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八上比売を嫁にもらう(3)

古事記に登場する姫の中でもっとも美しいと評判の八上比売(ヤガミヒメ)と結婚するのは、仲間からはクニちゃん、兄弟からはクニと呼ばれる大国主命。しかし結婚には分厚い障壁が。それは彼の兄さんたち、八十神の存在。

思惑が交差する宴席

「みなさま、すぐに宴が始まりますので、お席でお待ちください」
館のスタッフが一行に告げ、八十神達はブツブツ文句を言いながらも席に着いた。
「クニのヤロウ! 見つけたらタダじゃおかねぇ」
「しかし、あいつはどこ行ったんだ? 荷物持ったままばっくれか?」
「いや、ここには来てるらしいよ」
「んじゃ、なんで顔出さないんだ?」
「探し出してボコボコにしようぜ……」
全員の荷物を持ったまま行方が知れなくなった大国主命に対して、兄の八十神達は怒りを露わにしていた。そんな声を制して長兄は静かに言った。
「まぁ落ち着け。しばしクニのことは忘れろ。我々の目的はヤガミヒメと結婚して、この地を八十神のものとすることだ。クニを痛めつけることではない」
言いながら、兄弟で一番短気な五男を睨んだ。
「でもな、兄ちゃん、なんかイラつく!」
五男の次に怒りっぽい次男が言う。
「クニのせいで、求婚の儀用の服ねーし、姫への贈り物もねぇんだ。そんで姫に嫌われたら結婚がおじゃんだろっ……」
三男が口を開いた。
「いやいや、ヤガミヒメも神系列の俺らの求婚断ったらヤバいってわかってるでしょ」
長男は冷静に続けた。
「それにいま、海のサメ族との関係悪化で、海岸あたりは一触即発状態らしい。我々の力は喉から手が出るほど欲しいはずだよ」
「勢力争いなんかめんどくせぇ、俺はとにかくあの美人を娶るのが大事だけどな(笑)」
五男が再び口を開き、長男と三男は呆れて顔をみあわせた。
「でも、なんで、こんなに空席があるんだろう?」
「そう言えば……」
「お。始まるぞ」

ヤガミヒメの宣言

「本日はご参加いただき誠に有難うございます。早速でございますが、乾杯の儀に先立ちまして、ヤガミヒメよりご挨拶をいただきます。姫さまお願いいたします」
司会が言い終わると同時に照明が落とされ、前方に設置されたスタンドマイクにスポットが当たった。ヤガミヒメはゆっくりとマイクに歩み寄り一つお辞儀をすると、八十神の五男が「姫〜、愛してるよ〜」とヤジを飛ばした。
ヤガミヒメは小さく咳払いをしたあと「皆様本日はありがとうございます。乾杯の前にまずは、まだ着席されていない来賓の方々のご入場をお願いいたします」
「来賓? 俺たち以外に?」
八十神達はザワつき、会場の入口に視線をやった。大きな扉が開き、スポットが当てられ、ゾロゾロと100人ほどが入場してきた。入ってきたのは近隣国の宰相や巫女、族長、神の親戚筋等。入場が終わると再びスポットが姫を照らした。
「どうぞ御着席ください」
全員の着席を確認し姫は続けた。
「それでは、今日のこのよき日に感謝を捧げる乾杯をお願い申し上げます。皆様グラスをお持ちください……」
スタッフに渡されたシャンパンを掲げたヤガミヒメ。
「カンパーイ!」
ヤガミヒメノに続いて、皆の発声とグラスを重ねる音が会場に響き渡った。会場の照明が再び灯された。
「いやぁ突然だったが、ヤガミヒメの頼みなら断れんだろ。なぁ」、「もちろんだ。尊顔を見れるだけ幸せだよ」。来賓は口々に姫を称えグラスを傾けていた。
求婚の儀は内うちで執り行われるものと聞いていた八十神達は、しばらくは訝しんでいたが、結婚発表も同時に進行させるんだろうという三男の言葉に納得し、グラスを空けていた。そんな中、長男は何かイヤな空気を感じ取っていた。「すぐ戻る」と残しつつ、席を立った。五男は「トイレか!? 順番までには戻ってこいよ〜。俺の求婚で決まっちまうかも知れんがなー(笑)」。

ヤガミヒメは意を決してシャンパンをぐいと飲み干した。
元々内向的で日がな一日静かに一人読書で過ごすのが好きだった。側近と世間話を交わすことすら苦痛だった。しかし、父親が病死してから3年間、国を守るために、まつりごとを執りしきり、隣国や他部族との交易、交渉、人事・政策決定。役人を叱咤、反逆者への刑罰執行、側近を怒鳴りつけることも、首長との会食も日常、亡き父の後継として必死に「強い女」を演じてきた。先の戦では先頭に立ち指揮する場面も。いつしか周囲からは「世界一美しい獅子」と呼ばれるようになっていた。
ざわついた会場を制するように、一つ咳払いをしてマイクに向かった。
「ご報告がございます」
会場は沈黙に包まれ、ヤガミヒメに注目が集まった。
「この度、私ヤガミヒメは、スサノオ様の御子孫であらせられる大国主命さまと婚約いたしました」
「おおー」
歓声を打ち消して八十神の次男が叫んだ「なにっ!?』。五男が続いた「どういうことじゃっ!!』

