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暴太郎戦隊ドンブラザーズの話

今回は、前々からいわゆる"ニチアサ"と括られる番組が好きではあるが、今年の戦隊ヒーローがいっとう好きであるという、半ば惚気のような話を書き連ねて行こうと思う。

まず令和のこの世に井上敏樹の御大が脚本を担当するという非常事態に我々は感謝せねばならない。私たちのような者らは彼の脚本で育ったと言っても過言では無い。決して子ども向きとも言えないし、好みの分かれるアクのある作風であるが、我々には新しくも妙に懐かしいのである。私は元来より井上敏樹の言葉が好きなのだが、彼によって紡がれる言葉を致死量以上に浴びる羽目に、この、暴太郎戦隊ドンブラザーズの襲来によってなったのである。

いやしかし、半分も過ぎた頃、なぜこのタイミングでこのnoteを書いているのか。タロウとソノイがおでんを肩を並べて食したから?いや違う。

雉野つよしが、とうとう、ついに、人間の愚かしさを正しくやってのけたからである。雉野つよしは、普通のサラリーマンで愛妻家である。公式HPに失うものは何も無いとかなんとか書いてあって物議を醸したのももはや懐かしい(3月くらいに消えていた)。が、フリーター無職盗作疑惑指名手配犯等々濃ゆすぎる面子の中では、実に平凡極まりない普通の男だと言えよう。彼の普通故の失態というか、彼の狂気の片鱗はドン8話「ろんげのとりこ」で、ようやく視聴者の前に提示される。

「ろんげのとりこ」のあらすじとしては下記を参照されたい。

この回はインターネット(特にTwitter)においてかなりの物議を醸した。雉野の変身体である、キジブラザーをTwitterで検索すると

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こんな感じになっていたのは記憶に新しい。

そして、この回から犬塚と雉野の謎の友人関係についての物語が様々な物語と同時並行しつつも、緻密に、ゆっくりと紡がれていくようになる。

これは東映特撮以外でも言えることだが、物語が進めば進む程、大抵の場合その登場人物に関する情報が増えるため、キャラクターに厚みが出てくる。同時に、物語の受け手側も、それぞれのキャラクターに対しての思い入れなども段々と育っていく。

時は流れドン34話。雉野と犬塚は仲が良いんだ。雉野はみほが好き、犬塚は一年以上もかけて、無実の罪に問われながらも夏美を探していた。お互いの愛する人は知らないけれど、その愛の姿勢に共鳴して、彼の無実を信じて、頼って、頼られて……と、彼らの友情は確かに確実に構築されていった。そんな中でのことであった。

こんなことが起きてしまったのだ。

また彼は、善良な市民として、人間として、間接的に人間を陥れてしまったのだ。この、34話までに紡がれてきた事情を知らない人間からしてみれば、指名手配犯を警察に受け渡すだけという、実にヒロイックな行為をしているという所にも雉野らしさがあり、雉野のにくい所である。私はここで、何故かと考えた。脚本が井上敏樹だから?それはそうなのだが、井上敏樹がなぜ、雉野をそう動かしたのか。そこだ。

私はよく、同じくドンブラザーズの1人であるサルブラザーこと、無職の風流人、猿原真一のことを、変人の中の普通だから、変人だけど、変人だらけのドンブラザーズの中では普通の常識人に見えると言っている。

これを雉野に当て嵌めたらどうだろうか。雉野は普通なのだ。私たち、ヒーローじゃないものに最も近いヒーローなのだ。

ヒーローには自己犠牲が付きまとう。自分を犠牲にしてまで他者を守る責務がある。

雉野は私たちなのだ。ヒーローの物語を見ているから、彼のことを許されないと言うだろう。しかし、彼は人間なのだ。それも誰よりも平凡な。自分の命とまで称した愛妻を突然に奪われたら、当たり前だが話し合いなんかする余裕もなく、彼の元に居るのであれば、その場が無くなれば良いと考え、彼のウィークポイントである指名手配犯という要素を上手く使って彼女を取り戻そうとするという、彼の行為事態に、どこにおかしなことがあるのだろうか。彼と雉野が友達であるから?友情をとるべきなのか?

そんなのは長年ヒーロー像を刷り込まれてきた私たちのエゴだろう。

犬塚翼が雉野つよしの罠にハマった、最大の理由は、彼がヒーローだったからである。

いやしかし、

カラシ食って元に戻るソノイってなに?

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