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DECO*27とピノキオピーの「転向」

 ミクの日なのでボカロについて書く。DECO*27とピノキオピーについては過去にごちゃごちゃと書いたことがあるが、ここではそれらを総合した上で考えたことを書く。
 結論から言うと、DECO*27とピノキオピーは、ほとんど同じ時期に同じ転向を遂げており、どうして彼らが転向に至ったかを考えることが、新時代のボカロについて考える道筋になるのではないか、と僕は思う。

 まず、DECO*27は初期、「少女」「母」をボーカロイドに重ね合わせるモチーフを中核に置いていた。彼の初期作品は「モザイクロール」「弱虫モンブラン」等の、少女が愛を求める内容の曲と、「エゴママ」「二足歩行」「妄想税」等の、母性的な存在がマッチョイズムを挫折させるという内容の曲に二分できる。そして2016年の「モザイクロール」以降は、このうち前者に特化した曲(「ヒバナ」、「乙女解剖」)が増えていった。
 しかし2021年以降、彼は転向する。「ヴァンパイア」以降の彼の曲は、「少女」でありながら「母」でもある存在‥‥‥要するに男性に求愛すると同時に男性を支配しようとする女性を描いている。「乙女解剖」あたりの曲が新海誠みたいな弱い少女を描いていることを考えれば明らかに変化している。「アニマル」「サラマンダー」「ラビットホール」がこのタイプの曲にあたるだろう。
 一方のピノキオピーは、最初初音ミクを「神」的な存在として解釈し、第三者からの視点で社会批判や社会に適合できない人間へのエールを歌う、という作品を作っていた。つまり社会批評や応援歌を説得力あるものにするために初音ミクという「神」を使って客観性を生み出していたわけだ。「すろぉもぉしょん」「頓珍漢の宴」「アルティメットセンパイ」がそうだ。
 だが彼の近年の作品においては初音ミクの役割が変化している。2021年の「ノンブレス・オブリージュ」では、社会の息苦しさや欺瞞が歌われるが、当の歌を歌っている主人公も誹謗中傷に手を染めていることが(歌詞とMVで)示唆されている。つまりここで語り手を担当している初音ミクは「神」ではなく「神になり切れない存在」なのだ。
 次作の「神っぽいな」ではさらに明確にその姿勢が現れている。歌詞の内容は、ネット上のポピュリズムやネット民の軽薄さを嘲笑する、というものなのだが、それを歌っている張本人も批判対象のネット民とほぼ同じこと(薄っぺらい批判によって自分を賢い人間に見せ、マウントを取る)をしている。以前のピノキオピーなら、もう少し主人公にエレガントで共感できる形での批判をさせて、批判対象からの距離を取らせていたはずだ。しかし「神っぽいな」における批判者は、意図的に共感ができないように(人間臭く)造形されている。だからこそ「神」ではなく「神っぽい」存在に留まっているのだ。
 
 このように、DECO*27もピノキオピーも、2020年前後に全く同じ転向を遂げている。2010年代、DECO*27はボーカロイドを「無垢な少女」か「大いなる母性」として、ピノキオピーは「神」として捉えて作品を作っていた。このモチーフはいずれも、ボーカロイドを非人間的で「真っ白」な存在として捉える解釈に立脚している。
 しかし2020年代以降、DECO*27は「少女」であり「母」でもある存在を、ピノキオピーは「神っぽい」存在を描くようになった。つまり、彼らはいずれも、初音ミクを単純な非人間として捉えられなくなったのだ。
 これはおそらく、ボーカロイドの浸透と拡散によって引き起こされた必然的な転向だろう。初音ミクが生まれて間もない頃は、ボーカロイドは確かに「ただの機械」だった。しかし数えきれない作品とクリエイターが生まれた今、彼らはボーカロイドを無垢な存在として解釈することができなくなったのではないか。機械でありながら様々なパーソナリティを負った、いわば「半人間」として解釈するようになったのではないか。
 特にDECO*27に関してはその傾向がますます強くなっている。ちょうど今日(3月9日)発表された「ルーキー」では、(おそらく)ミクの歌手としての遍歴が「タトゥー」として表現されている。内容としては「ヴァンパイア」に似た女子のバイタリティ的なものを歌っているが、その上で半人間・初音ミクの新たな領域を開こうとする意思表示もうかがうことができる。
 今のボカロシーンに必要なのは、このような視点だと思う。つまり、ボーカロイドが刻んできた十五年強の歴史を踏まえたうえで、技術的にも浪漫的にも「人間」に近づいた初音ミクに何を歌わせるかを改めて考える必要があるのではないかと思うのだ。今、ミクが「無垢な少女」として、あるいは「神」として何事かを歌ったとして、そこには白々しさが生まれてしまう。だからこそ僕は、ボーカロイドを安易に「可哀想な少女たち」として捉える大漠波新のようなボカロPには疑問を覚えるし、「テレキャスタービーボーイ」や「ヴィラン」といったマイノリティを題材にした曲にももう一工夫が必要だと思う。
 DECO*27は「ヴァンパイア」で、ピノキオピーは「神っぽいな」で、その一つの答えを示した。限りなく「人間」に近い「機械」しか歌うことのできないものが、そこにはある。「何がありのままなのか分からない」初音ミクに感傷を寄せたり、ボカロが人間の声に近づいたことに逆張りしたコメントを書き込むよりも、「機械」と「人間」の間を彷徨っている初音ミク「だからこそ」歌えることを考えるべきだ。

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