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⑵ヒルティの幸福論、要約集(真理について)

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生きる上での真理について

『世には我々の力が及ぶものと、及ばないものとがある。我々の力の及ぶものは、判断、努力、嫌悪など、一言で言えば、我々の意思の所産の一切である。我々の力の及ばないものは、我々の肉体、財産、名誉、官職など、我々のせいでない一切のものである。我々の力の及ぶものは、その性質上、自由であり、禁止されることもなく、妨害されることもない。が、我々の力の及ばないものは、無力で、隷属的で、妨害されやすく、他人の力の中にあるものである。』

要約:世の中には「自分の力でどうにかなる」ものと「自分の力でどうにもならない」ものがある。自分の力でどうにかなるのは、「判断」「努力」「嫌悪」など、意思から生まれるものである。これは性質上誰にも妨害されない。一方、自分の力でどうにもならないものは「肉体(老化・死など)」「名誉」「官職」「財産」「他人の行動」など、自分のせいでないもの全てである。これは自分の力でどうにもならないので、妨害されやすく、無力であり他人ありきである。


『それゆえ、きみが本来隷属的なものを自由なものだと思い、他人のものを自分のものと見るならば、きみは障害に会い、悲哀と不安とに陥り、ついに神を恨み、人を託つとになるであろうことを忘れるな。これに反して、きみが真に自分の所有するものを自分のものと思い、他人のものを他人のものと認めるならば、だれも君を強制したり、妨害したりはしないであろう。きみはだれをも恨まず、避難せず、またどんな些細なことも自分の意思に反してなす必要はないであろう。誰もきみを害せず、きみは1人の敵も持たないだろう。そして、君の不利となることは一切、起きないだろう。』

要約:あなたが「自分の力でどうにかできない」こと(遺産、支援、他人の行動、名誉、評価、肉体、地位など)を自由なものだと思い込み、他人のものを自分のものだと思うなら、あなたは障害にぶつかり、悲哀と不安に陥り、神をも恨むだろう。もし、あなたが真に「自分の力でどうにかなる」ことだけを自分のものだと思い、他人のものは他人のものと認めるならば、誰もあなたを妨害したり、避難したり、一人の敵も会わられないし、あなたの不利なことは一切起きないだろう。


『それゆえきみは、努めてあらゆる不愉快な思想に対してこういってやるがよい。「お前は、お前が現にあるように見えるところのもの(現実)ではなく、単に考えられたもの(想像)に過ぎないのだ。」と。次にきみは、きみの採用した原則、ことに第一の原則に従って、それがわれわれの力の及ぶものであるかどうかを調べるがよい。そして、もしそれがわれわれの力の及ばないものであるならば、次の言葉を用意せよ。「それは、わたしにはかかわりがない。』

要約:もし、あらゆる不愉快なことが起きた時こう考えよう「自分が見えている現実のようなものは現実ではなく、単に想像に過ぎないのだ。」次に、それが自分の力でどうにかなるものなのか調べよう。そして、もし力が及ばないならば、こう言えばよい。「それは、自分にはかかわりがない。」


『欲望は、己を欲するものの獲得を約束し、己の厭うものに出会わないことを欲する。そして、欲望に欺かれた人は不幸であるが、しかし、自分の堪えがたいものに出会った人は、なおさら不幸であることを悟れ。さてきみが、ただ、きみの力の及ぶものの中で気に入らぬものだけを嫌悪するならば、きみは決して嫌悪すべきものに出会うおそれはないだろう。しかし病気や死や貧困を厭うならば、きみは不幸になろうだろう。それゆえきみは、我々の力の及ばないものに対して嫌悪の心を抱いてはならない。ただ、我々の力の及ぶものの中で、その本性にもとるものだけを、嫌悪するべきである。』

要約:確かに欲望が叶えられないのは不幸であろう。しかし、自分の堪えられないものに出会った人は、なおさら不幸である。あなたが「自分の力で変えられる」ものだけを嫌悪するならば、本当に嫌なことは起こらないだろう。しかし、どうにもならない病気や死、貧困などを嫌うならば、君は不幸になるだろう。だから、「自分の力でどうしようもない」問題を嫌ってはならない。「自分の力で変えられるもの」だけを嫌悪すべきである。



観念について

『きみによろこびを与え、利益を与えるもの、したがって君に愛せられるものについては、それが本来どのような資質を持つか、明らかにすることを怠ってはならぬ。そしてこの場合、ごく些細なものから始めるがよい。もし君が一個のツボを見るならば、その時君の見るものは一個のツボであると自分に言い聞かせるがよい。そうすれば、それが壊れても心の平穏を破ることはないであろう。もし君が妻子を胸に抱くならば、君の愛撫するものが1人の人間であることを、自分に告げるがよい。そうすれば、その人が死んでも狼狽することはないだろう。』

