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シュルレアリスムと仏教思想①

シュルレアリスムというものを考えるとき、ブルトンは1930年のシュルレアリスム第二宣言において、
「二項対立が解消する精神の一点が必ずや存在するはずである」
それを求めること以外にはシュルレアリスムの目的はないと語ったことを考えるべきだ。
シュルレアリスムはダダ、すなわちチューリッヒ・ダダの創始者トリスタン・ツァラとの出会い、第一次世界大戦へ担架兵として出征したこと、またブルトンが精神科医の卵であると同時に若い詩人でもあったことが重なることで生まれた。
特に生者のような死者と死者のような生者が共存した地獄のような第一次世界大戦の戦場で、偶然にもあまりに美しい恍惚の光景を目にし、生と死が融和した深い精神の悦楽を体験したことが全てのはじまりだったと私は考える。ゆえに、二項対立の解消する精神の一点がブルトンの求めるシュルレアリスムだったに違いない。
日本ではパリでシュルレアリストとも交流のあった岡本太郎氏が対極主義として表現を試みているが、岡本氏はその後シャーマニズムに傾倒しアニミズム的な作風へと変わっていく、ルネ・マグリットの光の帝国は昼と夜との二項対立を一つの絵画の中で調和させた作品だが、完全に溶け合っているわけではない。シュルレアリスム作品として有名なダリの記憶の固執だが、フロイトの夢分析に基づくシュルレアリスムであり、ブルトンからすれば二項対立の解消が描かれていない点が納得いかなかったのでないか。ダリを破門にしたのは金儲け(本人の意思で金儲けしていたかは少し疑問だか)よりも深い精神のフェイズでの二項対立の解消にこだわっていたからでないだろうか。
いずれにせよ、時を重ねるにつれシュルレアリスムはアメリカでは抽象表現主義へと発展し、フランスではアンフォルメルへと発展していく。そして緩やかに、二項対立の解消というブルトンの理想のシュルレアリスムは風化していったのだった。

私がこの文章を通して最も言いたいことは、二項対立の解消は仏教において絶対空に至った悟りであるということ。つまり、ブルトンのシュルレアリスムはアジアの仏教文化圏にこそ光を見出すべきだったということだ。
②では仏教における悟りについて鈴木大拙氏の著書「禅」から読み解きながら、ブルトンのシュルレアリスムと仏教との間にあまりに共通点が多いことについて考えていきたいと思う。

次回、シュルレアリスムと仏教文化②へ続く

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