都合ですからね。僕にはどうにも出来ません」
 私の恨み言など意に介せずといった調子の高山君が二人分の荷物を持って、さっさとタクシーに向かって歩いていくのに、私はトボトボ続いた。

 自他ともに認める暑さ嫌いの私が、よりによって真夏の七月に南の島にやって来た理由は、昨年の梅雨の時期に遡る。
 都会から海沿いの町に引っ越してすぐに、私の家の敷地だけが謎の長雨に襲われるという事件があった。それはナマコの一種、アメフラシが私の家の軒下に迷い込んだのが原因だったのだが、その顛末をまとめた私のエッセイが思わぬ人気を得て、摩訶不思議な生態を持つ生物に関するエッセイの連載を得たのだ。

 その担当が件の高山君で、彼はネットを駆使して生物の情報を集め、現地との連絡及び同行、つまり私のお守り……いや、サポート役を編集長から仰せつかっている。

 生来の出不精で、一人では電車も満足に乗れない私にとっては有難い相棒だし、見た目はチャラいが仕事の出来る男ではあるのだが、神経質で物事をネガティブに捉えがちな私と、良く言えば大らか、悪く言えば大雑把で無駄にポジティブな彼の性格は全くの正反対。
「そのくらいで丁度いい」という編集長の鶴の一声で、彼が担当になることに決まったらしいが、私にしてみれば正直苦手なタイプだった。

  2

 空港のある本島から、タクシーとフェリーを乗り継ぐこと約四時間。
 私の目に、その島は何とも奇妙に映った。
 一見、普通の漁村のようだが、島の面積に対して町の規模がやけに小さいのだ。
 海沿いの平地は有り余っているのに家や店、学校や役所があるのは島の高台だけ。港からは、アスファルトで舗装された一本径が真っ直ぐ高台に伸びていた。
 普通なら家が立ち並んでいるだろう、道路の脇はほったらかしで雑草に覆われ閑散としている。まるで打ち捨てられた無人島のようだ。

「作ったところで全部沈んでしまうからネー」
 私の問いに島人独特の訛りで答えると、この道四十年のベテラン漁師の国仲さんは、煙草で黄ばんだ歯を見せて笑った。
 国仲さんによれば、一年に一度の大満潮の夜になると、町のある高台ギリギリまで水位が上がるのだという。

「元々、この島は標高が低いからネ。だからこの島で住める場所は、あの高台の一角だけサ。獲った魚はそのまま隣の島に水揚げして、大満潮の夜は、漁師はみんな船に乗って夜を明かすネー」

 不便ではありませんかという私の問いに、国仲さんは一瞬キョトンとした顔をして、その後あっけらかんと笑う。
「本州の人から見たら、そう思うんかネー。私らは生まれてずっと『そういうもん』と思ってこの島で暮らしてるからサ、これが当たり前なんだよネー」
 国仲さんの言葉と笑顔に、私は自分の愚問を恥じた。私の生まれた北国なら雪が降るのが当たり前だし、南国は暑いのが当たり前。地方によって其々の『当たり前』があって、人は皆、その当たり前の中に暮らしているのだ。それを不便と決め付けるのは、外にいる人間の傲慢というものだろう。

  3

 初めて見る南の島の風景は、まるで異国のようだった。
 コンクリートとレンガで作られた家々の塀、木造平屋の家には赤土を焼いた瓦の屋根が乗っていて、門柱の上には対となった獅子の像が置かれている。大きさも材質や色も、家によって様々だが、片方は口を開け、もう片方は口を閉じているのはどの像も共通していた。
 本州で言うところの狛犬、こちらでシーサーと呼ぶ二頭対の獅子像は、家の守り神。
 取材中、私たちがお世話になる国仲さんの奥さんが、口を開いているのがオスで閉じているのがメスだと教えてくれた。

 どの家にも塀や門はあるが、玄関の引き戸も掃き出し窓も全て開けっ放し。屋内に風を通して湿気を逃がしているのだという。私の表情から察したのか、島民はみんな知り合いだから泥棒に入られる心配もないと奥さんが笑って教えてくれた。

 確かに外は暑いが、一端家の中に入れば屋根が日の光と熱を遮り、屋内は常時風が通っているのでクーラーなしでも存外涼しく、私は田舎の生家を思い出す。
 ビーグという太いイグサを固く編み込んだ畳は、素足で踏むとイグサというより、竹や籐の様な踏み心地で、こっちの方が涼しいからと渡された、苧麻(からむし)というイラクサの一種から作られた布で織られた浴衣の肌触りとも相まって、実に涼しく居心地がいいのだ。
 高山君などは、さっさと着替えると畳の上に大の字になってしまい、慌てて詫びる私に奥さんは寧ろ嬉しそうに、あなたも良かったらと横になる事を勧めてくれる。 
 この大らかさは、この島の気候風土が育んだ、独特の文化なのかもしれないと、私はぼんやり思った。

