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0522「やめる力」

昨日も会社のnoteに文章を書いたし、文章ばっかり書いている。いや、本業もやり過ぎるほどにやっているが、このうんこ日記も含めて、こうも文章ばかり書いていると、何が起こるかというと、自分の文章に飽きてくる。たぶんこの日記を毎日読んでくださっている方々も同様に飽きているのではないか。毎日同じことを書いているとは思わないが、結局私という人間が提案できる刺激という意味ではもうそんなに新しいこともできないと思うし、いよいよ半年を超えてマンネリ化してきていると思う。私という人格にマンネリが起こっているのだ。自分で書いているので当たり前だが、自分の周りに自分の文章が多すぎて、辟易する。

仕事のことでも書けばよいのだが、仕事(技術屋としての何か)のことはBASSDRUMのnoteの方に書くことにしていて、分けている。一瞬、漫画でも書こうかと思って漫画を書き始めたのだが、3分で絶望してやめた。退屈だ。自分が書いたものでも良いから、普段自分が書くものとは違うものが読みたい。そう考えると文筆業の人たちって本当にすごいなと思う。毎日こんな感じで自分自身の文章や考え方ばかりを浴びていたら、不健康になってしまう。

そんなわけで、仕事しながらどうしよっかなー。もういっそのことやめちゃおうかなーとか考えていたが、まあ1年あるいは大晦日までは続けるんだろう。

この「途中でやめずに最後までやり遂げる」という性質はまあパッと聞き、聞こえは良いが、実はかなり苦しい。私の場合根性でやっているわけでもなんでもなく、一度始めてしまうと本当に止められなくなってしまうのだ。診断を受けてからわかったことだが、平たく言えば完全に発達障害あるあるではある。

たとえばIKEAの家具を組み立てなきゃいけない、みたいなことがあったとして、着手してしまうと、いかにそれがごつい家具であれ、それが完成するまで組み立て続けないと気持ち悪いというかどうしても途中でやめられない。何か別の大事なことがあろうがなんだろうがとにかく最後までやってしまう。途中でかなづちで間違えて指を打ってしまっても、とにかく続ける(なんでもかんでも発達障害のせいにするのは良くないにしても、私は極端に不器用)。

レゴなどは言わずもがなで、一旦着手するとどんな巨大なやつで疲れてきてクオリティ下がってきてもやめない。私がある種自分がやっているいろんな仕事の中で一番好きな作業がプログラミングだというのもそれで、一回着手すると電話にも出ないしメールの返信もしなくなったりする。話しかけられると怒ったりする。これも終わるまでやめないので、ラピッドプロトタイピング的なものには本質的に向いている人なのだと思う。

一番ひどかったのは、以前完全に飲みすぎてものすごい二日酔いで、起き上がるのも辛い日に、次男が「ジグソーパズル手伝って」と言ってきて、ジグソーパズルに着手してしまったときだ。超気持ち悪いのに、着手してしまっているのでどうしても途中でやめられない。断続的に吐き気を催しながら、目が回りながら、地獄を這うような思いをして新幹線のジグソーパズルをやる。かがやきは青い、これは緑だからはやぶさだ・・・。赤だからこまちだ・・・。頼んできた次男はとっくに私を置いて他の遊びをしている。一度着手してしまうとやめられない私を見て妻が爆笑している。

「途中でやめずに最後までやり遂げる」のは良いのだが、私の場合まあまあ病気なので、結構つらくなることがある。そういう視点で見ると、逆に「やめる力」がある人に結構憧れる。上記の次男のように、ジグソーパズル二日酔いで文字通りグロッキーな父親に任せて自分はどこかに行ってしまったりとか、どう考えてもうまくいかない仕事を途中でやめたりできる人、株とかの取引における損切りができる人などのほうが、総合的に見るとうまくやっていけたりするのではないか。「最後までやってしまう」人として生きてきたが、一向に金持ちになれる気がしない。実際、途中でやめる人たちに持っていかれまくってきた人生だったなあと思う。

今日もまたどうでもいい日記を書いた。明日こそ書くのをやめたい。むしろ誰か書いてくれないだろうか。 明日の私の日記を書いて、qanta[at]qanta.jp まで送ってください。

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