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展示をしていて出会うこと①

備忘録です。
私、高尚なことは書けません。ご容赦を。お暇でしたらお付き合いください。

私が初めて展示というものに参加するようになって6年になります。
当時は一人氷河期でした。
年代的にも就職氷河期にあたる年代ではあるのですが、
私は就職活動を3年していました。
同ジャンルのサークルが自分一人になるまで
売れないジャンルで10年間同人誌(一人だから実質個人誌)を
作り続けて、かなり旬だった現在進行形の作品に出会って
どうしても本を作りたくなって1冊作って、なんと…
1冊も売れずに終わりました。
同時期、絵に少し踏ん切りをつけて、あるスキルを身に着けようと
真剣にスクールに通って、勉強も進めていた時期です。
学習期間が終わった頃、ひどい腱鞘炎に罹って当時していた仕事を辞めます。
そこから3年。かなり踏んだり蹴ったりです。
最初はそのスキルの仕事に応募していましたが書類で落ちるを繰り返します。
3年間で面接に繋がったのは両手で数えるほどもなかったと思います。
その間、父親の仕事を手伝ったり、
モチベーション落とさないために就労移行支援の施設に通ったり。
そんな3年目、pixivにメッセージが届きました。
京都でギャラリーをしている画家です。
展示に出品しませんか?というもの。
何つーか、今になってみれば本当によくある新興ギャラリーの営業メールでした。
テンプレートに名前書き換えただけの内容だったし。
でも、絵を見てくれたのかと当時はどん底にいた分嬉しくって
参加費が必要な事も同人活動してたので作品を出すには
場所代が必要なのは当たり前という頭だったので特に疑念は持たず、
2点描き下ろして出品しました。ここで初めて自分の同人誌以外で作品に値段をつけました。


「月下の君」
「髪結い」

デジタル作品で3000円くらいにしたかな。
ま、売れないんですけど。
返ってきた作品がどんな人たちに会ったのか感慨深く思ってました。
この仮称ギャラリーSO代表のK氏主催の展示にはその後も8回参加しました。
その3回目は別の京都のギャラリーでの展示で出品人数も多かったので
父親連れて実際に京都に見に行きました。
この時初めてギャラリーという空間に実際に足を踏み入れました。
ここのギャラリーYのご主人は明るく気さくな年配の素敵な女性で(K氏は不在だった)
こういう出会いが実際にはあるんだと印象に残りました。
この頃から東京での展示に参加してみたいと自分から情報を探し始めます。
(あ、仕事は京都行の前にようやく決まり、就業してました。その辺はまた後日書くかも)
見つけたのが今もちょくちょくお世話になっている銀座のギャラリーS-1での企画展でした。
この時もデジタル作品3枚。

「ひとつになるの」
「“居る”場所」
「迎え提灯~還れる者等と赦されぬ者等~」


実際に設営から参加して、終わりにはビールまで頂いて、
私が知らない事を皆さんいっぱい知っていて。カルチャーショックを受けたのを覚えています。

長くなりました。続きはまた後日。

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