 4

 高山君に揺すられて目を覚ます。
 どうやら、ここ数日〆切が重なった疲れもあり、小一時間ほど眠ってしまったらしい。いつもなら寝覚めに感じる時の体のだるさはなく、寝起きだというのに頭はやけにスッキリしている。
「先生、よく眠ってましたね。大きなイビキをかいてましたよ」などと高山君にからかわれたが、いつものようなイライラした感情も沸かず、寧ろその馴れ馴れしい物言いを好ましくさえ感じたのだ。視線を外に移すと、燦々と私たちを照らしていた太陽が少々傾いていた。

「夕飯までまだ時間があるそうです。どうです、島をグルリと一回りしてみませんか」と高山君。
 島自体は決して小さくはないが、高台に作られた町は狭く、歩いて回っても一時間もかからないらしい。
 少々面倒だとは思ったものの、遊びで来ているわけではない。
 取材がてら島の様子を見てみるのも悪くないと思い直し、高山君と二人、島の着物に島の草履を身に付け、デジタルカメラだけを持って散策に出てみることにした。

 国仲さんの家を出て、西に向かって歩き始める。
 もう夕方だからか人の気配は少ないが、軒先に座っているお年寄りと目が合って会釈をすれば、愛想よく会釈し返してくれる。

 そのまま島の西に向かって歩く。個人スーパー(というより小さな雑貨屋のようだが)と、島に一軒のスナックがあるだけの小さな小さな中心街を抜けるとすぐ、田んぼや畑が見えてきた。面積で言えば大きくないが、島民の食事を賄うには十分なのだろう。
 たまに、真っ黒に焼けた島の子供たちや島民と行き違うと、元気よく挨拶をしてくれたり、愛想よく会釈をしてくれるのが気持ちいい。
 そのまま進み、小さな雑木林(防風林?)を通る過ぎると急に視界が開けて、視界にオレンジ色に染まった海が飛び込んできた。

「おや?」
 ふと違和感を抱く。
 フェリーで到着したときより、海岸線が遠のいているような気がするのだ。
「本番の大満潮は明日ですが、今日も潮は結構高くまで上がってくるそうで。その分干潮の時間は潮が何時もより遠くまで引くんだそうですよ」
 なので、島の人たちは時間を見計らって海岸に出て潮干狩りに勤しむのだと、高山君が教えてくれた。僕がイビキをかいている間に、国仲さんの奥さんに訊いたらしい。

「この時間が一番潮が引いてる状態で、これから徐々に潮が満ちてくるんだそうです」
 そんな話を聞きながら島の西端に到着。
 木製の柵が設けられたそこは、島の展望台のようになっているらしい。
「先生、下の砂場を見てください!」
 先に先端に到着した高山君が、興奮した様子で私を手招きする。
 何事かと小走りに彼のもとに着いて、指差す方に目を向けて驚いた。

 眼下の砂浜一面が、赤、青、黄、緑、黒、ピンクなどの極彩色に彩られていたのだ。
 落ち行く夕日の朱に照らされた海岸は色硝子でも敷き詰めたように輝いている。
「これは一体……」
「あいつらが、明日の主役です」と言われてやっとピンときた。
「あれが全部シオマネキ…」
 シオマネキはエビ目、スナガニ科、シオマネキ族に分類されるカニの総称である。
 横長の甲羅をもち、甲幅は二センチから四センチまで種類によって差があり、成体のオスは片方の鋏脚が甲羅と同じくらいまで大きくなるという特徴がある。

 まだまだ謎の多いカニだが、オスは浅瀬に、メスはやや沿岸に生息していて、一年一度の大満潮の夜になると、オスが大きな鋏脚で文字通り潮を招き、潮の流れに乗ってやってくるメスと一夜の愛を育むのだと言われている。
 シオマネキは主に南の海を中心に生息しているのだが、中でもこの島は、そんなシオマネキたちの繁殖地として、その種類、生息数ともに世界でも有数のスポットであり、シオマネキマニアの聖地と呼ばれているのだとか。

 私が資料撮影用にと持参した、カメラの倍率を目いっぱいまで上げて極彩色の砂浜に向けると、そこには遠くの恋人を呼ぶように大きな鋏脚を振る小さなカニたちの姿があった。

 

