潜入!猫乃寮祭③脳みそケーキと女王様

 あの灰色のドア。鉄のカーテンという言葉を聞くたびに思い出す昔住んでた団地の鉄製のドア。あらゆる家庭は極小の社会であり国家であり、外の常識や法律が通用しないことはザラにある。たまたま私の両親は共産主義者だったので、あのドアの中は共産主義国だった。子供のころの私は毎日ベルリンの壁を超えているようなものだった。ドアの外の世界は欺瞞と差別、自己保身と利益追求の吹雪が吹き荒れる氷の世界だった。お金持ちはみんなずるいことをしていると思っていた。貧しくて優しくて正しい両親を尊敬していた。
 
 今思えばあれは一種の選民思想に他ならない。世界はもっと複雑で一筋縄ではいかない。共産主義者だって当然のように自己保身と利益を追求する。資本家が社会貢献することもある。両親はよく喧嘩か議論かわからない言い合いをしていた。父はパチンコで借金を作ったし、母はヒステリックに家族を支配した。幼いまま親になって不安を抱えながら子育てをした両親への労いと感謝の気持ちはあるけど、子供の頃のような絶対的な信頼と尊敬はもうない。

 それでも、いや、それだからかもしれない。時々、どうしようもなくあの鉄のドアが懐かしくなる。幼いころ世界は善悪にくっきりわかれていた。子供の私は善の側にいて、家族と身を寄せあって暮らしていた。氷の世界。暖かい家。あの鉄のドアに貼られた小鳥のシール。覗き窓から漏れるオレンジ色の灯り。

😸鴨川サンドイッチ😸

 黒ずくめと白シャツと私の3人はサンドイッチを買って鴨川の土手に並んで座った。
「来世では京大入って猫乃寮か駱駝寮に住みたいです」
と白シャツがいうのに私が大きく頷くと、黒ずくめがふふっと笑う
「来世といわず現世でも‥」
「無理ですって!」
「院って手も‥僕もまた仕事やめて‥今度は医学部で脳科学勉強したい‥」
「院も試験あるでしょ?聴講生でもいいのかナ?」
「学籍があれば‥たぶん大丈夫‥寮生の‥家族も住める‥」

 黒ずくめが眩しそうに顔をしかめ太陽に手をかざすのを白シャツがしきり心配している。優しい時間だ。一緒に行動できてよかった。目の前を、ゆったりと広い川が流れていく。
「鴨川っていうだけあってホントにいっぱい鴨がいるネ」
「自然が身近にあるのはいいですね」
「魚とってきて‥寮で焼いて‥食べたりもした‥」
「エッ漁業権は!?」
「寮の中は‥治外‥法権‥」
「ナンデヤネン!」

😸ミンセイ池😸

サンドイッチを食べ終えた我々はぶらぶらと猫乃寮に戻った。
駱駝寮は木造二階建てで100人ほどしか住んでいないのに対して、猫乃寮は鉄筋コンクリートの4階建てで400人ほどの寮生が住んでいるそうだ。

小学校の校舎ほどの建物。来訪者名簿に名前を書いて、土足のまま上がる。大学非公認の駱駝寮のほうが管理がしっかりしてる。この辺の文化の違いも含めて「自治」なのかもネ。塩化ビニル張りの廊下には所狭しとベニヤ板やらペンキやらが置いてあって文化祭前の学校という趣。

黒ずくめに案内してもらう。建物は巨大なEの形をしていて、突き出た部分がA棟B棟C棟、さらにそれぞれのフロアごとに共有の居間のようなスペースがあるらしい。
「3棟×4フロアにグリファーンドール!ハッフルパフ!スリザリン!みたいなのがあるってコト?」
「そう‥グリフィンドール‥みたいな感じのが‥12ある‥」
「組分け帽子で決まる?」
「組分け帽子はない‥はじめは‥ランダムに決まって‥でもあとで引っ越ししていい‥ぼくも‥友達と同じところに引っ越した‥」
「ふうん。あ、あれは何?」

私が指差した窓の向こうには赤い鉄骨のやぐらが立っていた。中庭に出てみると緑色に濁った四角いプールがあり、その四つのかどにやぐらの脚が一本づつ立ってプールの中央で繋がっているのだった。
「これは‥ミンセイ池‥」
黒づくめの色素の薄い横顔が庭の緑に映えてきれいだ。この男はときどき少年のようにも見える。
「ミンセイっていうと眠酒性粘同盟のこと!?」
「そうかも。なんかいろんな伝説がある‥ここで眠性員が死んだとか‥。あの櫓に吊るしたとか」
「ええっなにソレ!?金田一耕助出てきそう!むしろ金田一一出てきそう!じっちゃんの名にかけて!」
「ミンセイってなんですか?」
と白シャツが聞く。黒ぶちメガネの奥の目は笑ってるのようにも戸惑っているようにも見える。
「強酸党の下部組織だヨ。政治活動は15歳からできるけど政党活動は18歳からだから若いうちから囲い込んどくんだヨ。強酸党入党より気軽な感じするしネ。私も15から18まで入ってたヨ」
「へー」
緑色に濁った水の中に目を凝らすと大きなオタマジャクシの影が揺れる。夏には巨大なウシガエルになってモーモーうるさく鳴くだろう。

😸脳みそケーキ😸
食堂に戻ると、たくさんの人がいた。黒ずくめの後ろに続いて端っこのテーブルに向かうと、女学生が透明のスプーンをくれた
「脳みそケーキです!一緒に食べましょう!」
「えっいいの?ありがと〜おいし〜」
「きゃー私も私も〜!」
ピンク色の脳みその形をしたケーキは、チョコとラズベリーのムースでできていてとても美味しかった。同じ釜の飯を食うじゃないけど、なんとなく精神的な距離が近くなる。
「オネェさん寮生ですか」
と声をかけてきた女性はどことなく黒猫を思わせる大きな瞳でワンレングスの艶やかな黒髪をしていた
「いえ、寮生でも狂大生でもなく、観光できました。寮生ですか?」
「私たちも部外者で、観光です」
聞けば彼女は十三で女王様をしてるという。
「まぁ!女王様がお忍びで!ローマのみたいですネ!緊縛とかできるの?」
「できますよ。縛ってあげましょうか」
「縛って縛って!!でももう電車の時間が!残念!今日はありがとうございました!またね!」
そんなわけで私は女王様と白シャツと黒ずくめに手を振って駅に向かった。


えっいいんですか!?お菓子とか買います!!