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『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』の本放送が終わった

2023年2月26日、暴太郎戦隊ドンブラザーズの本放送が終了した。2021年末頃から、脚本井上敏樹、プロデューサー白倉伸一郎、長い雉、短い犬、頭のちょんまげ等等、なんか大変なことになっている!と特撮ヲタクをざわざわさせていた暴太郎戦隊ドンブラザーズの本放送がついに終わったのだ。私は雉野つよしが好きなので、縦軸の一つである所謂なつみほ問題(?)の結末について思ったことを、だらだらと書いていこうと思う。

①毒親育ちの雉野つよし

本題に入る前に、私がまず雉野つよしについてどのような解釈をしているのかということを明示しておく必要がある。概ね公式(テレ朝の裏噺等含)のまま受け止めているとは思うが、好き故に自分の好みに寄せて解釈をしている可能性がある。容赦願いたい。
まずドン24話「むすこ、ににんばおり」で発覚した、雉野の母親について記していく。この話は配達先の夫人に家出をした息子と勘違いされてしまった嘘のつけない桃井タロウに、二人羽織のように仲間が声を当てて息子になりきらせるという突飛な物語だ。その中で息子になりきるという本来の設定を失念した雉野が「ママ、子どもの頃から、ぼくのやることをなんでも反対して……」と夫人に対して自身の体験を述べている場面がある。この部分から、元々出来の良いとは言いきれない息子であっただろう平々凡々な雉野が、母親によって抑圧されていたことが推測できる。このような子どもは、反感の気もありながらもうまく母親の掲げたレールの上に乗ることが出来れば、それなりの生活は送れるだろうし、それこそ成果があれば親ではなくとも周りからはそれなりに認められ、自尊心が踏み潰されるようなことは無いのかもしれない。しかし、雉野は違った。実際に描かれていないため、言い切るのは間違っているかもしれない。しかし、一視聴者である私が違ったと言い切れてしまうほど、雉野には自尊心がない。事実ドン13話ではタロウに「自身の欠如」と雉野の欠点について言及されている。また、一貫して見られる愛妻みほへの依存や、時折確認されるイヤイヤ期の赤子のような行動(直近だとドン48話か)から、雉野が大人になりきれていない大人であることは明らかである。
自尊心がなく、大人になりきれない大人。特撮作品であるから多少表現が誇張されていることもあるが、雉野という男を抽象化してみるとなんとも平凡なものになる。普通。あくまでも普通だから雉野は異端なのである。

②肝心なところは何も語らない犬塚翼

「報連相」という言葉があるが、井上敏樹の脚本の中で生きる人間は「報連相」すなわち、報告・連絡・相談が本当に下手くそである。
犬塚翼が合流(ドン44話)してから一気に話が進んだとき、私は「犬塚翼、情報共有できるじゃん……!」と思ったがそれは大きな間違いであった。話がぐんぐんと進んだのは、彼がただ賢いだけであったからである。犬塚はドン45話で果華村で起きた出来事やそれ以前情報はその場にいたタロウには少しばかり共有していたが、留守番組であった猿原真一や鬼頭はるかには全く共有はされおらず、よく言えば周りを巻き込まずに、悪く言えば自分勝手に獣人問題を解決していた。故にこの獣人問題に関する一連の事柄が失敗していたり、犬塚がそもそも合流されていなかったりした場合、桃井が居なくなって何かがあった未来の真一、はるか(ドン43話)のいた世界の展開になっていた可能性もあったのだろうということが推測される。しかし、もし桃井が獣人に乗っ取られてしまった場合、犬塚という男が猿原やはるかにその情報を開示するかと言われると、そうは思えないのが現実である。
この犬塚の情報の共有下手は、最終回の夏美との別れまでの流れをみても遺憾無く発揮されている。一番それがよく分かるのはドン最終話「えんができたな」に描かれた夏美との別れの場面である。
まず、前提として犬塚の彼女である夏美は、獣人にコピーをされ眠りの森で眠る夏美を犬塚が救おうと一年間奮闘していたことを知らないことは頭の隅に置いておいて貰いたい。
夏美が開放された後、犬塚はソノニをキビポイント(戦いを重ねると貯まるポイント、使うと願いは叶うが、同時に不幸が訪れる)を使って助けたことにより、再び指名手配犯となってしまう。しかし犬塚はなぜ自分が指名手配犯になったのかを「話しても信じないさ」と犬塚は夏美に伝えることはしない。
そして極めつけに「いや、話さなくていい。言いたいことは……わかっている、お前のことならなんだってわかる」と、夏美になにも語らせず、二人の関係を終えている。犬塚と夏美の間で合言葉のように話される「などと申しており」という言葉は、犬塚の歯の浮いたような、地に足がついていない言葉をいなす役割があったのだろうと考えられる。他愛のないカップルの会話も、この最後の結末を見ると犬塚の語らない美学によっていずれ終わる関係の前触れのように見て取れなくない。さらに別れを切り出された後、犬塚は 「だが、不思議だな。俺はドンブラザーズでいたい」という台詞を吐いている。故に、二人の別れに対してなぜこうなったのか?と視聴者はなりにくく、キャラクターそれぞれの新たな門出を前向きに見られるようなある種の爽やかささえ感じさせるものとなっているのだ。

