丸山真男『「文明論之概略」を読む(上)』岩波新書

第1講 幕末の知識人
福沢諭吉と荻生徂徠に感ずる共通点
「天保の老人」
徳富蘇峰は『将来之日本』と『新日本之青年』でベストセラーになった。後者では天保の老人、と新日本の青年、という対比によって、明治維新に次ぐ第二の革命の担い手を後者に託した。徳富蘇峰は事実上幕藩体制を知らない世代。天保の老人とは、志士の世代、の人である。
天保の老人と、維新後派、の間に自由民権のイデオローグたちいる。
近代的知識人とは何か
近代以前の知識人とは、身分的=制度的インテリであり、その社会におけるオーソドックスな世界観の独占的な解釈者。近代の知識人とは、身分的制度的な錨付けから解き放たれ、またオーソドックスな世界解釈の配給者、という役割からも解き放たれた「二重の自由人」であることが条件となる。思想の自由市場で競い合うことが近代の誕生である。これは世界的に共通した現象。
東アジアで特徴的だったのは「開国」という現象。ここでは高度に発達した異質文明との急激な接触の時代を意味する。福沢諭吉はその翻訳者であり電伝播者であったが、福沢のヨコをタテにする作業は、他にも多くいた知識人とは質が違う。それは意識的意訳である。荻生徂徠は、和臭という言葉によって、無意識的意訳、つまり翻訳において日本的な考え方を無意識的に対象に投影し、本来の意味から外れてしまう、ことを指摘した。福沢諭吉は、意識的意訳、文化の伝統の深さの理解と異質性の意識をもった翻訳者であった。
維新知識人の二つの特徴
維新直後の知識人は、何でも屋であった。ブルクハルトのいうルネッサンス的普遍人である。何でも屋の特徴の一つは、儒教の読書人の伝統があったこと。君子器ならず、の伝統。もう一つは、幕末維新のける切羽詰まった要請が、彼らを何でも屋たらしめたということ。
 身分制から解放され、知識の自由市場の担い手という意味では、普遍主義的側面を持つ。しかし一方で、目的意識的近代化の役割を課せられる。それは日本の独立をいかに計るかというパティキュラリズムへのコミットメントとなり、こおにジレンマが存在する。ここに、選択的な近代化、何を優先するかという問いが出てくる。これが文明之概略論の大きなテーマの一つとなっている。
日本の近代のジレンマの一つは、西欧化と民族的アイデンティティの維持。もう一つは、制度的革命と精神革命のどちらを先にやるのか、というジレンマ。第三は国内の改革と対外的独立の間にあるジレンマであり、の位置に民権と国権の問題になっていく。4っつ目は、民主化と集中化のジレンマ。民主化とは市民平等、地方分権。対するのは政令の帰一。こうしてみたとき福沢が概略、の第一章で「議論の本位を定ること」を取り上げたことが理解できる。
 

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