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あんまり引き寄せない。

こんにちは、ぷるるです。
私は昔から望んだものを引き寄せるのが、すこーしだけ得意です。
その力を使って、ちょいちょい願いを叶えてきました。

実例を少しだけご紹介します。


・小1の頃、習うことを許されなかったが、ものすごくバレエに、特にトゥ・シューズに憧れていたら、親戚のおじさんが買ってくれた。

・大学生の頃に漫画を1本描き、「知り合いに編集者がいたらなあ・・・」と思っていたら、東京に行った先輩が講談社の漫画編集者(先輩の大学同期)を紹介してくれた。

・雑誌でcoachの白い本革財布を見てすごく欲しいと思っていたところ、ハワイで結婚式を挙げた親戚が、出席お礼返しにそのお財布をくれた。


トゥ・シューズと編集者については、ねだったり頼んだりしていません。
まあ「今はバレエが好き」とか「最近漫画を描いた」ぐらいは言いましたが。

お財布については力を自覚していた頃だったので、意図して引き寄せました。

引き寄せるといっても、いつ、どのようにして、それが手元に来るかはわかりません。想定外のルートからやってくるのが共通していました。

このような力は本来、誰にでも備わっていると思います。
私はちょっとだけその使い方が上手かったのでしょう。最初から運動神経の良い子や歌の上手い子がいるように。

でも今は、意図してこの力を使うことはありません。逆に強く何かを願いそうになったら、意識を向けないように努めます。

それは私の人生が望み通り進んでいるからではありません。
もちろん普通に欲しいものや体験したいことはあります。
でもやっぱり、意識して引き寄せない方が最終的には良いように思うのです。

例えば先ほど挙げた3つの例ですが、この引き寄せが私を幸福にしたかというと話は別でした。まあ不幸になったわけでもないですが。

事の顛末を簡単にご説明します。


・バレエを習うことは許してもらえず、独学でやるも難しく、やがてただのインテリアになった。

・編集者の方は実に良い人で漫画を今後も見てくれると言ってもらえた。だが不安と恐れで自分から連絡を絶ってしまった。

・お財布の手入れを怠ったため、黒ずみがひどくなり使うのが恥ずかしくなった。


つまり、私は引き寄せたことを有効に活かせませんでした。

なぜなら自分の準備が何も出来ていないのに、『目先の欲しいもの』だけを引き寄せてしまったから。

そして、目先の欲望=本当に私が望んでいることでも、なかったからです。

漫画を描いたとき、私はもしこの道でやっていけたら幸せだと、心から思っていたつもりでした。
でも実際に編集者の方と対峙したら、私の中に湧き上がってきたのは激しい恐れでした。それは自分の表現をジャッジされることへの恐怖ではなく、万が一実現してしまったら・・・という恐れでした。図々しくも。

つまり私は若さにありがちな「特別な才能」への憧れから、そう思い込んでいただけでした。描きたいものも、自由業でやっていく覚悟も全然なかったのに。
本当に恥ずかしい思い出です。編集者の方にもお時間をとらせてしまいました。

あの時、うっかり才能の片鱗が見つからず本当に良かった・・・強がりではなく。


やがて私は「目先の欲望と心の奥の本心は違う」と思うようになりました。それなのに混同しがちだな、とも。

だからこそ強い意図で引き寄せると、本来の自然な流れをちょっと捻じ曲げてしまう気がします。

願いがあるなら、それに向かって今できることを地道にする方がいい。
いっときの強い欲望からは距離を置いて、自分の内側の自然な流れを、よく観察して沿う方がいい。

もしかして、行き着く先は自分の理想とは違うかもしれない。
けれど、その方がよほど幸福かもしれないのだから。

そんなスタンスに変わっていったのです。

まあ私は長期視点に欠けがちなので、使いこなすに向いていないだけかもしれませんが。


私は「人間万事塞翁が馬」ということわざが、とても好きです。

「人間万事塞翁が馬」は、「にんげん(じんかん)ばんじさいおうがうま」と読みます。「塞翁が馬」と表されることもあり、人の人生の幸・不幸は予測し難く、幸運も喜ぶに足らず、不幸もまた悲しむにあたらないということを意味しています。

Domani on lineより引用

本当にこの通り!と思うことが、人生において何度も何度もありました。

これからも引き寄せず、決めつけず、流れに任せていこうと思っています。

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