ミヅキ

高校生の私は、ふと目を開けると病室にいました。 統合失調症と誤診〜解離性障害、アスペル…

ミヅキ

高校生の私は、ふと目を開けると病室にいました。 統合失調症と誤診〜解離性障害、アスペルガー症候群、鬱病と確定的な診断を受けるまでの道筋。 そして現在周りからの支援を受けている私自身の今までとこれからを綴りたいと思っています(もしくは思っていません)

マガジン

  • 私の今のことや、他愛もない話

    体験記以外の私の今の話はここでしようかなと思います。近日ブログを新しく作り、そこで書くかもしれません。

  • 発達障害者の生きる道の模索

    私はアスペルガー症候群と診断されるまで非常に辛い道のりを歩みました。もし、これを閲覧している親御様がいらっしゃるならば、「子供の個人的特性にあった教育、支援が子供の健全な成長には最も重要であること」を私の人生を通して伝えられたらそれ以上のことはないと思います。

最近の記事

解離性障害と幻覚

解離性障害による幻覚は気持ちの悪いものや、気の落ち込むものが大半です。 最も嫌な幻覚の一つに、虫があります。 その虫達は私に最も強い恐怖を感じさせるように、 視界の端を這い回り、腕、足、背中にまとわりつきます。 虫は大抵黒く丸い、若しくは細長いです。 私は視力も悪いのですが、そのせいで遠くにある影は大抵虫と疑ってからそれとわかります。 他にも幻覚はいくつかあり、睡眠前後は誰もいるはずのない自宅に、 もう一人自分が歩いている足音に怯えることもあります。 とにかくあまりに無音に

    • 殺されかける

      仕事もやめた私は買い物に行く途中でした。 そして、急に体がふらっとしたと思い目が閉じて、もう一度目を開けたら、 病室で体を拘束されていました。 処方薬を大量に摂取したらしく、自傷痕もありあたりは血だらけだったということです。 そんなもん知るか!早く出せ!と私は抵抗し、看護婦に随分叱られました。 まあ本当に知らないのでお説教なんて意味ないんですよね。 何度も似たようなことが頻発し、両親どちらかがいるか入院するかして凌がないと、なにするか分からないという感じだったらしいです。 こ

      • 大きな過ち

        退院した私は、高校を卒業してすぐにパートで労働に赴き始めました。 しかし、ここでも私は自身の無能ぶりを世にさらけ出すこととなりました。 後にわかったのですが、私には労働に大切な能力が以下すべて欠けていたのです。 一、手早くこなす 多分パート労働なんてこれさえできればいいんでしょうが、早く早くと言われるほどできなくなります。 二、気を失わない 私は職場でここどこかわからなくなることが多々ありました。 時間が切断されていることに今なら違和感をはっきりと覚えます。 三、どん

        • 心を人に折られるということ

          卵巣腫瘍の一連の流れの後、高校一年の夜、両親に自分の幻覚の話をしました。そして明らかに他人と違うということも。 母はあっさりと私を精神科(A病院とします)まで連れて行ってくれました。 父はそれからずっと私を嘘つきだと思っているようです。 診察室では先生(X医師とします)と、何人かの看護師や心理士?が私の話を、特に余計な口も挟まず聞いてくれました。 私は淡々と、現実感のなさと幻覚、その他の違和感を話していたと思います。 始めは精神安定剤を処方されましたが、 暫くして統合失調症と

        解離性障害と幻覚

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        • 私の今のことや、他愛もない話
          4本
        • 発達障害者の生きる道の模索
          12本

        記事

          高校入学、そして急病

          私は底の底というような高校に入学しました。 どうせ不登校…と思いきや、それまでの学校生活と比べると非常にうまくいっていました。 何故勉強をしなければならないのかある日理解した私は、勉強詰めの毎日を送りました。 しかしそんな日々にある日稲妻のような出来事が襲います。 扁桃腺炎の長い高熱もひき始めた頃、私はいつものように布団から起き上がりました。 すると左下腹部から刺すような痛みを感じました。 最初は大した痛みではありませんでした。 少ししたら治るかな、という感じで十数分そのま

          高校入学、そして急病

          崩壊

          さて、ようやく中学時代の話にたどり着いたわけですが、 問題なのは私がこの頃のことを殆ど覚えていないということです。 ですから短くまとめてしまいます。 夫婦喧嘩の激しさと家に穴を開けて激しく叱られたのは覚えているのですが… 本当に覚えていないので特に書くこともないんですよね。 だから、後から聞いた話を少し。 中学一年で虐められ不登校になる。 フリースクールでも虐められて登校拒否。 三年になり出席数のためだけに約半年間だけ通った。 話すこともこれぐらいですね。とにかく覚えてい

          私のブログと彼氏のTwitter

          彼氏がTwitterを始めたのでここに記載します。 https://twitter.com/bilovwxwvolid よかったら覗いてみて下さい、よろしくお願いします。 私のブログはこちらです。 死ぬほどどうでもいいことはこれからはこっちで書こうと思います。 http://purpledame.hatenablog.com/

          私のブログと彼氏のTwitter

          精神障害者への福祉(私の場合)

