見出し画像

"相手の立場になって考える"の罠

こんにちは、ぷゆです。




相手の立場になって考える

ということを割と愚直にしていた。

が、私は勘違いしていたみたいだ。

相手の立場になって考えるというのは、相手の気持ちを考えようという意味だったのに、言葉通りに受け取ってしまっていたのだ。

相手の気持ちを想像したらいいだけだったのに、相手の立場になった私を考えてしまっていた。

共感をしないといけないのにこれでは相手との違いが浮き彫りになってしまうだけだ。

私だったらこうする、なのにあなたはこうするんだねと。

なぜこんなことになったか考えてみると、私はアドラー心理学で育ってきたので、課題の分離という考え方が身に染みてしまっていたのだ。

あなたの問題はあなたの問題。

私の問題は私の問題。

あなたはあなた、私は私。

でもそういえばアドラーは共同体感覚の話もしていたな。

そこまで落とし込めてなかったのかもしれない。

都合のいいところだけ切り取っていたのかもしれない。

やはり人というのは共感されたり、ちゃんと向き合ってくれてるなという感覚であったり、この人は私のことをわかってくれるという気持ちになることで信頼関係が築かれていくのだと思う。

私は私、あなたはあなた、と割り切りすぎるのも良くないなと。

自分と向き合うことばかりしてきたけど、他人と向き合うこともしていかないといけないみたいだ。

私自身が、他人にわかってもらえない恐怖に打ち勝ててないんだろうな。

完璧にわかりあうことなんてないかもしれないけどわかろうとする努力をしていこうと思う。

他人と向き合うって怖いし、大変だし、自分を曝け出さないといけないし、、

自分と向き合う次のステップに進めたということだと受け止めて、頑張ってみます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?