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余白のすゝめ 〜瀬戸内ライフで過ごした7days〜 

挨拶って、眉間にシワを寄せて、黙って会釈するものだと思っていた。

忙しい時は、時間を無駄遣いせずに、効率性重視。自分のお尻を叩いて、ヒィヒィ言いながら期日までに良質のアウトプットを出す。
それが正しい「仕事」のやり方だと思っていた。

Wi-Fiやクーラーのない環境なんて考えられない。それらは、現代の暮らしには欠かせないMUSTなものだと思っていた。

そんな私の固定観念を、見事にひっくり返してくれる場所に、出会った。

瀬戸内海に浮かぶ倉橋島。
その北端に位置する音戸町は、広島県・呉駅からバスで30分のところにある、海沿いの静かな町だ。


三歩歩けば、沢蟹と猫にあたる町

これが音戸町の第一印象。
「三歩歩けば」というのは多少大袈裟な表現かもしれない😅
だが実際、1週間の滞在の中で、沢蟹と猫に会わない日はなかった。

沢蟹がいたるところで道を横切る

排水溝から、沢蟹がのっそりと顔を出したかと思うと、私の存在に気づくや否や、ものすごい速さで道を横切り、道の真ん中にある別の排水溝へと消える。

滞在中、よく顔を合わせた親子猫

小さな子猫を従えた母猫が「あんたよそもんね」とでも言いたげに、品定めするようにじっと私を見つめる。
適正な距離間を1mmでも超えると、さささっと路地裏へ退避し、そこから振り返り、またじっと私を観察する。

ここには、自然と人間の適切な距離感があった。
迎合せず、争わず、ただお互いが「あるがまま」で存在しているだけ。
お互いの生き方を尊重し、程よい距離感を保つ。
この町では、人間同士の営みも、同じ感覚が共有されていた。

人と人の自然な営み

この町に来て驚いたのは、出会う人たち全員が、とにかく笑顔で挨拶を交わしてくれることだ。
いや、これ、冗談じゃなくて本当の話。
私の住んでいる八王子は、東京ではまぁまぁ田舎で、おそらく都内よりは人と人との距離も近い方ではないかと思う。
朝、散歩をしていると、常連同士は黙って会釈を交わす。まぁせいぜい、小さな声で「おはようございます」と呟くのが関の山だ。

しかしこの町では、道ですれ違えば、目が合えば、何の躊躇もなく笑顔で「おはようございます」と言葉を交わす。

あ、あれ?どこかでお会いしましたっけ・・?

思わずこちらがダジダジしてしまうくらい、まるで呼吸をするのと同じように、余所者の私たちにも、町の人たちは普通に挨拶を交わしてくれる。
そして十中八九、その後には軽い世間話が生まれる。

「今日も暑いですね」
「どこから来たの?」
「ここ、とても素敵なところですね」
「荷物、持ちましょうか?」

ある日の散歩での出来事。
国道沿いをテクテク歩いていると、道の反対側から見知らぬおじいさんがニコニコしながら手招きするのが見えた。
道を渡って、おじいさんのところに行ってみると、一軒家の前に置いていある水槽を指さして「亀がいるよ」と教えてくれた。
覗いてみると、体調20cm以上はある立派な亀が、水槽の中で活発に手足を動かしながら、口をぱくぱくさせていた。
どうやらおじいさんは、この一軒家の隣のアパートに住んでおり、亀の飼い主ではないらしい。
おじいさんは80歳であること、昔は呉市内で造船関連の仕事についていたこと、奥さんと2人暮らしであること、若い頃は飲み歩くのが好きだったことなど、5分ほど、なんやかんやと立ち話をした後、笑顔で別れた。

つまりは、こういうことなのだ。

話しかけたいから、話しかける。
好奇心をそそられたから、道を渡り、おじいさんと会話を交わす。
そこには義務も、しがらみも、余計なものは何一つない。
ただなんとなく、人と人が繋がり、自然な営みが生まれる。
都会では忘れてしまった暮らしが、この町にはある。

「なんとなく」が最強

私が今回泊まったのは「瀬戸内ライフ」というゲストハウス。
「ゲストハウス」という言葉をこの世に広めた、まちづくりのプロフェッショナル、中村功芳さん、こと、あっちゃんが営む宿だ。

