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“アベノマスク”とファッション性について(#8)

マスクは突然、しかしゆっくり届けられた――

2020年2月末から様々なイベント等が止まっていき、
10月になり緩和されつつあるものの、未だ鎖国状態は続いている。
そんな最中の春先、日本では2枚のマスクが支給されることが決定した。
所謂‟アベノマスク”である。

周知の通り、9月に体調不良で辞任した安倍前首相の名にちなんだこの白い綿マスクは、傍目には小学校の給食マスクそっくりの作りだ。
それでも生地は重層で出来ており、縦横の縫いがない点など詳細な違いもある。
立体感がないため着用すると、やや間抜けに映るきらいがある。
その影響からか、使用している人は少ないない。不織布マスクの供給・流通が正常化したこともあるかもしれない。

でも、貰ったのに使わないと勿体なくないか?――ここから始まった。

私はそもそもマスク着用が嫌いである。
ずっとマスクを着用していると毛布に潜って寝た後のように、乾燥して唇が切れやすくなる。
品切れが続いたときは買う選択ができなかった。
花粉症でもないし、もっと必要な人がいるように思えたからだ。
しかし、アベノマスクが届けられ、言い訳ができなくなった。
非常事態宣言解除後はマスク未着用で入店禁止する場所も増え、出掛けるには便宜上、着用した方が得との考えに切り替えた。
その中で、アベノマスクを使い続けている。それは次の理由からだ。

① 私は"マスク”をファッションアイテムと捉えていないという意思表示として
② モノを大事にするという精神から(使わないのは勿体ない)

①はこれまで”お洒落のために○○を我慢”といった概念が、いとも容易く覆ったことへのアンチテーゼでもある。
マスクも我慢といえば我慢だが、ファッションと没個性との二項対立の狭間で‟我慢ならない”とき、都合のいいアイテムだった。
(勿論マスク着用自体を否定しているわけではない)
②は仕立服等にも相通じる精神だが、繰り返し、着用することで愛着が芽生え、よりモノ自体を大事したくなってくる。それは使い捨てにはない味になる。

反面、着用していると気づいたこともある。

・立体マスクより、眼鏡が曇らない
・目立つ(使っている人が少ないから?)。
・ときどき誰かと‟カブ”る
(00年代の‟UNIカブり”に似た複雑な気持ちになる)
・上下の縫い目がないため、解れがでて、繊維で鼻が痒くなるときがある

・・・等々。

世間ではマスク着用、感染症予防としての効果云々、とかく騒がれている。
諸外国ではその着用に抗議してデモが行われたり、果ては死傷者が出るといった悲しいニュースまで飛び込む始末だ。
是非はともかく、届けられたモノは使われる前提で送られている。
地域振興券、現金、等々、使う使わないは自由だ。
だから、”アンチ”ファッションアイコンとして、非着用の代替として着用してみると、いつしか大事に使っていきたいという思いが芽生えていることに気づいた。これは先述した愛着、愛情の一種である。
もし破れたりした日には修繕が施され、チャールズ皇太子の背広や革靴のようにパッチが宛がわれ、違った趣を有する日が来るかもしれない。
そうなったとき、このコロナ禍が終焉を迎えても、変わらず重宝される一品と成り代わっているに違いない。

関心の深堀
・ファッションと感染症の結びつき

頂いたものは知識として還元したいので、アマゾンで書籍購入に費やすつもりです。😄