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平成生まれのにわか野球ファンが,九州のライオンズを訪ねて博多まで行った話


「ライオンズは,私の中では今も"西鉄"」

ある年代より上の方とプロ野球の話をすると,こんなことを言われる.




「西鉄(にしてつ)ライオンズ」は,1951年から1972年まで,福岡の平和台球場を拠点にしたプロ野球球団だ.

1956-58年には,日本シリーズで巨人相手に三連覇を達成した,野武士軍団と呼ばれた強豪球団だった.

だが,栄光の日々は長くは続かなかった.

ライオンズはその後低迷し,1972年に西鉄が球団を手放した後,「太平洋クラブライオンズ」「クラウンライターライオンズ」と名前を変え,1979年以降「西武ライオンズ」となり,九州を去った.


博多区,ライオンズゆかりの櫛田神社境内で開催された「野武士軍団」展(筆者撮影)

平成生まれの私にとって,ライオンズが九州にあったのは,生まれる遠い昔のことである.

首都圏に住む私に,九州は遠い.(博多まで夜行バスで14時間かかった)

そんな,私にとって遥か遠い存在の「九州のライオンズ」だが,昨年12月に博多の西鉄グランドホテルで行われた「ライオンズOB会 大忘年会」に出席する幸運に恵まれた.

今回は,平成生まれの「にわか」プロ野球ファンが体感した,「九州のライオンズ」について書き記そうと思う.



大忘年会は稲尾さんを偲んで始まった

「九州のライオンズ」について書かれた本を読むと,決まって出てくるのは「鉄腕」稲尾和久さんの話だ.

東京生まれで九州となんの縁もゆかりのない,私の亡き祖父が稲尾さんのファンだったらしいから,往時は九州に限らず非常に人気を誇ったようだ.

絶対的エース,そして監督としても長年ライオンズを支え,「神様仏様」と謳われた稲尾さんだが,残念ながら2007年に亡くなられた.

その際,「九州のライオンズ」と「稲尾さん」を偲んで,ライオンズのOB選手が中心となり,大忘年会を毎年博多で開催するようになったそうだ.

2020年に中止になった以外は,毎年開催され,昨年は第14回目の開催だった.

九州時代のライオンズOBの方々.左から,安部和春投手,池永正明投手,
竹之内雅史選手,古屋哲美投手,太田浩喜選手(筆者撮影)

稲尾さんは,ライオンズに限らず九州のプロ野球に貢献した人らしい.

1978年に「ライオンズ」が福岡を去った後,九州は10年間,地元のプロ野球球団の無い空白地域だった.

その間,福岡のライオンズファンは平和台にたまにやってくる「ライオンズ」を熱狂的に迎え続けた.

黄金期を迎えた「ライオンズ」が優勝するたびに,福岡のラジオ局には「ライオンズをかえせ!」と連呼する楽曲が毎年のようにリクエストされたらしい.

そんな中,九州に「プロ野球球団を取り戻す」ため,球団移転の噂のあったロッテの監督になったりと,稲尾さんは精力的に活動を続けた.

その甲斐もあって,プロ野球球団誘致運動は実を結び,1988年に福岡ダイエーホークスが誕生,現在でもホークスは九州に根付いている.



「稲尾さん」と「平和台」,その場に不在のものを見つめて

大忘年会はまず,鬼籍に入られた関係者への黙祷から始まった.

九州からライオンズが去って43年,時の流れを感じずにはいられない.

「平和台球場」もなくなり,ライオンズを知る関係者も,年々鬼籍に入られ,九州のライオンズを偲ばせるものはどんどん減っていく.

しかし,だからといって「九州のライオンズ」が色褪せるわけではない.

会に出席した方々からは,「稲尾さんとの思い出」や「平和台球場での試合観戦」,「ライオンズの選手と飲んだ話」,「ライオンズがいかに地元の人と距離が近い球団だったか」など,まるで今でも「九州のライオンズ」があるかのような,熱い話を沢山聞かせていただいた.


昨年初めて博多を訪れた私には,生前の稲尾さんにお会いすることも,そして平和台球場で野球を観ることも叶わない.

だが,その場にいた方々が見つめる先に,「稲尾さん」も,「平和台球場」も,「ライオンズが九州にあった日々」の欠かせないピースとして確かに存在していたように感じた.

兵どもが夢の跡・・・平和台球場があったことを伝えるモニュメント(筆者撮影)


にわかプロ野球ファンが思う,プロ野球の歴史を学ぶ意義

私は,子供の頃はプロ野球に興味を持たなかった.

そのせいか,大人になってからプロ野球観戦を始めて早6年,プロ野球のことを知れば知るほど,自分は「にわか」なのだとつくづく思う.

なんたって,自分が知らないことの方が遥かに多い.

いつになったら「自分はにわかだ」という意識から抜け出せる日が来るのやら,それは分からない.

だが今回,博多まで「九州のライオンズ」を訪ね,自分が生まれる遥か前から,プロ野球はこの国に根付いてきた文化なのだと知ることができ,喜びを感じている.

それは,ホームランの数や優勝回数のような単なるデータではなく,プロ野球を通して紡がれた「人々の人生の物語」なのだ.

これからも,プロ野球の先人が紡いできた歴史に敬意を表して,日本のプロ野球を観続けていきたい.

参考文献

・『鉄腕伝説 稲尾和久:西鉄ライオンズと昭和』西日本新聞社,2007.
・河村英文『西鉄ライオンズ:伝説の野武士軍団』葦書房,1983.
・スポーツニッポン新聞西部本社編『記者たちの平和台』葦書房,
1993.
・豊田泰光『風雲録:西鉄ライオンズの栄光と終末』葦書房,1985.
・山室寛之『1988年のパ・リーグ』新潮社,2019.

#文春野球フレッシュオールスター2022  #プロ野球

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