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3/5は私のキャリアにとって大切な日

どーも!黒田祐加です。元アスリート、現在はテニスコーチや大会を作る仕事、プロモーションなどの仕事をしています。最近はアスリート委員会のキャリア部門に属しており、スポーツにおけるキャリアについてとても興味を持っています。
さて、今日はあまり得意ではない自分の話をしたいと思います。

出発の日

20年前の3/5の雪の日の朝、私はオーストラリア、アデレードに向けて1年のテニス留学のため出発しました。その4日前に高校の卒業式を終えたばかりだったので、寂しいのと不安なことが大きかったのですが、ちょうどその日は大雪が降り、フライトの30分前(国際線なら基本2時間前には空港にいなければいけない)に到着・・・。高校の時の友達が10人くらい見送りに来てくれたのですが、別れを惜しむ間も無く、旅立ったのを今でも鮮明に覚えています。笑 
「出発できたしやるしかないな!」と飛行機の中で腹を括りました。

なぜ大学進学を選ばずにオーストラリアを選んだのか?

それは、話すと長くなりますが、簡単に答えると2点。
・その当時の日本の大学女子テニスを見て、憧れるようなテニスをする人がいなかった。(生意気ですみません笑)
・人生1回きりだから、勉強より先に優先したいのはテニス磨きたい
これが私をオーストラリアという選択をした理由です。ただ、これには両親の大きなアシストがありました。
その当時はジュニアで結果を残した選手が華々しくプロへ転向していました。それができるのは一握りで、それ以外は日本の体育会の大学へ進学という道くらいしかありませんでした。そこをオーストラリアでのテニス留学できるキャンプを見つけて選択肢に入れてくれました。
選択肢の幅を広げてくれたのは両親だったのです。このことには本当に感謝しています。

当時の私のキャリアは・・・

では、元々、海外のジュニアキャンプに参加した経験が豊富なのでは・・・?と思われますが、18歳になるまでに1回だけ・・・。小6の時にアメリカに1週間テニスキャンプに参加させてもらいました。
ちなみに私のジュニアの時の全国大会最高成績は、U14の時にダブルスでベスト4!以上です笑 全国大会には出場していましたが、全国で勝てる選手でがありませんでした。
当時の私のキャリアが誰もが羨むようなものは何もなく、好奇心は旺盛で、「普通」ということに抵抗がある性格だったと思います。

今現在からも振り返ってみて

20年前の自分に伝えたいことは、
「この道で合ってたよ!全部が楽しい道ではないけど、このオーストラリアでの経験は20年経っても経験してよかったと心の底から思える留学だよ!」
と伝えたいです。


現在、アスリートのキャリアについてとても興味を持っています。勉強しながら、このnoteで伝えられたらと考えています。


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