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人生の教養が身につく名言集

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⑴巨人の方に乗っているから、遠くを見ることができる

新歓書を読むよりもまず古典を優先をしよう。古くから評価されているロングセラーを読むことは良いものが多いです。その内容は人間の本質をついているものが多く、今の生きる私たちの栄養源となってくれます。

偉人の考え方、偉人の知識はいわば巨人の肩に乗ることです。0から全てを自分で考えることは、とても大変ですし、そもそも不可能です。しかし、本を読み知恵をつけることで、その恩恵を受けることができます。


⑵天知る、地を知る、我知る、子知る

「愚痴をいう」「他人を妬む」「誰かに評価して欲しいと願う」。。人生を無駄にしたければこの3つをどうぞ。というブロガーがいます。この欲望を克服するのはなかなか難しいですよね。官僚のAさんの元にBさんがやってきて賄賂を渡そうとします。Bさんは「我々以外誰も知りませんから」と引き下がりません。

Aさんは「いいことをしても悪いことをしても、まず天にいる神様が見ている。次に地面にいる神さも見ている。そして何よりも自分が見ている。そしてあなたも見ている」他人が気付くのは最後なのです。いつ気づいてくれるのかもわからない。他人は、はなから当てにしない。それよりも天と地と自分が知っているということに満足する。この3つがあれば十分じゃないか。という意味です。

人からよく見られたいとか褒められたいという気持ちは、人間の心が病む原因の一つです。そして心が病めばだんだん体も病んできます。とはいえ、確かにそうだと頭でわかっていても、やはりまだ、「天知る、地知る、我知る」だけでは満足できないという人がいるかもしれません。

解決方法は簡単です。
今やっていることをより面白くするだけ」です。
人からよく見られたい。褒められたい。というのは、結局のところ自分が今取り組んでいることに熱中できていないからです。

これほど面白い仕事はない!と思って夢中になって取り組んでいるときは人からどう見られようと思われようとたいして気にならないですよね?

人間はすごく小さなことでも面白がることができる動物です。血眼になって面白いことを探さなくても大丈夫です。そして、人生のいろいろなことを面白がれるようになると、冒頭の「愚痴を言う、他人を妬む、他人に評価して欲しいと願う」の3つが遠いことのように思えてくるはずです。


⑶人間死ぬまでは、幸運な人とは読んでも、幸福な人と申すのは差し控えねばなりません。


紀元前6世紀ごろの話です。アテネの政治改革者で知られる、ソロンが、王様クロイソスを尋ねます。当時クロイソスは、ギリシャ人の都市を次々と服従させ、領土を広げ、広大な富を手に入れていました。「我こそが世界で最も幸福な人間だ」と思っていたでしょう。

そのクロイソスが「あなたがあった人の中で最も幸福な人間は誰か?」と聞きました。もちろん自分のことだと答えることを期待していました。

しかし、ソロンの答えは異なるものでした。
ソロン「1番はテロス、2番目はクレビオスです」と答えました。理由は「見事な死に方をした人たちだから」でした。

その答えにクロイソスは大いに不満を感じます。誰よりもお金持ちで、有名な自分が名も無い富もない人たちよりも幸福度で劣るとされたからですね。

そこで、クロイソスは尋ねます。
「私自身の幸せはなんの価値もないと思われたか?」

答えはこうです。
「人生の一生は1日として同じことが起こることがではなく、その生涯は全て偶然である。今、運に恵まれているからといって、それが一生続くとは限らない。なので、その人間が幸せだったかどうかは、その終わり方を見るまでわからない。だからこそ、人間死ぬまでは、幸運な人とは呼んでも、幸福な人と呼ぶのは差し控えなねばならない」

クロイソスは現状では幸運な人とは呼べても、幸福な人とはいえません。ソロン曰く、見事な死に方をした人なのです。

実際、その後のクロイソスは幸運から見放されます。愛息を失い。ペルシアとの戦いに敗れ、国を失います。死ぬ瞬間まで何人も幸福であると言えないことがわかります。

これは、幸福問答と呼ばれています。
人生を楽しむことについて、人生の楽しみは喜怒哀楽の総量である。と筆者は述べます。
一般的には、楽しいことは多く、悲しいことは少なく、と考えがちです。しかし、それはそれで人生が味気ないものになってしまいます。やはり人生は喜怒哀楽があったほうが良いのではないでしょうか?と筆者は述べています。

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