窮地! 八十神兄弟

三男が五男を制して、「姫様、何を突然。本日、我々と求婚の儀を行い、我々の中から結婚相手を決定する手筈だが?」
「私は大国主命さまと婚約いたしました。求婚の儀は不要です」
五男が立ち上がって叫んだ「だから! どういうことじゃっ!!』
「大国主命様は八十神様のご兄弟ではございませぬか、求婚の儀にも参加されるはずでございました。儀式を簡略して大国主命様を選ばせていただいたとすれば、問題はありませんでしょう。お互い忙しい身です、無駄を省くのも宰相の役目かと」
八十神達は納得するはずもなく「そんな話、認められるか!」「クニはどこだ!」。
そんな中、三男は冷静だった。
「ヤガミヒメ様、大国主命は我ら兄弟の末息子で、まだまだ未熟。姫様には似付かわしくないでしょう。また、奴は軍兵を持っておりません。もし、どこかの部族と戦となっても、何一つ役には立ちませんでしょう。例えばサメ族……」
サメ族との緊張状態を持ち出して脅しをかけようとした三男だったが、会場の後方から遮る声が響いた。
「それなら心配には及びません」
宴席に似付かわしくない鎧姿。細長く伸びた耳が頭から2本。怪しく赤く光る目。そう、ウサギ族のアニキこと弁次郎=ベンウサギだ。術式で変げさせた身体は、会場にいる誰よりも大柄で、派手な意匠の鎧と相まって強力な威圧を放っていた。
「我らはウサギ族。離れ島に住む少数の一族ですが、神の血脈を持つ者。八十神様なら聞いたことがありましょう。隠岐島のウサギ族を。いわば皆様とは親戚筋ですわ」
八十神達は顔を見合わせた。
「我らウサギ族は、ヤガミヒメ様と大国主命様が統べるこの地の守護を承ります。そしてお二人を命を賭してお護りすることといたしました。今、この瞬間もこの会場の警護を承っております」
八十神の三男はベンウサギの威圧を押し返すように言った。
「ウ、ウサギ族よ、お前達、神の系譜というのなら、我ら八十神に刃向かうような真似をするのはおかしいだろ」
「あなた方の末弟であられる大国主命様に付き従うのですから、神に刃向うものではございませんでしょう」
「いや、クニは、ヤツは、未熟で何の力も持たぬもの。言わば逸れ物だ。神に属させるなどおこがましい!」
「しかしですね、大国主命様には地の民への厚情がおありだが、八十神様達はお持ちでないようだ。この地を統べるには、ちょっと……」
五男が口を開いた。
「何を無根な。我々とて民への厚情くらい持っておるわっ!」
「この姿を見ても、ですか?」
ベンウサギは、術を解き、本来の小さなウサギの姿に戻った。
「私の姿に見覚えがあるでしょう?」
「えっ? お前!? 海岸の、あのウサギ……」
「思い出して頂けましたか。海岸で、あなた方のウソのせいで酷い目にあったウサギですよ。会場の皆々様に、私に何をしたか、どうぞお話しください」
「いや……。あ、あれは軽い戯れ、其方が縁戚の者だとは知らずに……」
「ほぉ、神の縁戚と知っていれば騙しはしなかったと? 逆に神の血統でない者であれば、何をしても構わないとー」
「そ、そうではないのだが……」
三男は口籠もりながら、席を立ったきり戻らぬ長男を探した。会場はざわつき来賓達から「噂通りの荒くれ集団か」と呟く声が聞こえてきた。
「顛末は省きますが、私、あなた方のせいで七転八倒しておりましたところ、しばらくして通りがかった大国主命様に助けられたのですよ」
「クニ……」
「ええ、あなた方が痛めつけ、絶対に許さぬと復讐を決意した神の親族を、未熟で何も出来ぬと卑しんでいた大国主命様が親身に手助けし癒してくれた。私の復讐心はほどけ、むしろこのお方に、そして八十神様に付き従う決意まで引き出したのです。末弟の行動によって八十神様はウサギ族からの報復禍を免れたのです」
「そ、それは……」
と、来賓席から声が上がった。
「ヤガミヒメ様、婚約おめでとうっ!」
この一声が合図となり、あちらこちらから「おめでとう!」の声が上がり、会場は拍手で包まれた。あちらこちらで「乾杯!」の発声が響いた。八十神達はそれ以上、返す言葉がなかった。
「酒が足りんぞ〜」「こちらもだ〜」宴席が盛り上がりと笑いに包まれたのを見てベンウサギはほっと胸を撫で下ろし、ヤガミヒメと笑顔を交わした。

