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小説、漫画、アニメ、映画、音楽、音MADの批評 youtubeやニコニコ動画では音MA…

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小説、漫画、アニメ、映画、音楽、音MADの批評 youtubeやニコニコ動画では音MADを作ってます ニコニコ動画 https://www.nicovideo.jp/user/128296145/video?ref=pc_userpage_menu

最近の記事

「アドロイド」から「ボカロとしてのAdo」を考える

 てにをはによる「アドロイド」を発売当日に買って読み通した。僕は歌い手のAdoのファンで、おそらく上の下には入るくらいの熱心なリスナーではないかと自負しているので、前提としてこの本の発売は正月とクリスマスが一緒に来るのに匹敵する慶事だった。  その上で、ファンとしての感情を排してこの作品の批評をする。結論から言うと、「アドロイド」は紛うことのない傑作だ。ファン受けの良い楽曲の「自己解説」で満足せず、二次創作の特性を生かした「自己批評」になっている。「ボーカロイド」という営為を

    • 「名探偵コナン 100万ドルの五稜星」から「ポスト黒鉄のコナン映画」について考える

      ※念のため、ネタバレ全開なのでまだ観ていない人は読まないでください。  「名探偵コナン 100万ドルの五稜星」を公開初日の夜に観てきた。僕は小4の頃からのコナンファンで、評価に色眼鏡が入ってしまうかもしれないが、「コナン映画」として考えればまあまあ面白い作品だと思う。もちろんストーリー的にふざけるなと突っ込みたくなる部分はいくらでもあるけど、この種の粗雑さは当シリーズでは今に始まったことではないので、(コナンファンなら)最初から欠点探しを目的として観ない限りは満足できる作品

      • 「怪獣8号」と「デジタルネイチャー」

         松本直也の「怪獣8号」について再び書こうと思う。  僕は以前、この記事で「怪獣8号」についてクソミソにけなしたことがある。この作品は(おっさんが幼馴染の女性の尊敬を得るために戦うという展開から)単なる中年男性のサプリメント、もっと言えばバイアグラ以上のものではなく、「半人間」漫画(評論家の高原到が使っていた表現だ)だからこそ描き得る問題‥‥‥正義とかアイデンティティとかの問題を一切放棄している、というのがその理由だ。主人公が怪獣になるという展開と、平凡な少年漫画の最大公約

        • 「丸​​​​​​​亀​​​​​​​​​​製​​​​​​​​​麺​​​​は、全ての店で水力発電で利用された水から作る。そうしなければ本当のうどんのおいしさを伝えられないから ~うどんであなたを驚かせたい~」について考える

           久しぶりに音MADについて書く。先日、数年ぶりに丸亀製麺に行ってきて思い出したので、Theasの音MAD「丸​​​​​​​亀​​​​​​​​​​製​​​​​​​​​麺​​​​は、全ての店で水力発電で利用された水から作る。そうしなければ本当のうどんのおいしさを伝えられないから ~うどんであなたを驚かせたい~」について書きたいと思う(めんどいので、以下「丸亀製麺は」と略す)。  一応知らない人のために説明しておくと、「丸亀製麺は」はTheasによって2023年9月13日にニコニ

        「アドロイド」から「ボカロとしてのAdo」を考える

        • 「名探偵コナン 100万ドルの五稜星」から「ポスト黒鉄のコナン映画」について考える

        • 「怪獣8号」と「デジタルネイチャー」

        • 「丸​​​​​​​亀​​​​​​​​​​製​​​​​​​​​麺​​​​は、全ての店で水力発電で利用された水から作る。そうしなければ本当のうどんのおいしさを伝えられないから ~うどんであなたを驚かせたい~」について考える

