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短い小説のつめあわせ

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ジャンルを分けず、短い小説を詰め合わせています。原稿用紙10枚程度のものが主で、それより短いものや、連載のものもあります。好みのものが見つかれば幸いです。 不定期に更新中。感想頂… もっと読む
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2019年3月の記事一覧

青空心中

青空心中

「僕はね、とにかくもう我慢ならないんだ。明日退職願を突き出してやるのさ。あの忌々しい上司に。どんな顔をするかね」

 二つのショートグラスにスカイダイビングが注がれ、それぞれの前に置かれたころには、田畑はどっぷりと酔いに浸かっていた。空を閉じ込めた三角の欠片に吸い込まれるように手を伸ばし、澄んだ青色に一つ口をつけて置く。その様子を志摩は、自分はグラスに口をつけずに見守っていた。カウンター席に二人は

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ピーナッツバター戦争

ピーナッツバター戦争

 ピーナッツバター戦争というのは、僕が小学五年生の時の体験である。当時カッちゃんが持っていた物が印象的だったので、そう呼んでいる。
 カッちゃんと言うのは幼稚園からの付き合いで、親友である。
「シンちゃん、カブトムシ取りに行こ」
 と、言われれば一緒に林の中に入ったし、
「シンちゃん、一緒に釣りに行こ」
 と、言われれば一緒に釣竿を持って出かけた。後ろについてくるカッちゃんは、当時一人っ子だった僕

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バナナ熱には向かない季節

バナナ熱には向かない季節

 市内の街路樹はもう桜が咲いているというのにこの森ときたらまだ雪景色のままだった。木々は感情も風情もなしにそこらに立っている。昼間なのに薄暗く、空気中の水分は肌を刺すような冷たさ。今の私にとってはうってつけなのかもしれない。
 この森は「死に方がわかる森」で有名な場所である。もう楽になりたかった。電車に乗って三時間、歩いて一時間、女一人で来るには辛い道のりを、死ぬためにやってきたのだ。
 それにし

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それはコロナのせい

それはコロナのせい

 それはもう、身を焦がすほどの出来事だった。付き合って四ヶ月しかたっていないのに、振られたのだから。兆候なんてものはない。昨日のラインでは絵文字もスタンプも使っていたし、他愛のない会話で終わっていたはずだ。後ろめたいことなどもちろんない。
武藤に酒を片手に電話をしたのは、失恋話を聞いてほし空だった。武藤は女友達だが、俺は彼女のことを信頼していたし、恋愛のことでいつも相談に乗ってもらっていた。
「も

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昨日の歌

昨日の歌

 昨日聞いた曲を思い出せない。職場の飲み会があって二次会にカラオケに行ったときのあの曲名が思い出せない。スーパーで流れていた曲だっただろうか。いや、誰かのスマートフォンから漏れ出ていた曲だろうか。とにかく聞いた覚えがあるのに思い出せない。
 思い出せないなら忘れてしまおうと思っていたが、どうも引っかかる。忘れようとすればするほど思い出さなければならないという使命感じみたものが強くなって、目の前の事

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