はかりごとの行き着く先

ベンウサギは「婚約おめでとう」の第一声を上げ、来賓を煽動した人物に目で合図を送った。合図を受け取った人物はスッと来賓席を立ち、静かに会場を出て行った。会場を出、周囲を伺い誰もいないのを確認すると深く息を吐いた。するとみるみるウサギの姿へと変化した、いや戻った。来賓を煽動したのは人間に変化していた三郎ウサギだった。
(大国主命はどこかな?)
三郎ウサギは、大国主命を探した。宴が始まる直前、透明な体になる変化の術をかけ、じっと待機するように言っておいた。遠くには行っていないはずと、小声で「クニちゃーん、どこだ〜」と歩き回っていると、廊下に飾ってある大きく高級そうな壺の近くから「ここ、ここ」。小さな声が聞こえてきた。
「クニちゃん、もしかしてずっとここにいたの」
「だって、隠れるような場所なかったから……」
「とは言っても……、普通、透明になったらどこか覗きたいとか……」
「高そうな壺だと、壊すの怖がって誰も近寄らないかと……」
「ま、クニちゃんの我慢強さはわかった。とにかく、戻すよ。左手を合わせて」
大国主命は三郎ウサギが上げた右手のひらに左手のひらを合わせた。三郎ウサギが「ふんっ」強く息を吐くと、透明だった大国主命は元の姿に戻った。
「さぁ、行くよ」
三郎ウサギに促され、大国主命は会場へと向かった。

はかりごとを直感し、宴席を抜けた八十神の長男は内情を知っているだろう大国主命を探していた。会場の様子を伺い(なるほど、ウサギ族が裏で糸を……。クニがどれだけ関わっているのか? 踊らされているだけか? 首謀者と考えた方がいいのか? こちらに取り込めるのか? 敵対する覚悟なのか……)。思案していると、ウサギと大国主命が宴会場へ入っていくのが見えた。その親密な様子に長男は大国主命を計略の首謀者として排除することを決めた。
(クニ……。これまでの扱いを考えれば当然か。しかし!)。長男は館を出て海岸へ向かった。ヤガミヒメと敵対するサメ族を使って、圧力をかけようと考えたのだ。

「サメ族の長よ、我は八十神兄弟の長男、顔を出してくれ」
海岸へ到着した長男は、サメ族の長へ語りかけた。ぐるぐると渦を巻いた海からサメ族の長が顔を出した。
「八十神兄弟の長男!? 何の用だ?」
「端的に言う。我々がヤガミヒメの地を制するに力を貸すが良い」
「ほぉ、それはまた端的というか、神一族の言葉とは思えねぇ物言いだな」
「私は合理に基づき、世辞や虚構などは用いぬ。神の言動とは本来そういうものなのだ」
「合理ねぇ。気に入らねぇな」
「貴様らが力を貸すと言うのであれば、冥利が与えられるでろう」
「冥利ねぇ。そんな金にならん物をだされてもなぁ。今ここで財宝の一つでもくれるって言うなら考えなくもないが……」
「今は何も持っておらぬ。財宝が欲しいと言うのであれば用意するにやぶさかではない。それより、サメ族はヤガミヒメと対立し一触即発状態であると聞いておる。我ら兄弟が手を貸すのだ、まさに好機ではないか」
「……昨日までなら、そうだったかもしれんなぁ」
「昨日!?」
「本日より我々サメ族がヤガミヒメの地に攻め入ることはないなぁ」
「どういうことだ?」
「ウサギ族との約定だ。奴らと約束したというわけよ」
「ウサギ!? 貴様らはウサギと揉めていたのではないか!?」
「ああ、あのウサギ、我らを騙して舐めた真似をしてくれたからな。しかし報復は遂げたし、詫びの品としては余るほどの財宝をな。で、ウサギ族が守護することになったヤガミヒメへは手を出さない約定を交わしたというわけだ」
言いながら、豪奢に飾られた髪飾りや首飾り腕輪、着物や金銀……山のように積まれた宝物を指した。
「あ、あれは、我ら八十神が……」
「出どころは知らぬが、間違いなくすべてウサギから献上されたものだ。で、南の山を我がものとしている山豚一族をウサギ族が滅して、サメ族の地とすることも約束してくれたからなぁ」
「なんという! ……わかった。いずれにしても我ら八十神には与しないということだな」
「まぁそういうことになるな」
「もう一度だけ聞くが、我らに力を貸す気はないのだな」
「残念ながら」
「そうかわかった……」
「合理的で助かるぜ」
口をつぐみ、ギリギリと怒りを抑えながら踵を返した長男はヤガミヒメの館へと向かった。
向かいつつ長男は考えた。怪しげな術を使うウサギ族との真っ向勝負は避けたい。サメ族と結託したのなら尚更だ。ヤガミヒメとクニとの結婚も、あれだけの来賓客が認めてしまったからには破棄は難しいだろう。すべてを諦めるしかないのか……。
長男が館に戻り着いたとき、既に日は暮れていたが、宴席は続き、何度となく「乾杯!」が繰り返されていた。

(続)

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