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書くべき時に書くために

随分昔の話になるが、就活時代に通っていた文章教室で教わったことを、今更じわじわと思い出している。

「自分にしか書けない文を書く」。
初回の講義で力説されるのだから、肝に銘じておかねばならない重要ポイントなのだろうが、うーん、なんだか。不安な気持ちで聞いていた。
いや、もちろん講義では詳しく具体例を挙げて指導してもらい、多くのヒントを得た。
特に「自分にしか書けない」の入り口として、お題を与えられたら「他の人は何を書くだろう」と想像し、そこを避けるということ。
あれから何十年もたった今日まで、テーマに向かうときにまず「これは書かない」を決めることが、無意識のルールになっている。

だけど気づいた。わかってなかったな。「自分にしか書けない」のほんとうの意味。

きっかけは、坂本美雨さんの文章。父親の坂本龍一氏が亡くなったあとSNSで発表されたメッセージだ。
冒頭だけ引用する。

ずっとずっと、憧れていました。
私が生まれた時から父はたくさんの人に愛され、
近くて遠い存在でした。

生まれた時から、近くて遠い存在。それだけで、著名人というかカリスマ的人物の子どもとして生きる背景を想像させる。そして父を慕い続ける切なさが胸を刺す。
これはこのかたにしか書けない言葉。こういうことなんだなと思う。

もうひとつ思い出した。昨年、芸人の上島竜平さんの死を受けて、同じグループの肥後克広さんの言葉。
これも一部だけ引用。

何をやっても笑いを取る天才芸人上島が最後に誰も1ミリも笑えない、しくじりをしました。
でも、それが上島の芸風です。
皆で突っ込んで下さい。

これもほんとうにこの人の立場でしか言えない言葉ばかり。愛情しか見当たらない。読んでいると自然に涙が出てくる。

おそらくどんなに作文スキルを磨いてもたどり着けない場所がある。
その人だけが知っている、その人だけが操れる言葉。

たまたま2つの例は有名人が書いた大切な人とのお別れの言葉であり、特別感があるが、生きていたら誰にでも「自分にしか書けない」文を書くべき時がやってくるのではないかと思う。

書くべき時に書くために、さて何ができるのだろう。





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