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文章のイデアを求める試練

他の全てと差異なく、文章というものは、書く努力をしておかないとどんどん下手になる。

素振りのようなものだ。

ところが、数をこなせばなんでもよい、質より量やで、とばかり、下手な文を書いていると下手な文しか書けなくなる。

なぜか?

スポーツ等と違い、実力を適切に判断できる試合がないから。

文豪が毎日添削してくれるならともかく、そんな恵まれた環境にいる人はほとんどいない。

書きっぱなし言いっぱなしのSNSにせっせと投稿しても、文章自体に対するリアクションというものはほとんどお目にかかったことがない(内容に対するものは多々ある)。

おじさん構文、おばさん構文などと揶揄しているのが関の山だろう(揶揄する側の方がよっぽど稚拙な文章である場合も多い)。
駄文は駄文のまま、鏡で自分の汚い顔を見ることなく、世の中に受け入れられたと勘違いし、上長し、拡散されてゆくのだ。


さてはて、なぜ小豆沢はクリスマスにこんな喧嘩腰な話をするのか?

今、諸事情により、自分の駄文が直されまくっているところだからである。それはもう容赦なく。うどんの生地はこねればこねるほどコシが出るんやで、とばかり踏んづけられている。有難いことだが、腹は立つので気持ちを共有しているのだ。

いいか?

ワタシは昨日から体調が悪いんだ。喉がイガイガするし、ちょいとばかり頭がふわふわしている。

今日はクリスマスだぞ?
友達でもないのに一生分の素行を知ってるあいつの誕生日だ。処刑された日のほうじゃない。

肉体的精神的に鞭打ってくるんじゃないよ。

ツバを飲み込むだけで痛い。

「ふえへへへえ。Qちゃんのもんなら何でも欲しいよお。ツバだって欲しいよお」

などという変態は現れたことがないのだが(こんなに可愛いのに)、今日ばかりはサンタの代わりに来てくれてもいいんじゃないかと弱気になっている。

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