要約:あなたが愛せるものについて、それがどのような性質を持つかを明らかにすることを忘れてはいけない。もし、それがいつか壊れてしまうものだと理解していれば、壊れた時にそこまで心を乱すことはない。また、他人は自分の思う通りに変化するとも限らないし、ずっと同じだとも限らない。それを理解すれば、心の平穏を乱すことはない


『人を不安にするのは、事柄そのものではなく、むしろそれに関する人の考えである。だから、死は元来、それ自体として恐ろしいものではない、そうでなかったら、ソクラテスもまた死を恐れたはずである。死は恐ろしいもの妥当潜入的な考えが、むしろ恐ろしいのである。それゆえ、我々は、何物かによって妨げられ、不安にされ、あるいは悩まされたなら、決して他人を咎めてはいけない。むしろ責むべきものは、我々自身、ことにそれに関する我々の考えである。自分の不幸にために、他人を責めるのは、無教養者の仕方であり、自分を責めるのは、初学者の仕方であり、自分をも他人をも責めないのが、教養者の、完全に教育された者の、仕方である。』

要約:人を不安にするのは、実際に起こったことではなく、それに対しての考え方である。例えば、「死」自体は恐ろしいものではない。「死」は恐ろしいという先入観が怖いのである。我々は妨害にあった時、不安になった時、悩まされた時に、決して他人を咎めてはいけない。むしろ、自分の先入観を責めるべきである


『全て世間の事柄は、君の欲するままに起これよ、と望んではならない。むしろ世に起こることは、その起こるがままに起これ、と願うが良い。そうすれば君は幸福であろう。』

要約:全ての世間のことは、あなたの欲するままに起これ!と望んではいけない。むしろ起こるがままに起これ!と願うと良い。そうすればあなたは幸福である。



『病気は肉体の障害であって、意思の障害ではない、意思が自ら病気を呼び寄せない限りは。ちんばは足の障害があって、意思の障害ではない。何事かが君のみに起こるたびに、必ずそう言い聞かせよ。そうすれば、いかなる出来事も君に障害を与えぬことがわかるであろう。』

要約:病気は肉体の障害であって、意思とは関係ない。自分で病気だと思い込まない限りは。足の障害があったとして、それが意思の障害でないように。必ずそう言い聞かせよ。そうすれば、何もあなたに障害を与えないことがわかる。


あらゆる出来事に際して、わが身を省みて、これに対抗すべきどのような力を自分が持っているかを吟味するが良い。美しい人を見れば、君はこれに対抗する力として、自制力を、自分のうちに見出すだろう。困難な仕事に出会えば、根気を、屈辱を受ければ、忍耐を。このように自分を憤らせば、もはや観念によって心を乱されることはなくなるであろう。

要約:美しい人を見れば、対抗する力として自制力を身につけられる。困難な仕事に出会えば、根気が身に付く。屈辱を受ければ忍耐力が身に付く。このように憤らせれば、観念によって心を乱すことはなくなる。


『からすが鳴いて、不幸を告げ知らせたならば、君はそれに対する想像によって、自分を不幸にしてはならぬ。むしろよく分別して、早速こう確信するが良い、「私自身に対しては何事も告げられていないのだ。ただ、私の滅びやすい肉体か、私のごく僅かな財産か、あるいは私の名誉か、私の妻か子かに対して告げられているのである。私がそれをそうあらせようと思えば、私にとって全ては幸福の予言となるであろう。なぜなら、たとえ何が起ころうとも、それから利益を引き出す力が私にはあるのだから」

要約:不幸な出来事が起こりそうな時、それは自分自身に告げられたものではない。自分の肉体か、財産か、大切な人々か、名誉か、それら自分のものではないものに告げられたのである。それがわかっていれば、何が起ころうとも、そこから利益を引き出す力があなたはあるのだ。むしろ、全ての予言は幸福の予言となる。



失うことについて

何事につけても、「自分はそれを失った」と言ってはならぬ。「自分はそれを返した。」というべきである。君の息子が死んだなら、それは返したのである。君の財産が奪われたなら、これもまた返したのである。それを奪ったのは、確かに悪人である。しかし、送り主が誰の手を通してそれを取り戻そうとも、君に何の関わりがあろうか。彼がそれを君に委ねる間は、それを他人のものとして所有するが良い、一夜泊まりの旅人が宿谷をそうするように。

