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0802「渋谷」

昨日この日記の文章を書いていてハッとしたのが、確かに、私たち、というか私が棲息していた渋谷という街が失われているということだ。

私は、駅で言えば、世田谷区の桜新町生まれの桜新町育ちなので、物心ついたときから渋谷に連れて行かれていた。弦巻営業所からのバスで母に連れられて行くこともあれば、新玉川線(今の田園都市線の渋谷と二子玉川の間は新玉川線と呼ばれていた。で、二子玉川過ぎると田園都市線にシームレスに変わるという、わかりにくいシステムだった。)で父に連れられて行くこともあった。

母とよく、東急プラザの上の階の本屋に行った。母は東急プラザが好きだった。私も好きだった。高校になっても、大学生になっても、あそこの本屋でいろんな本を買った。東急プラザはなくなってしまって、別の何かが建ちつつある。
父と映画のE.T.を観に渋谷に出かけた。E.T.混みすぎてて観れなくてがっかりした。あの映画館も無くなってしまった。

センター街の奥にWAVEというCD屋があって、ドキドキしながら毎日のように新譜を試聴しに行った。HMVのジャズコーナーにも毎日のように通った。
渋谷のロフトのところにあった建物に「ぽると・ぱろうる」という詩書だけ集めた本屋があって、父に連れられてよく行った。子供にとって詩集なんてくそつまらないものでしかないので、退屈の象徴のような場所だったが、今思うとあの書店のこじんまりとした謎の佇まいは、物好きのための場所が残っていた古き良き渋谷そのものだったのかもしれない。
私が幼稚園の頃、母がベターホームという料理教室に通っていて、授業を受けている間、地獄の入口みたいな密室に保母さんとおもちゃが散乱した部屋に預けられて、ずっと泣き喚いていた記憶がある。あれは宮益坂のへんだったか。

と思って調べたら、ベターホームまだあった。宮益坂というか、先月立ち退いた渋谷オフィスの隣のブロックだった。私はあんなところで泣き喚いていたのか。あの地獄の入口はまだあるのだろうか。

渋谷で泣き喚き、渋谷で欲しいおもちゃを買ってもらい、渋谷で欲しいCDを買い、渋谷で初めて飲み会に行って、渋谷で馬券を買い、渋谷で煙草を喫い、渋谷で父と天ぷらを食い、渋谷で楽器を吹き、渋谷で働き、渋谷で起業した。

渋谷、って聞くと、いろんな映像が結構な高解像度で再生されて、物語にすらなる感じがすることに気づいた。長らく、自分は小説は書けないなと思っていたけど、渋谷を舞台にしたら書けるかもしれないな、と思った。そう考えると、小説って、詩で表現されるような、過去の匂いの結晶なんだな、とも思った。別に書かないけど。暑いし。

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