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これからの社会に対する危惧

定番化しつつある就寝前の雑記。

SNSってどんな形態のものであろうと、底辺を流れているものは、エロとゴシップだと思う。

性悪説的な世界が広がっている。

芸能人のスキャンダルにあれこれ物申したり、半裸のような格好で踊る女子にイイネを押してみたり。

そんなことをしても実生活は一つも良くならない。

ところが夢中になっている。

パチンコなんて負けるとわかってるのに何のためにやるんだい?
タバコなんて健康を害するてわかってるのに何のために吸うんだい?

もし、他人にこうやって問うているのであれば、自らにもSNSのデメリットについて問いかけてみてもいいんじゃないかと思う。

無くても全然困らない。

30年前は無かったはずだから。それでも、なんの問題もなく楽しく生きていたはずだ。

遠くの親戚より近くの他人。
SNSの友達は、ほとんどの場合遠くの他人。

いざというときには何の役にも立たないし、こっちも役に立ってあげることはできない。

私は何を危惧しているか。

今、バーチャルとリアルの区別が曖昧になってきている。

若者はネット友達とリアル友達をシームレスで捉えている、というコラムをどこかで読んだ。

私はそんなヤツと友達にはならない。表面上は仲良くできるが、信用できない。目の前のことすらちゃんとできない人が、他のことを上手くできるはずがないと信じているから。
今日勉強できない人は明日もできない。
近くの友達を大事にできない人は、遠くの友達だって大切に扱えない。
今日の締切を守れない人は明日も守れない。
とても残念なことに、私の経験上、この性質は変わらない。いい加減な人がパンクチュアルになった例は寡聞にして存じ上げない。逆も然り。


勘違いしてほしくないが、非難しているのでは無い。これは人間性の違いである。私は嫌だ、と言っているのである。

そういう人が好きな人はそういう人と連れ立っていればいい。事実、私の知り合いにも「いい加減な人のほうがいい。自分のいい加減さを許してくれるから」と宣言している人がいる。

私自身の生きやすさのために、きちんと序列付けをして物事にあたる人が増えて欲しいとツヨクツヨク願っているのである。

ファジィな世界に生きていれば、ファジィな性格な人が増えるのではないか?

そこを危惧しているのである。

眠い。寝ます。

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