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本にサインは貰うな

目下、断捨離の真っ最中です。

手放すと決めた本に貼っていた付箋を剥がしてから、他の方へと買い取って頂いたり、買取業者に引き取っていただいております。

何十ヶ所と付箋が貼られている本だと、それだけ気になる文章があったことの証左でありますが、剥がす作業は果てしなく続くように思えて、時に挫けそうになります。

とはいえ、少しずつ進めるとなんとか終えることが出来ます。

そうやってかつて私の脳内を刺激した履歴を示す付箋によって、その想い出を感じながら、手放す箱へと入れていきます。

たとえ付箋の箇所の内容を憶えていなくとも、付箋を貼る行為に至らしめてくれたことに感謝を込めて…。

そうやって付箋を剥がし続けることで、蔵書を販売出来る姿へと整えていきました。
次のオーナーへ受け取って貰えるように。

そんななか困った事態が生じてきました。

以前から、様々なセミナーへ赴いた際や、特別講義などでお越しになられたそれぞれ講師の方々が著された著書が手元には沢山あります。

それらは元々保有していた蔵書の一部であったり、場合によってはセミナーに合わせて予習を兼ねて入手した書籍です。

これらの著書には記念として、講演後やその後の懇親会の席上で、直接著者よりサインを頂いておりました。

この誰もが訪れる書店に普通に売られている本の著者に目の前でサインして頂くということは、何物にも代え難い至福の時間でした。

また書店などで開かれたサイン会で書いて貰ったサイン本も含まれています。

時とともに私の眼前を通り過ぎていく本達、これらを断捨離していく作業のなかでは、それがたとえサインを頂いた本であっても手放す対象になるものが出てきてしまいます。

だって我が家に永遠に置いておくとなると、それなりの空間を占めてしまいますから。

しかしそこで、いざ手放そうと思うと、『ある障害』が生じてしまうのです。

よくみる書店の棚に売られているサイン本と決定的に異なることは、私の名前が書かれているのです。

当時は『私だけに向けたサイン本』として、貴重なものでした。

でもそれがため、手放しにくくなってしまいました。

本を大切に思うので、次のオーナーに手渡って欲しい。ゆえに断捨離といえども本を捨てることはできない。
とはいえサインされたページを破ることも躊躇してしまう。

いまのフェーズになったから思うのですが、
『サイン本は貰うな→自分』
さもなくば手放せなくなるぞ。
と当時の自分に言いたいです。
そういってもその当時は狂喜乱舞していたのだからなぁ。

おしまい

最後までお読みいただきありがとうございます。 いただいたサポートは麦チョコ研究助成金として大切に使用させて戴きたいと思います。