          DECO*27とピノキオピーの「転向」

           ミクの日なのでボカロについて書く。DECO*27とピノキオピーについては過去にごちゃごちゃと書いたことがあるが、ここではそれらを総合した上で考えたことを書く。  結論から言うと、DECO*27とピノキオピーは、ほとんど同じ時期に同じ転向を遂げており、どうして彼らが転向に至ったかを考えることが、新時代のボカロについて考える道筋になるのではないか、と僕は思う。  まず、DECO*27は初期、「少女」「母」をボーカロイドに重ね合わせるモチーフを中核に置いていた。彼の初期作品は「

          DECO*27とピノキオピーの「転向」

          小説「テレキャスタービーボーイ」について

           ボカロの「テレキャスタービーボーイ」のノベライズを読んだ。僕は原曲のそれなりのファンのつもりなので、この本には満足な読書体験をもたらしてもらえた。しかしその一方で、原曲とも併せて考えて引っかかってしまうものがあるのも事実だ。考えてみる価値のある作品だと思う。  原曲であるすりぃ「テレキャスタービーボーイ」は2019年に発表され、さらに翌年MVをリメイクしたlong.verがyoutubeほかに投稿されている。youtubeでは4500万回以上再生されている人気曲であり、あと

          小説「テレキャスタービーボーイ」について

          大漠波新「のだ」から2020年代のボカロを考える

           ちょっと前に「のだ」というボカロ曲が(一部で)話題になった。コメ欄とかで必死で考察している人には申し訳ないのだけれど、僕はあまりこの作品を評価できない。できないがしかし、この「のだ」はボーカロイドの十五年強の歴史全体のクリティカルポイントを考える上ではそれなりに良い素材になってくれると思う。以下、「のだ」という作品の功罪について書いてみたい。  簡単にこの曲の背景について説明しておくと、「のだ」は大漠波新によって2023年11月6日、ニコニコ動画(及びyoutube)に投稿

          大漠波新「のだ」から2020年代のボカロを考える

          「自分以外全員他人」が描いている現代的な卑しさについて

           太宰治賞を獲った西村享の「自分以外全員他人」が面白くて一気読みしてしまった。作品全体に充満した負のエネルギーに引きずられずに耐えられる人は少ないのではないかと思う。そしてその面白さとは別に、単なるアラフォーのおっさんの自分語りを超えて、現代的な「卑しさ」を的確に捉えた傑作にもなっていると思う。  あらすじと言うほどのものはない。主人公の柳田は40代でマッサージ店に勤めているが、仕事の疲労、同僚、上司、迷惑な客、母親、親族、交通マナー、駐輪所のトラブルなどさまざまなストレスを

          「自分以外全員他人」が描いている現代的な卑しさについて

          ボカロPと音MADの関係について

           「オーバーライド」というボカロ曲が人気を集めている。2023年11月29日に投稿され、youtubeでは30万回以上、ニコニコ動画では10万回以上再生されている。その人気の一因として、過去に流行したネットミームをMVの演出に取り入れたり、作者が自ら積極的に楽曲の二次創作(とりわけ音MAD)に対するサービス・条件を整えているなど、音MAD・二次創作への寛容さが大きなものとしてある。作者の吉田夜世は、「オーバーライド」を原曲に作られた音MADをほとんど制覇と言っていいほどの勢い

          ボカロPと音MADの関係について

          「首」ー渋谷事変が起こらない世界線の呪術廻戦

           今さらだが冬の間に北野武監督の「首」を見てきた。僕は北野映画には本当に全く触れたことがなかったのだけれど、鑑賞後の満足度はとても高かった。ただ、もう一度見に行きたいかと訊かれたら迷うことなく「否」だな、とも思った。そのギャップについて今回は考えてみたい。  僕はまったく明るくないが、この作品は「アウトレイジ」等の北野のヤクザ作品のエッセンスを戦国史に落とし込んだものとして位置づけられるらしい。織田信長と家臣たちのバイオレンスで支配された日々が、五分に一回くらい首が飛ぶシーン

