【日記】いとうせいこう is the poetを聞いた

 略称は「ITP」、is the poetの部分を略したのだろう、実にしゃれている。
 いとうせいこうが、ダブのバンド? というのか、わからないけど、と組んで作った名義で、直訳すれば「いとうせいこうが詩である」になる、のか? 英語の語感というものに詳しくないから、どういうものか別の意味合いがあるのかもしれない。わかる人は教えてほしい。
 ファーストアルバムが、その略称である「ITP1」となっている。
 その前に、いとうせいこうがメンバーで加わったアルバムで、「建設的」というのがあって聞いたのだが、これは、聞き方が悪いのかわからないが、内容は、音自体もそうだが、かなりふざけていた。歌はいくつかパロディーというか、歌マネみたいにしか聞こえないものがあった。それをもって価値なしとは絶対に言わないが、悪ふざけ感があちこちに散らばっていることは、否定できない気がする。
 唯一、ボディーブローだけは、なにか言い知れない熱量みたいなものを感じた。プロレスが主題なのだが、絶えず「世の中」と戦っている描写が交錯して、だんだんそういうシチュエーションに身を置いている気がしてくる。しかし、もっと込み入ったダブルミーニングが、ありそうにも思うのだが、それこそ聞き方が悪く、聞き取れなかった。
 というわけだったが、「ITP1」は、初めの二曲を聞いて、余りに真剣なので、いったん聞くのを止してしまったほどだ。
 特に二曲目の「ITP」、サウンドが、音が分厚くてギチギチに組まれていて、いわゆるダブの、砂漠のような素材の少なさ、広漠として気楽な感じとは大きくかけ離れている。そのギチギチのサウンドに乗せられるのは、まさしくバンド名でありアルバム名でありこの曲名でもある、「ITP」とは何なのか、その語りである。
 何が詩なのか。何を以て詩とするのか。これ以上ない強さで、確信で、いとうせいこうがこう答える。この世にあるすべてのものが詩だ。
 流れる雲、苦い草、他人とのいさかい、世代の間の断絶、夜に飲むコーヒー、羽ばたくこと、全てが詩であると、イズザポエットであると、繰返す。
 これほどまでに説得力のある、音楽としての詩の定義というのを、聞いたことがない。しかし、それほどの説得力を以て語らなければいけないほど、この当然の事実、イズザポエットのことを、我々は忘れてしまうのだろう。
 チャリで中野駅から家に帰るところでこれを聞いた、陽が暮れようとして寒かった。

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