③鶴獣人は夏美の夢

鶴獣人は物語を紡ぐ。「みほは夏美の夢だ」と夏美をコピーした鶴獣人は言う。そして、夏美が目覚めた後も鶴獣人が見せていた夢を覚えていたことがドン48話「9にんのドンブラ」で明らかになっている。鶴獣人がみほとなり夏美に見せていた雉野との生活は夏美の夢であった。夏美が鶴獣人の見せた夢を見ているとわかった時、私はひとつ懸念した。もし、夏美とつよしが出会ってしまったらどうなるのだろうかと。肝心なことは何も教えてくれない彼氏(おまけに指名手配犯である)と夢の中で出てきた幸せな生活を築いた平凡なサラリーマン。結婚を考えるような現実に生きる女であったら、どちらの方が「優良」かは火を見るより明らかである。犬塚が一年間どれだけ夏美のために頑張っていたのかなんて、夏美は知る由もない。犬塚の頑張りを一年間見てきた私たちであるから、夏美はなんて女なんだと思うのかもしれない。しかし、夏美は何も悪くないのである。ドン36話「イヌイヌがっせん」にて、夏美のパトロンの存在が描写された。夏美が届かない高嶺の花であることは、犬塚の言葉からも明らかであって、このパトロン描写は夏美の価値を上げるために描かれたものである。それと同時に、彼女は愛に飢えていのではないかと私は推測する。犬塚の歯の浮くような抽象的な愛情表現よりも、雉野の不格好だが真っ直ぐで具体的な愛情表現の方が、彼女としても満たされたのではなかろうかと思うのである。


④普通じゃない男とソノニ

犬塚とソノニが逃避行を続けていることに、疑問は全く感じない。しかし、そこに疑問を持ち、恋愛感情の有無があるのだろうかと悩む者もいるだろう。これは、ドン44話「しろバレ、くろバレ」で犬塚がソノニに発した「よせ!話すな……来るな……俺を見るな……二度とお前には会いたくない!」というセリフをどう解釈するかによって生まれた解釈の違いである。解釈の違いは決して悪ではない。私のドン44話のセリフの解釈は、簡単に言えば犬塚の迷いである。遠くの親戚より近くの他人という諺もあるが、眠りの森で眠る夏美よりも自分のために身を呈した女の方に情が移るのは酷く自然なことである。しかし、犬塚という男は愛に生きる男。夏美への思いは固い。愛に生きると言ったが愛に生きたい男なのかもしれない。高嶺の花を追いかけ、愛を語る男でありたかったのかもしれない。それが彼の美学なのかもしれない。ソノニも、はじめはそんな愛に生きる男に恋をしていたのでは無いかと思う。きっと、ソノニは夏美が好きな犬塚が好きであっただろう。しかし、ソノニは人間として生きるように変化していった。それに乗じて彼女自身の思いも、犬塚という男そのものを気に入るようになっていったとは考えられないだろうか。犬塚は普通では無い。ヒロイックに、愛に生きている男を演じている。故に夏美からは別れを告げられた。極度のカッコつけ虫である。しかし、それは人では無いソノニにとってみれば憧れで、とてもキラキラしたものに見えるに違いない。このふたりの関係性が、性欲的な恋愛とは少し違う、プラトニックな好意を互いに寄せあうものとなれば面白いなと私は思う。

⑤井上敏樹の人間賛歌と件の結末

井上敏樹も白倉伸一郎も不完全な人間が面白いというスタンスを持っているというのは、彼らの作ってきた作品を見れば察することが出来る。暴太郎戦隊ドンブラザーズも例外ではない。まさに、なつみほ問題こそ人間の不完全さの象徴と言えるのではなかろうか。人間の心は移ろいやすい。そして現実を生きる人間というのはどうしたって利己的になってしまう。それは利他的な行為を行っていたとしてもだ。そんな、人間の完全さからは程遠い、揺蕩う煙のような気持ちを描いたのがこの問題である。私たちは戦隊ヒーローという特異的な作品に、少々踊らされすぎていたのかもしれない。ヒーローだって人間なのである云々と井上敏樹はよく言うが、まさにその言葉どおりの結末である。この最終話を見て、彼らの新たな門出を、私は心の底から応援したいと思うのである。

暴太郎戦隊ドンブラザーズ、永遠なれ。





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