見出し画像

1013「脳内自動テトリス」

1ヶ月前くらいにこの日記の中で「noteのつづけ方」という記事を書いて、その中で洗い物について言及していて、その中で洗い物について「クリエイティブで刺激的な仕事ではない」と、ある種disったことがあった。

しかし、人間というのは変わっていくもので、この1ヶ月頑張って生きていたら、洗い物に関する考え方が全然変わってしまった。

人の受け売りではあるが、「洗い物」とか「掃除」というのは、ある種、「環境をつくる」ということなのであって、ある種、頭に何も入力せず、出力もしない状態で手を動かし、より良い環境だけがつくられていく、それによって、混濁した脳内で「自動テトリス」みたいな現象が発生して、脳に空間が生まれていく。社会で一生懸命ものをつくる仕事をしていると、「出力してばかりで入力がない」なんていう人が多いが、それはそんなことはないような気がして、普通に仕事で人とコミュニケーションしているだけでもかなりインプットはある ものだなあと思う。

問題は、そういったインプットを受け入れる側の問題で、生きているとだんだん脳内のテトリスがうまくいかなくなることがあって、新しい入力(ブロック)がはまる隙間がなくなってしまって、インプットを受け付けなくなる。

夏を日本で過ごしてニューヨークに帰ってきた段階の自分が完全にその状態で、それは、9/17あたりに、長時間車を運転して運転動作に没入することで、今思えば「脳内テトリス」を発生させて脳内が「ととのった」ような気がする。

その時点では、運転と同じような効果が洗い物とか掃除とかという作業に内含されていて、その上でさらに「環境を良くする」という追加薬効があることに気づいていなかったが、「何も考えずに手を動かす」という意味では、洗い物も掃除も、かなり有効な、ある種の「瞑想」っぽいものであることにこの2週間位で気づいた。

うちの父も50を超えてから整理整頓をするようになった。もしかしたら彼も似たようなことに気づいたのではないか。

今週は、アメリカも日本も月曜日が休みという特異週なので、仕事の連絡が何も来なくて気が楽だ。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!