要約:何に対しても「自分はそれを失った」と言ってはいけない。「自分はそれを返した」というべきである。息子が死んだなら、それは返したのである。財産が奪われたなら、それも返したのである。確かに悪人が奪ったのかもしれない。しかし、帰ってくるものでもないので、もはや自分には関係ないのである。だから、所有していると考えないで「借りている」と思うと良い。


『もし君が、君の妻子や、友人が永遠に生きることを欲するならば、君は愚人である。なぜなら、君は自分の力のうちにないものを力のうちに持ち、自分の所有でないものを所有したいと思うからだ。同様にまた、君に子供がなんらの過ちをもおかさぬことを欲するならば、君は愚人である。すなわち君は、過ちが過ちでなく、何か他のものであることを望むからだ。これに反して、自分のなし得ることのみを成す時、君は何事もあやまたぬという目的を達することできるのである。万事の主人というのは、自分の欲するものを得、自分の欲しないものを避けうる人のことである。誰でも自由でありたいと思う者は、他人の力のうちにあるものを求めてはならず、また恐れてはならない。さもなければ、彼は他人の奴隷である。』

要約:自分の大切な人の永遠に生きていて欲しいと思うのは愚か者だ。なぜなら、『自分の力』の範疇を超えたものであるからだ。自分の子供が罪をおかさないように願うのも同様に愚かである。『自分の力』の範疇を超えたものを欲することが愚かなのである


『ある人が彼の息子を遠方に旅立たせたため、また彼の財産を失ったために、悲しんでいるのを見たら、この人は外的な事物を失ったために不幸になっているのだと、勝手に早合点してはならぬ。むしろ君は心のうちでこういうように心がけよ、「彼を苦しめているのは、この不幸な出来事ではない(なぜなら、多くの人々は、そうしたことのために苦しまないから)、それについて彼が抱く観念のために苦しむのだ」と。たとえ彼とともに泣かねばならぬ時でも、理性ある言葉を持って彼を癒すことを怠ってはならない。ただ心すべきは、君もともに心から嘆かないことである。』

要約:ある人が息子を失った。財産を失った。嘆いていたとしても、それが原因で悲しんでいると思ってはいけない。彼が苦しんでいる本質は、彼が持っている観念(思い込み、常識)のために苦しんでいることを理解しよう。たとえ、彼が泣いていても、理性ある言葉で彼を癒すことを怠ってはいけない。そして心すべきは、君もつられて嘆かないことである。



知恵について

『きみが智恵の正しい進歩を欲するならば、次のような誤った考えを、まずは取り除かねばならぬ、「自分の財産を不注意に取り扱うならば、やがて整形の道を失うであろう。自分の息子を罰っしなければ、彼は悪人になるであろう。」不安の心を抱いて贅沢三昧に暮らすよりも、怖れと憂いなしに死んだ方が優っている。自分が不幸になるよりも、自分の息子が悪人になった方が優っている。それゆえ、最も微小なものから始めるがよい。きみの油が溢れたり、君の葡萄酒が盗まれたりしたら、その時はこういうがよい、それだけの価で心の平静を買ったのだ、それだけの値段で魂の平和を贖ったのだ、と。何物もタダでは買えないのである。もし君が、君の召使いを呼ぶなら、それと同時にこう思うが良い、彼はそれを聞かないかもしれない、あるいは聞いたとしても、君の望む通りにしないかもしれない、と。これは召使いにとって相応しくないと君はいうであろう。なるほどそうかもしれない。しかし、君にとっては、彼のために心を乱されないことが相応しいであろう』

要約:正しい智恵を身につけたいならば、不愉快な出来事が起きた時、それは心の平安を保つための訓練を買ったのだ。と思うと良い。何事もタダではないのである人にお金を盗まれたら、それは自分が心の平静を保つために与えられた訓練で、その対価として支払っただけである。何かのため心を乱されないことが相応しい智恵である。


『もし君が十分な知恵の進歩を望むならば、外面的な事柄のために、もののわからぬ愚か者と思われることを、辛抱強く忍ばなければならぬ。物知りと思われることを願ってはならぬ。たとえ他人に、相当な人間と思われても、君自身はそれを信用するな。君は知らねばならぬ、内的な決意と外的な事物とをふたつながら同時に確保することは容易でない、むしろ、その一つを熱心に追求するものは、是非ともしばらく他のものをさしおかねばならぬということを。』

要約:十分な知恵の進歩を望むなら、愚か者と思われることを、辛抱強く耐えなければいけない物知りと思われることを願ってはいけない。逆に物知りと言われようとも自分はそれを信用するな





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