【日記】ベケット

 また少し気が変わった。何かについて、このnoteに書きつける事を再開しようと思った。

 前に書いたか忘れたが、ベケットの『マロウンは死ぬ』を読んでいる。
 この題名は、現在形である。「死につつある」、つまり完了していない死、というのは時間のずれがあるが、それは矛盾ではない。その時間こそを表現している、もしかしたら、当時のベケットにはそういう意識もなかったか……いや、そんな事はないはずだ。

 ベケットを旗印にして、集団を作り、進んでいく人たちがいる。ここには何があるのか。ベケットのいつの段階なのか。三部作と言われる、『モロイ』と『マロウンは死ぬ』、最後に『名づけえぬもの』がある。『名づけえぬもの』は、もう完全にヤバくなっていた。どう言えばいいかわからないが。空間として、もう普通の小説ではない。どう変化したのか。それぞれの小説の内部で変化したのか。それとも、その間なのか。その事を知りたければ、自分の眼で読むしかないのだ。そのはずだ。

 まさしく「なにか」について考えるのに、うってつけのすべり出しではあるが、少し出来すぎてはいないか。それはもはや対象化されきった「なにか」ではないか。

 以前に書いた小説の中で、私は、ひたすら「なにか」というその「なにか」自体について考えたことがある。とうてい、「考え抜いた」とは言えない。今振り返れば、その「なにか」は、秒でわかりやすい名詞、対象化した何ものか、もっとえぐるように言えば、それをもって本当の何物か、対象化されきった対象を扱うことによる、価値の一義化、特定され切るということを避けるという、ただそれだけのことを名指していたといえる、つまり何事も考えていなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?