見出し画像

努力すればするほど人を見下す時【思索】

自身が死に物狂いで努力して身に着けたスキルを他人が持っていなかった時、人を見下してはいないだろうか?

周りが遊んでいる間に、自分は必死で勉強やアルバイトや仕事をする。

ストレスが溜まって暴飲暴食をするのを我慢してダイエットに励む。

確かにそれは誰でもできることだが、誰しもがするわけではない。

その努力ができる人はとても尊敬する。

しかしながら、その努力には心が伴う必要がある。

つまり、何のために努力しているか? ということだ。

本来は人を見下すために努力はしていないはずだ。

(ダイエットして綺麗になって見返してやる! というのはあるかもしれないが……)

自分を変えたくて、成長させたくて、お金を稼ぎたくて……といった様々な理由で努力をするはずだ。

しかし、その過程で心の成長を停滞させてしまうとその努力は他人を見下すために利用される点には注意しておきたい。

自分はこれだけ頑張っているのに、貴方はその程度。

これだと目的が変わってしまい、せっかくの努力が無駄になるかもしれない。

こういった感情が芽生えた時は、もしかしたら自分がしたかった努力ではない可能性がある。

もちろん、あくまで可能性の話だが、無駄な努力だとか言われるのは大抵そういう時だ。

努力というのは、他人が入り込む余地など本来ないはず。

一丸となって努力するなら問題はないが、他人と比較して自分の努力の数値を見るのは果たして、努力を活かせるのだろうか?

努力を数値で測るときは、自分の数字でしか測れないはず。

他人は関係がない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?