 宿泊先の国仲さん宅に戻ると私は目を見張った。
 縦横幅がバラバラのテーブルが居間を仕切るように三つ四つ繋げられ、その上にテレビで見たことのあるご馳走が、これでもかと並べられていた。
 そして、そこには老人から子供まで近所中の住民たちが集まって既に宴会が始まっていたのだ。
 昼間静かだった国仲邸は、人の笑い声や、訛りが強すぎて聞き取れない島言葉が飛び交い、三線の陽気なメロディーや歌声に口笛、それに合わせて踊る人たちで何とも賑やかだ。

 そんな島人たちに混じって、調子っぱずれの踊りを披露する高山君を眺めながら、私は隣に座る国仲さんに、つい先ほど観てきた光景を話す。酒のせいか、珍しい光景に興奮したからか、いつもより饒舌な私の話をニコニコと聞いていた国仲さんは、

「じゃぁ、明日の大満潮はもっと驚くだろうネー。きっとこの世のものとは思えない光景が見られるサ、楽しみにネー」

と、悪戯っぽく笑ってみせたのだった。

  5

 そして、島滞在二日目の夜となった。明日の朝にはこの島を発つ最後の夜だ。
 国仲さんを始めとした漁師たちは、早朝から船に乗って沖に出ていた。
 干潮時には船着場の潮が干て砂浜になってしまうので、船を沖に避難させるのだ。
 昨晩、近所の人達と共に深夜まで飲んで騒いでいたというのに、何とも元気な事だ。
 というか、彼らにとってはあの宴会は特別な事ではなく、ほぼ毎日行われる日常なのだと聞き、昼までグッスリだった私と高山君を大いに驚かせた。

 そして深夜になると、私と高山君、国仲さんの奥さんだけでなく、島中の住人ほぼ全員が、西の展望台に集合していた。一年に一度の大満潮は、地元の人達にとっても大きなイベントなのだという。

 時間は深夜0時。
 西の展望台の柵ギリギリまで潮が満ちていた。
 下の平地からここまでの高低差は約三十メートル。いくら大満潮とはいえ、ここまで潮が満ちるとは思っていなかった私は大いに驚き、同時に、なるほど海沿いに建物が建てられないわけだと納得する。

「さぁ、そろそろ始まるよ」
 隣に座っていた国仲さんの奥さんが、小声でそう言って眼前に広がる大海原を指さす。

 突如、真っ暗な海のそこかしこが、突然淡い光を放ち始めたのだ。

 赤、青、黄、緑、ピンクの淡い光に、内側から照らされた海面はあまりに幻想的で、私は言葉を失う。
 まるで、海の中に天の川が流れているような神秘的な光景だった。
「シオマネキはネ、ツガイになると、ああして光るのサ」
 国仲さんの奥さんが解説してくれるが、私は目の前の光景に心を奪われ、あーとかうーとか、生返事を返すので精一杯だった。

 一体どれほどの時間、見蕩れていたのだろう。
 ようやく我に返って、辺りを見回す。

 光を指差してはしゃぐ子供、少し離れた場所でロマンチックに寄り添う若い男女、一升瓶に詰めた泡盛をコップに注ぎ、無言で杯を交わす年配の男性たち、海に向かって手を合わせ、口の中でムニャムニャと何かを唱えているお婆さん。スマートフォンで写真や動画を撮影しているのは、恐らく島の外から来たシオマネキマニアなのだろう。

 年齢も性別もバラバラの人々。だが、皆、思い思いに大満潮の海を眺めている。

 それはおそらく、何百年も続くこの島の人々の営みの一つであり、ある種の神事に近いものなのだろう。そんな事を思いながら、私は再び小さなカニが生み出す神秘の光景に目を戻したのだった。

  6

「いやぁ、シオマネキの回、読者に大好評ですよ先生」
 先日発売されたばかりの雑誌を持って高山君は、ホクホク顔でそう言った。
 七月の取材から二ヶ月が経ち、夏の刺すような暑さは幾分和らいできた。
 あの取材のあと、私はクーラーの効いた家に閉じこもるのを止め、家にいる時はクーラーの代わりに家中の窓を開け放ち、日が昇り切る前の朝方と日の落ちかけた夕方、散歩や買い物に出るようにしている。

 最初のうちは暑さに当てられバテていた体も次第に慣れ、クーラーによる体のダルさもなくなった。
 それでも、暑さがひどい時はクーラーに頼るが、開け放った窓から吹き込んでくる海風の心地よさを肌で感じるたび、島に流れるノンビリとした時間、国仲さん宅での昼寝や宴会、三線の音色、大満潮の幻想的な光景、それを思い思いの方法で眺める島人たちの顔を、昨日のことのように思い出すのだ。

 その度、郷愁に似た感情が呼び起こされるのは、島と人の引力なのか、それともシオマネキに招かれているからなのか。

 またいつか……。
 そんな事を思った刹那、窓から入り込んできた潮風が、そっと私の頬を撫でた。

おわり

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