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0219「私を呼び捨てにしてくれ」

昨日は本当に普通にその日起こったことを写実的に書き連ねたら、すごく日記っぽい日記になったのだが、妻に「これはただのニューヨーク在住のおじさんの日記じゃん」と言われて、まあそれはそうだよなあと思った。だからと言って、読者に阿って推敲なんかしていたらこんなもん毎日書くのは不可能なので、今日も下準備なく書き始める。

以前、何回か取材して頂いたこともある海外在住編集者の岡徳之さんが、こんなツイートをしていて、「あ」と思った。

私は実は肌感覚として、部下やメンバーを誰かに紹介するとき、「うちの◯◯です」と呼び捨てにすることに対して、そこまで許せないとまでは感じていなくって、まあそれはそういうこともあるよね、とは思っているし、まあ自分の会社の上司なんかも紹介するときは呼び捨てだったりすることが多いので、単純にヒエラルキーでも無い気もしている。

ただ、自分の場合、東京でそこそこの大きさの会社やってた→アメリカに移住して英語で仕事してた→日本にも会社つくって営業始めた、というコースでやってきていて、最近日本でのビジネスを再開して、無意識に、しかし実は徹底してきたのがこの、「同僚でもさん付けで紹介する」という習慣である。

岡さんのツイート内の話でいうと、「感謝の思いを込めて紹介する」みたいのはちょっと理解できて、単純に仲間に対するリスペクトの発露として「呼び捨てにしない」というよりは、「ちゃんとさん付けする」というのがわりと癖になっている。

途中でアメリカでの業務を経たからとかではたぶんなくて、そんなに考えてはいないのだが、なんか心の奥底に「ああ、さん付けしたい!」という欲求が湧き上がってきて、なんとなくそれを実施している。ので、あんまり人が「さん付け」していないとかをどうこう言うのではなくて、なんかそうしたいのでそうしている。

加えて言うと、仕事上での「くん付け」も止めてしまった。これはあくまで自分の場合だが、人を「くん」で呼ぶと、なんか友達っぽくなってしまって仕事しづらくなってしまう。いま一緒に会社をやっている村上悠馬さんは、もともと前々々職で自分の「部下」みたいな感じだったが、といっても全方位的に自分より優秀だし、自分にとっては神だし、妻からも「あの人だけはガッカリさせちゃいかんよ」と言われているのだが、当時は「yumaくん」と呼んでいた。が、もうなんかもはやその呼び方は無理だ。完全に「yumaさん」だ。

前東京時代に「くん」で呼んでいた人も、今は90%くらいは「さん」に転換している自覚がある。「たっくん」とか、なんか「くん」がパーソナリティと同化して熟語化している人はその限りではない。

あと、私は、会社の役員でもある、有名テクニカル・ディレクターのSaqoosha氏を、人に紹介するときは面倒くさいので「Saqooshaさん」と呼ぶのだが、わりと基本的に名字で「小山さん」と呼ぶようにしているというか、どうしてもそう呼んでしまう。たぶん周囲でそう呼ぶのは私だけなのだが、止められない。なんか、Saqooshaさんだと友達っぽくなってしまう。いや、友達だと思うんだけど、なんていうか、仕事を媒介にした場合、友達でもなかなかそこの壁を超えられない。

あと、「部下」っていうのもひどい言葉だよなあと思ってなるべく使わないようにしているんだが、これはあんまり代替の言葉がないのでたまに便宜上使ってしまう。しかし思いっきり「下」って言っちゃっているわけで、自分は違和感がある。これも別に人が使っているのがどうかという言葉狩りをしたいのではなくって、なんか気持ち悪いのだ。

しかし、業界の尊敬する目上の人に「カンタくん」とか呼ばれたりすると「さん付け」より意外に嬉しかったりするので、とても難しい。

きっとこんな「セルフ言葉狩り」状態だから、自分の場合いろんなコミュニケーションが複雑化してしまうところがあるような気がする。

前、そのお店に入ったら絶対に誰とでもタメ口で話さなくてはいけない「タメ口居酒屋」みたいのを考えたことがあったのだけど、そういうのをやったら私も人との距離を詰めることができるのだろうか、と思ったけど、敬語はあるけどさん付けとかそういうのがないアメリカで暮らしていてもそんなに人と近しくならないからたぶん無理だ。

いや、いっそのことみんなが私のことを呼び捨てにしてくれると痛気持ちいいような気がする。

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