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相撲警察と、日本のメタル・ジャーナリズムについて⑤

全く読まれない大相撲関連の文章を5回にも及ぶ長さで書きなぐることで、どんどん読者を置いてけぼりにしている気がする。

その上で、「この続き物的な書き方は非常に読みづらいし、面倒くさい。公開するなら勝手に自分で一日ずつ書いて終わったらまとめて公開しろ。」と妻にも言われた。それはその通りな気がしてきた。

この場所は、読まれることより書くことのほうがプライオリティが高い場所なので、それでもお読みくださっている方々には感謝のほか無い。

日本のヘヴィメタル専門誌「BURRN!」が、長い間日本のヘヴィメタルミュージシャンを扱わなかったことと、「聖飢魔II デビューアルバム 0点事件」について書くところまで行った。繰り返しになってしまうが、言わずと知れた日本を代表するヘヴィメタルバンドである聖飢魔IIの1985年のデビューアルバムを、前述の酒井編集長が、これも前述の、レビュアーが0点から100点までの点数をつけてレビューするというスタイルの「BURRN!」のレビューコーナーで、「色物」「邪道」「ヘヴィメタルに対する侮辱」とこき下ろして、0点をつけた事件だ。下記の写真が、当該レビューだ。

ヘヴィメタル音楽というのは、どうしたって大元は西洋の世界観をベースに構築されて、広がっていった文化なので、どうしてもキリスト教(とかそれに対する邪教とか)のコンテクストを引きずってたり、それが様式化したりしている部分がある。なので、そういう生まれ育ちではない日本人がそこに入っていく場合、いろんな矛盾が起きる。

人間椅子みたいに、キリスト教的、西洋的な世界ではそもそも勝負できないので、仏教的・東北的な世界で勝負して独自の音楽と世界をつくった人たちもいる。

一方で、聖飢魔IIみたいに、悪魔とか、キリスト教的な儀式とか(「ミサ」とか「大教典」とか)を、どうせ西洋人じゃないからということで、客観的に解釈して取り込もうとすると、パロディに見えて、「色物」「邪道」と言われてしまう。

この文章は、大相撲と日本のメタル・ジャーナリズムについて書いている。

聖飢魔IIのフロントマンであるデーモン閣下は、よく知られている通り、好角家(相撲ファン)として有名な人物であり、NHKの相撲中継で向正面の解説をしたことだってある。相撲番組にもよく出るし、千秋楽の夜のサンデースポーツに出演して幕内優勝力士にインタビューしたりさえもする。ある種、相撲ファンとして最も尊敬を集めている人?であるとも言える。

デーモン閣下が、横綱白鵬の引退に寄せて、毀誉褒貶がある大横綱・白鵬と相撲「道」について寄稿している文章が素晴らしい。

白鵬は、モンゴル出身の横綱として圧倒的な実績を残した人だ。つまり、いろんな要素が日本文化に根づいている大相撲という世界で、外国人でありながら第一人者であり続けてきた。この構造は、ヘヴィメタルという西洋文化に日本人?として対応していったデーモン閣下と重なるところがある。

吾輩のことを「先輩!」と呼ぶ素顔の彼は、周りを明るくする能力にも長け、楽しい人物だ。非常に勉強熱心でもあり、頭脳明晰な人だと思う。必ずしも相撲に直結しない歴史の書籍を読むなどして、日本の先人の考えを学ぼうとした。それでも、いわゆる日本文化の奥の奥の「美徳」のようなものを、完全に理解することは難しいのかな、とも思わされる時はあった。

デーモン閣下は、白鵬のことを上記のように評する。そしてその上で白鵬がいかに大相撲という「道」に対応していこうとしたか、という難しいプロセスを分析する。これは、自身も、ヘヴィメタルという「道」に日本人として対応する中で体験した難しさだったのではないか。

デーモン閣下は、例えば、土俵に土足で上がった政治家を批判したりとか、大相撲の伝統的な部分、上記の白鵬の記事にあるような「道」の中で定義された部分をとても大事にしている方だ。ときに、激しめのトーンでそこを守らない人を批判することもある。しかし、デーモン閣下は決して「警察」にはならない。そこには先行する上級ファンとしてのマウンティングはなく、大相撲という文化への心底からのリスペクトがある。それは、自らも異文化の「道」に対応する中で苦しんできたからこそではないか。

「BURRN!」は、2000年代以降も、メタルの様式にはまらないものに対して排他的なスタンスを取り続けた。結果として、2020年代になった今に至っても、表紙を飾るアーティストは1990年代と全然変わらない。新しい文化の変化に対して警察的な態度を取り続けた結果、70を超えた老年のアーティストがフィーチャーされ、恐らく読者の年齢層も非常に高い雑誌になった。

日本におけるヘヴィメタルという意味では、さすがに「BURRN!」とは違う価値観を持ったメディアもリスナーも生まれたが、「BURRN!」とその周縁の音楽は、1990年代から冷凍保存されたかのように独自の文化を維持しながら、高齢化を迎えている。

ただ、1つ変化したことがあって、2013年に、前述の酒井さんが編集から追放され、編集方針が変わった結果として、「BURRN!」と日本人のヘヴィメタルは和解を迎えた。その記念碑的な出来事になったのが、「0点をつけた聖飢魔IIへの謝罪」だ。これはニュースになっている。

「こんにちは、BURRN! 編集長の広瀬です。聖飢魔IIの構成員の皆さま! 信者の皆さま!地球デビュー35周年おめでとうございます。35年前に先代の編集長が聖飢魔IIのデビュー大教典に0点を付けるという無礼な事をしまして本当に申し訳ございませんでした。私は、35年もの間ずっとメジャーでこのシーンを牽引して来られたことは本当に素晴らしい偉業だと、心の底から思っています。雑誌の黒歴史を無くす為にも、直接私の取材を受けて頂き、BURRN!誌面で改めて聖飢魔IIがいかに素晴らしいバンドかという事を読者にアピールしたいと思って参りました。どうか宜しくお願いいたします。」

これは行き過ぎた「メタル警察」による謝罪であるだけでなく、文化を紡いできた人に対するリスペクトの表現だ。

十両以上の力士を「関取」と呼び、「〜さん」ではなく「〜関」と呼ぶ、というルールも、土俵に土足で上がってはいけないというルールも、その他いろんなルールも、あるいは、メタルのミュージシャンが長髪で革ジャンを着るという文化も、大相撲やメタル以外でも、例えば、「節分に決まった方向を向いて太巻を食う」みたいなことも、すべて、人間の営みの結果生み出された先人の痕跡なのであって、あったほうが面白くて、人間社会を豊かにしてくれるから存在している。

文化へのリスペクトとして、ルールを尊重することは、決して「○○警察」的な行為にはならない。

私が、なんで「相撲警察」をきっかけにくどくどとこんなことを書き連ねてしまったのかというと、こういう出来事をきっかけに、存在すべきして存在している伝統や文化を尊重することが悪とされてしまうのだとしたらそれはとても良くない、ということを強く思うからだ。警察的態度で若いファンにマウンティングするのはしんどい行為だが、大相撲ファンは多かれ少なかれ、大相撲という文化のファンであるはずで、ゆえに、そういう文化の担い手・守り手であっても良いのではないかと思うのだ。

この記事を書いている2022年10月、書店に並んでいる「BURRN!」の表紙を飾っているのは聖飢魔IIだ。


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