毎月短歌 自由詠の選評(杜崎ひらくさん)を受けて

神様は私をレンチンする時に外装フィルムを剥がし忘れた

この短歌を、コトバディア主催の毎月短歌に投稿したところありがたいことに杜崎ひらくさんに選と評をいただけました。
選評の中で「大丈夫、外装フィルムの剥がし忘れは、それほど中に包まれたものに影響しません。」と言っていただけたことに衝撃を受けました。なぜなら、私はこの歌を「外装フィルムを剥がさずレンチンするも器が歪む」ということに着目して詠んだからです。私の器は歪んでいる、という毒を込めた歌でした。それを中身は無事と断じてくださったことで私はとても救われた気持ちになりました。
さらにそのあと「ちゃんと温め直した」「ほくほくにしすぎた」と続きます。器の歪みには目もくれず、しかも主体を温かい人物であると見てくださっています。こんな優しい選評があるでしょうか。毒を込めて放った短歌が薬になって返ってきたみたいです。

私は、毎月短歌の自由詠にはなんとなく神と祈りをテーマにした短歌を投稿する習慣がついていました。本当にテーマを与えられず自由すぎるとかえって詠みづらいためですが、「私にとって詠むという行為は祈りに近いかもしれない」と曖昧な自己解釈をしたこともありました。「かもしれない」だった祈りが、救いを与えられたことで確かな祈りに変化したような気がします。うまく言語化できませんが、祈るとは素敵な行為であるように感じます。これからも詠むことで祈り続けたいと改めて思いました。

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