【日記】文芸について

 次に文芸については、いまはなおざりになっている。本を読む時間は、今までよりはない。一日中休んでいるときより時間がないのはある意味で当たり前ではあるが、そうなると読むべきものをしっかり精選しなければいけない。
 ぐずぐずしている間についに大江健三郎が亡くなった。これは、古井由吉が亡くなった次にショックだった。大江健三郎の、何を知れただろうかと、考え込まざるをえない。ただ、こういうことがあったときに思うのは、実際に大江健三郎が生きていたとして、その間に本人とのやり取りはむろんないし、そこまで言わなくとも、本人が生きている間にすべきリアクションというのは、何だろうかということも、考える。それらが解決しなければ、悪い言い方をしてしまえば、作家の死とは、ひとりの読者に、フッと頭にその作家の名前を、まさに名前だけを浮かべることの助けでしかないのではないか、などと、極論すればそういうことにもなってしまうのではないか。
 同じ思いをしたもう一人の作家は、精神科医でもある中井久夫だった。NHKは、100分de名著で取り上げることによって、大々的に弔いを行った。だがむろん、そのアクションは自分とは関係がない。一方で、精神医学に足を突っ込んでいる妻は、生きている間に会って話したかった、と言っていた。仮に会ったとして、それに足るような背景、知識、疑問を自分なら持ち合わせているだろうか、というのはもし自分であれば気になるところだ。
 これが音楽家なら、テレビで延々代表曲が流れているようになる。いや、誰しも、そんなものかもしれない。
 これが第二。

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