見出し画像

30年を経て『河殤』を振り返る(5)


前回


“易家言”記事掲載の2日後である1989年7月19日に《人民日報》に掲載された「編者按」での趙紫陽批判を見てみると、現在の習近平政権が強化しようとしている体制とも相通じる、中国共産党一党独裁体制の本質がわかるような気がする。

“易家言”原稿を読み、発表してはならぬ、と言ったうえに、『河殤』の録画ビデオを海外からの訪問客に贈った、との指摘に続く部分である。

这符合百家争鸣的方针吗?
不错,我们主张党在坚持对文艺事业的政治原则、政治方向的领导的前提下,对具体文艺作品和学术问题要少干预、少介入。
但是,从这件事也可以看出赵紫阳同志所说的对文艺作品“少干预、少介入”的含义和政治倾向,同党的主张是根本不同的,他实际上是要主张在文艺领域坚持马列主义、毛泽东思想的广大同志“少干预、少介入”,让主张在文艺领域坚持搞资产阶级自由化的少数人多干预、多介入。
否则,既然说是要“少于预、少介入”,为什么又干预别人的文章,不让发表呢?

以下、北京週報の日本語訳に基づき要約すると、

中国共産党は、
文芸事業の政治原則、政治方向に対し指導を堅持する。
● この前提の下で、文芸作品や学術問題について干与や介入を少なくする。

しかし趙紫陽は、
●マルクス・レーニン主義者、毛沢東思想を堅持する同志に「干与や介入を少なくさせ」、
● ブルジョア自由化をやることを堅持する少数の者に多く干与させ、多く介入させた。
● なぜなら、(党の原則に従う)“易家言”原稿に「干与・介入」し、発表を止めさせた。

・・・と指摘するのである。

「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想」と「ブルジョア自由化」という表現での対比が印象的であるが、実態は「中国共産党一党独裁体制」と「これを壊そうとする勢力」であることは言うまでもない。

この対比において『河殤』を後者だと指摘するのが“易家言”記事だ。以下、〈河〉・〈易〉の対比で“易家言”の反論を挙げてみよう。

〈河〉大洋との干与あり開放性ある欧米日、大陸に固執する閉鎖的な中華文明
〈易〉黄河、長城などの文明資産、生産方式の発展を無視している。

〈河〉欧州、インド、日本などは版図の分裂を許容、大版図統一に固執する中華文明
〈易〉軍閥割拠を肯定し、“中華民族”の独立、侵略に対する革命闘争を否定している。

〈河〉一定の周期で根本的な統治体制の変更、統治勢力の交代が続く。
〈易〉辛亥革命以降の革命運動とそれ以前とは異なる。中国共産党体制での誤りは大躍進と文革のみ

〈河〉近代工業文明・資本主義の採用を拒否した。(第4回新紀元)
〈易〉共産党指導の下に社会主義化した歴史の歪曲である。

〈河〉(ブレハノフを引用し)レーニン政権は発展段階を超え時期尚早
〈易〉マルクス・レーニン主義の社会主義国が多く誕生した歴史の歪曲である。

〈河〉工業革命と自由貿易の資本主義が“科学と民主”を実現した。
〈易〉帝国主義侵略を無視し、全面西洋化を志向するものだ。

〈河〉知識人は政治権力に依存するのみ。
〈易〉中国共産党指導の下人民とともに革命建設に才能を発揮してきた事実を無視。

そして、“易家言”は『河殤』の問題点として以下を指摘する。

●鄧小平の改革・開放、中国の特色ある社会主義による現代化強国路線に逆行
● 「マルクス主義の経典を曲解」(对马克思主义经典著作也采取了任意曲解的态度。)
● 「西洋の文化思想」のブルジョアジー的性格を否定

“易家言”の反論は、実は中国共産党体制も清朝以前の王朝による統制体制と何も変わらないことを図らずも告白しているのではないだろうか。

次回は、この点につき考えてみたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?