          私が現在受けている福祉制度、サービスは、このようなものです。 皆様が各制度についてある程度はご存知だと思いますので、あまり深くは解説いたしませんがご了承願います。 精神障害者保健福祉手帳 一級から三級の階級があり(数字が小さいほど重度)、 医師の診断書等を添付して申請します。 条件を満たせば後日各都道府県ごとで送付されます。 継続を望む場合は数年に一度再申請しますが、階級が上下することもあります。 私の場合は現在は二級ですが、三級の時期のほうが多かったです。 これを持ってい

          精神障害者への福祉(私の場合)

          拒絶の反響

          時は過ぎ、私は小学五年生になりました。 担任もクラスも変わり、誰とも関わりたくなくなりすぐに不登校になりました。 担任は若い男性で、不登校の私に対して明らかに焦っていました。 そして決して学校には行きたくない私とは意思疎通が困難なようでした。 教頭も同じ気持ちだったようで、 家に押し入られて二人掛で車に放り込まれてそのまま学校まで連れ回され、 教室で説教をされるということが何度もありました。 私は不登校や学校を嫌うことが誤りという自覚がなければ、 おそらく一生その考えにな

          拒絶の反響

          現在の私とその周り

          投稿が滞り申し訳ないです。 大したことではないのですが、それでも疲労感に苛まれている毎日です。 タイトル通りに、現在の私の状態と、私の周りにいる人を紹介したいと思います。 私(ミヅキ) 平成生まれ。 現在の診断:アスペルガー症候群、うつ病、解離性障害 福祉の制度を使い、ヘルパーさんの力を借りて一人で暮らしています。 調理はまあまあ出来るのですが、片付けが大の苦手なのでヘルパーさんと一緒にやっています。 本当に誰もいないとゴミ溜めのようになってしまうかもしれません。 時間の

          現在の私とその周り

          虐めすら暖簾に腕押しのように

          小学校中学年に入ると、「タバコ臭い」「暗い」などの言い訳をしながら私に嫌がらせをする同級生が増えました。 それでも私の机に稚拙な悪口を書いた紙さえ入れれば皆満足なようでした。 二年からの嫌がらせの男の子は、クラスが違うのにわざわざ入ってきて、私の帽子に「ばか ぶす しね」 などとマジックペンで書いたりしたらしいです。その時に私が泣いて帰ってきたので両親が学校に相談したといいますが、私自身はその時のことは覚えていません。 私が泣いていた理由もさっぱり分かりませんし、そもそも嫌が

          虐めすら暖簾に腕押しのように

          入学式は現実が地獄に変わる日

          私はこれから始まることに比べればずっと穏やかな保育園を卒園し、 公立の小学校に入学しました。 始めは何も分かりませんでした。何故自分の名前が机に貼られているのかも、 何故その机の位置を変えることを考える人がいるのかも、 そもそもなんの理由があって書かされて、言わされて、周りに構われるのかも暫くは分かりませんでした。そういう世界だと気づいたのはだいぶ後のことです。 一年生の頃は早くに寝ているのに朝はフラフラでとても起きられなくて遅刻するという以外はそつなくこなすように過ごしてい

          入学式は現実が地獄に変わる日

          幼少期の両親との関係

          私の家庭はあまり裕福ではないことは、前の記事でも記載しましたが、 それは父の仕事上の失敗とギャンブル依存に主な原因があります。 私が一歳前から母は私が起きる前に仕事へ行き、父は私の世話をしていました。 父も母もかなり積極的な性格で、他人の曲がったことは許せないというような、そういう性格の持ち主でした。 二人共かなり頭がきれて、特に父は勉強が趣味というくらいの人でした。 しかし、父はあまり日常生活で私に注意を向けることをしませんでした。 元々シャツを出しっぱなしで服を着たり、服

          幼少期の両親との関係

          保育園時代の虐め

          私は保育園の頃から、意地悪な子供数人から虐められたり、 若い女性保育士から嫌がらせを受けていました。 キリスト教系の保育園で、十字を切る動きをしていたのも覚えています。 四歳(年中)の頃でした。私が給食を食べ残すと、給食の時間が終わってもずっと椅子に座らされたままでした。所謂居残りです。 食べるか保育士が根負けするかまでずっとこの状態です。 勿論他の子供は周りで遊んでいます。私と同じく食べ残した子供もです。 私は座らされている理由が食べ残しだと言われてもよく分かっていなかっ

          保育園時代の虐め

          言葉が出ない

          保育園には一歳前から在籍していて、うっすら記憶があります。 大抵は一人で「自分で作ったルールの中」「他人の干渉なし」で遊んでいたような気がします。 これは卒園後も続き、長い目で見れば今でもあります。 この頃に目が合わないなどのことがあったかはわかりません。 実は母子手帳を捨てられて、家族全員ある意味断片的な記憶しかないのです。 (この話は後日しようと思っています。) 一~四歳で特徴的だった所は、 「特定の音を嫌いパニックを起こす」 「未体験のものを非常に恐れる」 「全く話さ

          言葉が出ない

          誕生

          私は平成に生まれました。場所は近畿地方のとある市立病院です。 体重2600gほど。母が言うには「とても産むのが楽だった」そうです。 両親は私が生まれてすぐにそこを離れ、関東地方のある田舎に移り住みました。 この時から既に家庭は裕福ではありませんでした。 母は運転技術があったといえ、車で何時間もかけてカゴの中の私を助手席に置いて運転していました。 父は自身が失職している中で生まれた私に希望と期待があったように思います。 私はあまり泣いたりぐずったり、夜泣きをしない育てやすい子