瀬戸内ライフのリビングにあたる古民家。夏はかき氷もやってます♪


私が滞在していたお盆の期間中は、外国人の方や家族連れ、友人同士のグループ、カップル、一人旅の男性など、様々な層のお客さんたちが出入りしていた。
さらに「おてつたび」という仕組みを利用して、数日宿に滞在し、ゲストハウスのお掃除や発信などの「お手伝い」をする女性たちと、共に過ごした。
かくいう私も、あっちゃんの取材を兼ねて、ゲストハウスの宿業務を体験してみたい、という思いから、今回は取材+お手伝いの要素を含んだ滞在となった。

瀬戸内ライフには「洗濯船」と「文豪の部屋(家)」という、コンセプトの異なる2つの宿泊棟がある。(もう名前からしてワクワク感が半端ない😌)
ゆえに、寝る場所はそれぞれ異なるが、宿のリビングに当たる古民家には、いつも誰かがいて、食事を共にしたり、一緒に花火をしたり、何気ない会話を楽しむ場所となっている。時には仕事をしたり、読書をしたり、思い思いの時間を過ごす「憩いの間」でもある。


瀬戸内ダイアログビレッジのマップ

そしてあっちゃんのゲストハウスがある付近一帯を「瀬戸内ダイアログビレッジ」と名付け、まち全体が迎賓館、というコンセプトで、地域の方たちと旅人を繋げる、新しいまちづくりを実践している。
近くにあるスーパーを「冷蔵庫」、病院を「保健室」と例えるのも、実に面白い。

過去に何度かゲストハウスに滞在した経験がある私だが、今回滞在した「瀬戸内ライフ」というゲストハウスは、実に不思議な場所だった。

それぞれが持つ「個」を尊重しつつも、この場所に集う人たちには、お客さん、スタッフ関係なく、不思議な一体感があるのだ。

年齢も、性別も、性格も、経歴も、住んでいる場所も違う人間同士が一つ屋根の下に集まり、会って数時間、時には数分で、まるで家族のように打ち解け合い、会話を交わす。
もちろん、全員が必ずそうなるわけではないが、かなりの高確率で、多くの人が瀬戸内ライフの雰囲気に溶け込み、一体となって、自分の居場所を見つけている。そんな風に私の目には映った

その秘密はどこにあるのか。

取材も兼ねて、「おてつたび」で宿のお手伝いに来た女性たちに話を聞いていくうちに、ある一つの共通点に辿り着いた。
「なぜ瀬戸内ライフを選んだのか」という理由を聞いてみると「瀬戸内海という地域に興味があった」という声は多数あったものの、「瀬戸内ライフ」というゲストハウスを選んだ決定的な理由がないのだ。
「おてつたびの募集文を読んで、なんとなく面白そうだったから」と言う答えが、ほとんどだった。
かくいう私も、通常、ライティングの際に現地で1週間滞在して密着取材することは、今までにもほとんどない。
通常はzoomのヒアリングで済むところを、なぜか今回は「現場に行って、自分の目で見て、耳で聞いて体感したい」と、「なんとなく」思ったのだ。

この「なんとなくアンテナ」で集まってきた人たちだからこそ、醸し出す空気感があるような気がしてならない。
変に肩肘張らず、好奇心とフットワークの軽さゆえに、集まった人たち。その人たちが集まった時の化学反応が、また面白い相乗効果を生み出す。何より「面白がることが大切」と説く、あっちゃんのマインドが、同じ価値観を持つ仲間を呼び寄せているのかもしれない。

忙しい時ほど、余白を作る!

滞在期間の中日、私は煮詰まっていた。
インタビューの中であっちゃんへ投げかける質問も、いまいち冴えない。
あっちゃんの口からも「んーどうしたらいいんかなぁー?」という言葉が何度も飛び出し、インタビューの糸口を見失いつつあった。
仕切り直してインタビューを再開しようと、その日のインタビューは早々に切り上げた。

そして翌日。
「遊ばんといいアイディアが生まれんー!」というあっちゃんの一言に背中を押されるようにして、昼前から海へ繰り出すことに。
あっちゃんが大事にしていることのひとつに「三余」がある。
よく寝る、よく歩く、本を読む。
余白がなければ、良いアイディアも、面白い発想も生まれない、という考え方だ。

