アドラー心理学で時代を読む!「愛について」第一回『愛するとは』
こんにちは、かんばやしです!
さっそくですが、みなさんは人を愛するという事についてどうお考えでしょうか?
恋愛市場を例に見てみましょう。
我々は人間であり、人間の社会で生きています。
人間の社会というのはRPGのフィールドのようなものです。
そのルールの中で好まれる人と言えば、
背が高い、目鼻立ちが整っているなど容姿がいい、
偏差値の高いいわゆる一流大学を卒業、高学歴である、
職業が会社経営、医者など社会的ステータスが高い、当然年収・収入・所得が高い、
土地を持っているなど様々な資産があるなど、
RPG風に言うと、ステータスが高い人や所持金が多い人です。
一つの規格の中でパラメーターが高い方が有利であり、人気が集まるのは当然と言えば当然です。
では、そのステータスが不安定になったらどうでしょうか?
例えば会社経営している人の会社が傾いたり倒産する、
ものすごく高い給料をもらっていたのに転職して収入が1/10になったらどうなるでしょうか。
一昔前の不景気が盛んに叫ばれていた頃なんかは、
羽振りの良かった社長が会社が傾いた途端に仕事でもプライベートでも相手にされなくなった・・・
なんてエピソードがありがちな事として語られていましたね。
みんな調子のいい時は寄ってきて、調子が傾くと去っていく・・。
長所をプラスに評価するということはふつうのことと言えば普通のことです。
ところで反抗期を迎えた子供はどうでしょうか?
いい子にしている、親の言う事を聞いていれば大体は褒められます。
逆にいう事を聞かない、わがままを言う、ダダをこねるなどしていたら確かに呆れられたり怒られたりします。
反抗期なんてそのピークでしょう。
そういう時期を迎えて意味もなく自分に噛みついたり、当り散らしたり不機嫌だったりする子供を、
言う事を聞かない・いい子にしていないからといって見放したり、世話をしなくなったりするでしょうか?
もっと言えば愛さなくなったりするでしょうか?
おそらくは多くの人が、親としても、かつては子供としても、そうした時期を乗り越えて来たのではないでしょうか?
すなわち、愛するという事は「良い所、自分にとって好ましい点を評価する」という事ではなく、
「欠点や短所、自分と合わない点が相手にあっても愛する」
という事だと思います。
調子のいい時に寄って来る人は確かにその人のことを評価していたのでしょうが、
調子が悪くなったときにそれでも支えてくれる人こそがあなたを愛してくれていると言えるでしょう。
(ただ調子が悪くなると食い物にするために寄ってくる人もいたり、とかく金が絡むと揉めますから寄ってくる人の見極めは必要ですが・・)
しかし欠点を愛すると言っても、人は本来失敗やミス、欠点を学習し避けるものです。
従って欠点を愛するというのは欠点をスルーすると言ってもいいでしょう。
例えば「イケメンだけどどんくさい人」がいたとして、
「あの人イケメンなのにどんくさい」という評価と、
「あの人ちょっとドジだけど顔はかっこいいよね」という評価、
同じ人への評価なのに、後の方はどんくさい点をスルーして、いい所を見ていると考えるとわかりやすいのではないでしょうか。
さらに興味深いのは同じことを違う人がやっても評価が違うことがあるという点です。
たとえば同じ失敗をしても、ある人は笑って済まされるのに、
ある人は反感やひんしゅくを買うということ、皆さんも経験や目撃したことがあるんじゃないでしょうか?
なぜこういうひいきが起きるのか?
人間のイレギュラーへのフィルターはそれだけいい加減だということです。
結婚について考えるとわかりやすいと思います。
例えば年収1000万の人とか、学歴が高い、家柄がいい、性格が優しい、美男美女・・・etc
モテる要素、ニーズが高い人は引く手数多でしょう。
ではそれ以外の人は?
世の中の大半の人は、学歴はそこそこの所だったり、年収も1000万には届かなかったり、
容姿も中肉中背くらいだったり、家柄なんてふつうという人がほとんどでしょう。
そういうふつうの人たちが結婚できなかったかというと、そんなことはありません。
モテる人しかモテないなら人類はとっくに絶滅してます。
ガサツな人が嫌だと言っても、そういう相手と恋に落ちる、
年収が自分より低いなんてありえないと思っていても、好きになった相手がそうだとわかっても嫌いになれないなど、
相手の欠点をスルーして恋に落ち、結婚することがあります。
しかし結婚して何年か経ち、徐々に相手への情熱が冷めていき、スルーしていた欠点が目につくようになり、
嫌な所が目につくから嫌いになり、嫌いになるから嫌な所ばかり目が行くようになる・・という負のスパイラルに陥ってしまう・・。
ただし恋愛の愛情は4年が期限だからこうしたことが起きる(絶対ではない)そうで、
夫婦から「家族」へと愛情の質が変化するとパートナーとして成熟していくと言われています。
この感情の負のスパイラルの裏返しとして考えると、人を愛するということは「欠点をスルーできること」と考えられます。
とはいえ普通に生きていては人を愛するのは偶然でしかないでしょう。
「人を好きになるのに理由があるんですか?」
というセリフがあるように欠点のフィルターをスルーするのは「偶然である」と考えるのが自然な結論です。
友達だって興味のあることがバラバラなのに、「なぜかウマが合う」という付き合いをしている人も多いんじゃないでしょうか。
愛情のスイッチが入るのが偶然ならば、自分が、まぁモテないとか、愛されないというのは、
愛されるむずかしさはそっくりそのまま自分が人を愛する難しさであると考えられます。
それに人の愛情を受け取るのにも適した状態がある・・・その愛情を受け取れる状態というのを次の「愛される資格」で語りたいと思います。
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というところで今日はここまで!次回もお楽しみに!
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