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私が「映画えんとつ町のプペル」で号泣した理由

小4から興味本位で勉強し始めた英語がきっかけで、
「自分の居場所はこの町以外にあるのかもしれない」
そう思って留学や海外の生活に憧れを持つようになった。

でも私の地元は小さな田舎町。
都会に出ることすら大事(おおごと)なこの町の人に、
「高校は海外に進学したい!」
と夢を語りだした頃の私への反応は冷ややかなものだった。

今から15年前のことです。

それでも、
同じ街、同じ国の中で自分の人生を完結させたくなくて、
数え切れない数の留学エージェントの資料を読み漁り、
何度も母を説得し、
孤独に負けそうになったら当時出たてだったSNSの世界に仲間を探した。

そう、
当時のこの町は、
私にとっての『えんとつ町』、
皆が何の疑問も感じず上を見ない世界そのものだった。

結果高校留学は実現し、
帰国後はこの留学経験が自分の個性の1部として形成された。

ただ、大人になるにつれて、
自分人身が自然と『えんとつ町』の住人になっているとは気づかずに…

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この物語は、
空の見えない程の煙に覆われ、
星の存在すら知らない(信じない)町で、
星の存在を信じ、星を見に行く少年と親友のお話。

クライマックス終盤、
星の存在を否定する人たちに、
あるキャラクターが
こんなセリフを言う。

「これは、
違和感を覚えたまま、
ずっと行動を起こさなかった、
みんなの声よ」

違和感…
そうだ、
私は未だに留学した自分が『特別』であると思われるこの国に、
違和感を感じている…
あの時自分を否定してきた人たちは、
今でも同じことに対して否定や他人事な目線を持っている。

だが大人になってからの自分はどうだ?
周りが自分の存在を求めてくれたのには感謝する。
でも、必ずしもやりたいと思ってたことじゃないことを、
お金のためや、必要としてくれた感謝の想いだけでやっていたようにも思える。

「これじゃない感」のような違和感はとりあえず置いといて。

でも違和感と向き合わないと、
その感覚が残ったままの世界はそこに有り続ける。

そこに気づいた瞬間、
自分自身への悔しさで、
涙が止まらなくなった。
ピュアだった10代の時に出来たことが、
自然と出来なくってる自分への腹立たしさと、
この映画が代弁してくれた爽快感とで、
ただの『感動』という言葉では言い表せない感情がそこにあった。

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この物語は、
ファンタジーの仮面をかぶったフィクション。
だれが見ても、
何か響くものがある。

特に今年見ることに意味がある。
ウイルスの影響で、
この国に立ち込める煙は、
より一層厚くなったから。

"Believe. Even you're the only one."
「信じぬくんだ、たとえひとりになっても」

信じ、行動すれば、道は開ける。

来年はこの刺激を、行動に移して道を開けるといいな。
いや、開くんだ。

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自身のInstagramアカウント(@eri_0728)の投稿より引用。
この感動をインスタだけに留めたくなくて、note初めてみました。
これからは思ったことを思ったままに、メモようにマイペースに更新する予定です。

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