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芸事の上達

もうすぐオーディオ河童かオーディオ天狗に昇格しそうですなぁ(挨拶)

実は人間の感覚器官は凄く優秀なので、真面目に2者比較をやると大抵の人は違いに気付く。そんなバカなと思う人は間違い探しとかをやってみるといい。じっくり見続ければ大抵の人は違いを見つけていくものだ。

が、そんな違いを一々精査しながら生きていくには人生という奴は短過ぎる。故に多くの人間は自分の自転車のギア比や駅のデジタルサイネージの色温度設定、街角の時計の僅かな時刻設定誤差なんかは気にせず生きる。僕らは薄らぼんやり生きているのだ。

が、うっかり違いに気付いてしまうとそうもいかなくなるのである。イシイのハンバーグで満足できてた人も、びっくりドンキーのハンバーグ食ったらやっぱりびっくりドンキーのハンバーグの方がうめ〜と気付いてしまう。先のスピーカーの話も……氏は自分の耳は大した事ないけどと謙遜しているが、いや、その……気付けるんだよ、普通の人でも。大部分の人が「気付けるから」色々な価格差の製品が出て来るわけでして。(良さが分からない、違いに気付けないと高額商品売れないんよ)

若年時、パソコンパーツショップの店員してたんだが、その頃大変難儀したのが3000円以下のサウンドカードの売り方である。あんなもんどれ選んだって差はねーよ!と考えたら最安値の商品しか売れないわけで、売れないと閉店後にやけに軽い売上金を夜間金庫に投げ込むことになり、副社長に「なんで売り上げ作れないの君たち?」みたいな顔されるんだわ。(ビデオカードみたいな数値的な違いが出せませんからなぁ)
だもんで、閉店後や開店前に新商品開封して音を聞くわけだ。このカードはどんな音出して他のカードとはどーゆー違いがあるのかなと。このスピーカーではどーやろか、こっちのPCに挿したらどーかしら?

試して行くと幾つかの指標も分かってくるのね。あ、このCDのライブ版のこの曲でこっちはスズムシの鳴き声聞きやすいとか、こっちの方がバイオリンの音響いてるとか。

俺らはぼんやり生きてるから差異を無視していられるのだけど、どんなボンクラでも意識をきちんと集中できたら差異に気付けるのである。嗚呼素晴らしき哉人体!

いやほんと。思い込みではない実際の話として、安物サウンドカードでもその差の話すると常連客とかと意見一致するんだもん。もちろん好み(音の作りだけでは無く、よく聞く音楽にも左右されるが)はあるけれど、それぞれの商品の個性に関しては見解一致しますからね。

オーディオマニアのおじさんは「耳が育つ」なんて言っていた。色々な音に触れてその差異に注意する様になると、耳がそれを聞き分ける事が出来るようになると。これはどの分野でもある程度は発生する事で、絵や花の美醜、香り……差異に着目して注意深く観察したら「良し悪し」が分かるようになって行くのである。これを「感性を磨く」なんて言う。

感性が鈍麻してると差が分からないから美醜にも気付けない。そして感性が鈍い奴にも理解できる「分かりやすい差」を作る事が横行してエキセントリックな尖りまくりの製品が横行するって寸法さ。

ニンニクマシマシアブラなんとかー

本来蕎麦の「蕎麦の香り」なんてのも、俺は通人だから分かるやで的なマウント取りのネタみたいなもんなんだが、最近じゃ「俺にも分かる蕎麦の香りがする」のが普通で、しないからここの蕎麦はなってないと更科蕎麦を貶すアホまでいる。普通感じられないもんなんだよ。それに気付けるから通なんであって、気付けないのは普通野暮天自称するようなもんだから恥ずかしくてやらんのやで。
つけ麺ラーメンでも「小麦の香りがー」みたいな事書く奴いるが、小麦の香りを楽しみたいなら濃厚魚介系とかつけ汁濃厚な店行かない方がいーと思いますよ。
小麦の味やら香りマスクされちゃいますから。

差が見出せるのが通人であると言う話が、何故か最近は「差が分かる店が良店」とかそーゆー話にすり替わってしまっている。一般人だけでは無く「それで商売する人まで」日本語が下手な小説作品を小説大賞に選んで書籍化するんだから話にならない。一般消費者はともかく、それを商売にしてる奴が商品をぼんやり選んでいては先行きが危ぶまれてしまう。

ガンプラ話なんかでも執拗に書いてるが、凡そ「創作」と呼ばれる作業で大切な事は「差を見つけられること」「その差が良いものか悪いものか見分ける事」「良い状態に近付ける技術がある事」の3つに大別出来るかと思う。

先ずは差異を見つける目を養う事だ。差が分からず同じものに見えてるなら良否判定なんて出来るわきゃない。

次にその差が良いものか悪いものか……これを判別しないといけない。差が感じ取れてもその差により「良くなってるのか、悪くなってるのか」分からなければ改善は出来ない。

この次に技術が来る。テクを磨きテクニックを駆使する前には上記2つをクリアしなきゃいけない。

ガンプラに限らず文章創作でも同じ事が言える。差を見つけてその優劣判断しなけりゃパクリすらできない! 日本語として破綻してる様な文字列褒めてる奴は日本語すらマトモに読めない書けないド低脳である。愚鈍と言って差し支えない。

まぁ、これ大賞に選んだカクヨムの編集も小説版サブタイで「魔法使いたい」とか平気で通すバカだからしゃーないのだが。普通のネイティブ日本人なら「魔法使いたい」と書くだろう。

「魔法使いたい」と「魔法使いたい」のニュアンスの違いが分からなければどちらにすべきか判断つかないし、判断できなきゃ推敲も出来ない。感覚で分からないなら学術として「言語学」方面からアプローチする羽目になるんだけど、これはこれで大変な話である。助詞としての「が」と「を」のニュアンスの違いとして、例文のパターンだと「魔法が使いたい」の場合「(剣技や盗賊としての技術、或いは僧侶の祈りではなく)魔法が、(魔法こそが最強最上なのでどーしても)使いたい」という含意がある。しかし当該作では発言者は魔法にそこまで固執しておらず、毎日焼肉を食べるのが発言者の真の願いなんだから、比重的に「(使えるなら)魔法を使いたい(が、焼肉毎日食い放題出来るならどんな特技でも良い)」が妥当という事になる。

駄文になる訳である。この辺のニュアンス的な部分は偏差値50〜60前後の中学生でも感覚的に理解できるだろう。言葉で商売する連中が見落として良い間違いではない。 
商業出版だと刷ったら訂正効かずに恥かくから原稿は何度も執拗にチェック入れるもんなんだが、多分恥って概念もないのであろう。一般的には「恥知らず」というのは罵倒語の筈なんだが……


重ねて申し上げるが、一般人でも人間の感覚器官はかなり精巧で「きちんと意識を向けたら」差異を感じる事が出来る様に出来ている。いやホント、これ作り出した奴はネ申だわ。

何かの創作、芸事……武術だってそうだ。その違いと「どちらがそのイデアに近いか」が分からないと「上達」はない。違いに気が付きその違いの優劣判断が出来るからこそ我々は進歩する事が出来る。

感性が鈍いってのは実に致命的な話なんですなぁ。

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!