しかし、その日はお盆のピークにあたる日。
チェックインのお客さんも複数あり、寝具のセットや夕飯の準備など、宿は朝からお客さんのお迎え準備でバタバタしていた。

なのに😳、である。
我らは海に繰り出した。
オーナーであるあっちゃん、宿業務のお手伝いをする私、そして共犯者のMちゃん。

大きなレジャーシートを抱え、バスで40分ほど走り、桂浜海岸へGO!🚌💨

あっちゃんのお友達のジョージさんのところに立ち寄り、チリドックとルートビアで腹ごしらえをしたら、海岸へ移動。

アメリカンテイストを瀬戸内で。うまっ😘

海水浴の家族連れに混じって、ジーンズの裾をまくって膝まで海水につかる。ちょっと生あたたかい海水と、足元にまとわりつく海藻の感触。

うはー海だ。海に来たぞぉ⤴️

テンションが徐々にあがっていく。
周囲を見渡すと、半透明のくらげが、あちこちにゆらゆらと漂っていた。
そのくらげを、むんずと手で掴み、豪快に砂浜に投げる地元の猛者たち。
都会っ子の私は、漂うくらげを、おそるおそる人差し指でつつき、あ、意外に硬い、などと呟きながら、それなりに海時間を満喫していた。

海で一通り遊んだ後は、桂浜温泉へ。
この時点で、もう午後1時をまわっていた。
この時はまだ、頭の片隅に、宿に残してきたみんなのこと、インタビューが中途半端で終わっていることがひっかかっており、早めに帰らなくちゃ、という意識がどこかで働いていたと思う。

温泉からあがると、あっちゃんおすすめの「カフェスロー」へ。

店内もゆるり。時間の流れが変わるカフェスロー。

このカフェがまた、名前のとおり「スロー」であることを許可してくれる、なんともいえない素敵な雰囲気があるのだ。
最初は、今日はまだインタビューもあるし、酔っ払うわけにはいかない、と、スムージーを注文しようとしていた私は、メニューにふと「コロナビール」の文字を見つけ、何かが弾けた。

「やっぱりコロナビールにします」
「いいっすねー!」

コロナビールは瀬戸内レモンつきでした♡

フィッシュアンドチップスを齧りながら、コロナビールを喉に流し込み、カフェスローに並ぶ、インスピレーションをかきたててくれるたくさんの本たちをパラパラめくっていると、あっちゃんが急に「ふみさん、こんなのはどうだろう?」と、インタビューの続きを話し出した。
この内容が、私が欲しかった答えと重なり、早速そこからインタビューモードに突入。

撮影 by Mちゃん

あれよあれよの間に時間が過ぎていき、乗る予定だったバスを1本乗り逃し、結局、宿に戻ったのは18時近く😅
宿が忙しい最中、粛々と業務をこなしてくれたみんなには、平謝り🙏💦
笑って許してくれた優しい仲間たちに、全力でお返ししようと、エネルギー充填120%のライターは、夕飯準備と接客に闘志を燃やしたのでした😌

・・・という1日を振り返り、改めて感じたことは。

よ・は・く・の・た・い・せ・つ・さ。

余白の大切さ。
これに尽きる。

忙しい時、煮詰まった時、人はなかなか余白が作れない。
こんな時に、そんなことをしてる場合じゃない、とか、そんな時間があったら、少しでも先に進めるべき、とか、そういう思考回路になるのが普通だろう。

しかし、実際は逆なんである。
そういう時だからこそ、あえて、余白をつくる。
馬鹿になってみる。

ポイントは「思いっきり馬鹿になる」こと。
私の今回の例で言えば、カフェスローでコロナビールを飲まなかったら、今回のような感覚にはならなかったのではないかと思う。

ただ、自分に余白を作ることで、もし周りに迷惑をかけてしまったなら、そりゃもう平謝りに謝るしかない。
やってしまったことは仕方ないのだ。
で、その後、挽回すべく、精一杯頑張る。
そうすれば、大抵のことは許してもらえる。(ハズ😅)

義務と固定観念を取っ払い、「べきねば」を削ぎ落として思いきってダイブした先には、予想しなかったギフトが待っていた、今回の体験。

インタビューを通してあっちゃんとのダイアログ(対話)を重ねることで、いつのまにかわたしの中の「扉」が、大きく開いたのかもしれない。

インタビューの中で、あっちゃんが何度も口にしていた言葉がリフレインする。

100の理論より、1の体験。
余白が生まれれば、クリエイティブが研ぎ澄まされる。

さて、そんなわけで。
書きかけの原稿は、ちょっと横に置いて、今日も大好きなあの場所へ、散歩にでかけよう😌





















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