          「首」ー渋谷事変が起こらない世界線の呪術廻戦

          2023年自作音MADセルフレビュー

          好きな音MAD職人の方が自作のセルフレビューをしていたので、僕も真似をして今年作った音MADの自己評価をしたいと思います。  2023年3月から12月にかけてニコニコ動画に投稿した29作品を対象にします。基本的にある程度自分で満足できるクオリティの作品だけをニコニコに上げているので、今自分がどのような位置にいるのかある程度正確に測れると思います。星の数は自己満足度です。 1 四方八方沖矢昴 ★★☆☆☆ youtubeを先に始めた僕はニコニコに足を踏み入れたばかりだったので

          2023年自作音MADセルフレビュー

          DECO*27はなぜ「母性」にこだわるようになったのか

           DECO*27はボーカロイドの黎明期から活発に活動を続けている最古参ボカロPであることで知られている。初音ミクが情報社会の新たなムーブメントとして期待された頃から、「低迷期」を越えての再ブーム、そして2020年代の浸透・拡散に至るまで、今日までのボーカロイドの熱狂の背後にはいつも立役者の一人としてのDECO*27がいた。  彼の作風は、基本的には「男性の愛を求める少女」としてのボーカロイド解釈に立脚している。そもそもボーカロイド自体が男性的欲望の救済装置的な役割を担ってきた

          DECO*27はなぜ「母性」にこだわるようになったのか

          「怪獣8号」のしょうもなさ、傲慢さ

           松本直也の「怪獣8号」を読んだ。この作品はここ十年のバトル漫画の主流を占めてきた「半人間もの」に属するが、結果から言うと近年のそれらの作品群の中で最も矮小でつまらないものに仕上がってしまっているように思える。どうしてここまでアンチにならざるを得ないのか、書いていきたいと思う。  内容の説明から始めよう。舞台は突如出現して殺戮と破壊に走る「怪獣」が跋扈している近未来の日本で、主人公の日比野カフカは討伐された怪獣の死体を処理するスクラッパーだ。彼は幼い頃から怪獣を討伐する部隊に

          「怪獣8号」のしょうもなさ、傲慢さ

          ボカロのノベライズに潜む批評性

           僕はボカロのノベライズというものが好きで、知っている曲の名前を角川ビーンズやMF文庫Jあたりの背表紙に見つけるたびに購入している。「恋愛裁判」とか「グッバイ宣言」とか「ロキ」とか「脳漿炸裂ガール」あたりを読んできた。  僕が今回書きたいのは、これらのノベライズに(おそらくは作者も想定していないレベルで)潜んでいる、ボカロという文化自体への批評性についてだ。  ノベライズは、基本的には婉曲な表現が多いボカロのストーリー性を直線的にしてほしいという視聴者の欲望に応えたものだ。例

          ボカロのノベライズに潜む批評性

          YOASOBIの「狭さ」

           今回はYOASOBIの曲に付き纏っている奇妙な「狭さ」について書いてみたいと思う。  初めに前提として言っておくが、僕は一ファンとしてYOASOBIの曲は大好きだし、音MADの原曲としてたびたびお世話になってもいる。批評対象として見ても、とても偉大な作家であると考えている。僕は語ることのできるほどの見識を持っていないが、音楽的な見地からは賞賛すべき点がたくさんあるはずだし、タイアップ作品の特徴を的確に掴む能力、「小説を音楽にする」という手法を通したジャンルの越境も評価されて

          YOASOBIの「狭さ」

          「チーム・オルタナティブの冒険」と「ふりかけ」の問題

           宇野常寛の新刊「チーム・オルタナティブの冒険」を読んだ。僕は宇野の文章を読んだことがきっかけで、「批評」の世界に興味を持ち、結果的にこうしてブログで怪文書を垂れ流している身なので、この本の情報が出てから読めるのをとても楽しみにしていた。  本作は単行本としては宇野が書いた初めての小説となる。地方都市に暮らす主人公の少年・森本は、SOS団みたいな状態になっている写真部で親友たちとのホモソーシャルな関係に閉じ籠もりながら、周囲のクラスメートや大人たちを軽蔑している、典型的な厨二

          「チーム・オルタナティブの冒険」と「ふりかけ」の問題