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5才のときの愛読書は、辞書だった

<バーアテンダント17>

「寸足らずのゲイ」と自分をこき下ろすトルーマン・カポーティ。

でも、周囲は、ほっておかなった。

名だたるカメラマン、アーヴィン・ペンとか、リチャード・アヴェドンなど、
狙撃手のように、憂いをたたえた彼に照準を合わせた。

そして、暇を持てあます富裕層も、ウイットに富んだ饒舌の小説家の周りを囲んだ。カポーティの両隣には、”Walker(歩く人)"と呼ばれる美女をはべらせた。
パーティ会場には屈強なガードマンが、女優の宝石を守るために派遣されていた。

富裕層にとっては、カポーティは、”知的アクセサリー”。彼のパーティに呼ばれることが、ステイタスであり、見栄だった。

カポーティと同年9月生まれ、14日年長のお姉さんの女優のローレン・バコールも、パーティの常連だった。

ローレン・バコール©︎SheKnows

20歳だったアンディ・ウォーホルが、ポスターのカポーティに一目惚れし、ファンレターを送った。しかし、彼はカポーティの好みではなく、相手にされなかった。

マーク・トウェンが言った「虚栄と欲望が混じった」パーティは、カポーティ自身をおごらせ、まひさせるのはわかっていた。しかし、有頂天になるほど、馬鹿ではなかった。それでもパーティの歓声は、疲れた脳が欲しがる甘味だった。


映画より面白いコンテンツを持つカポーティの人生は、2度映画化された
「カポーティ(2005)」「カポーティ 真実のテープ(2020)」

フィリプ・シーモア・ホフマン主演の映画「カポーティ」©︎movieinsider.com
リチャード・アヴェドン撮影 映画「カポーティ真実のテープ」©︎www. cinematerial.com


ニューオーリンズの高級娼婦の母は、カポーティが2歳のときに離婚し、親戚に
預けられた。

「俺はなんて不幸な星の下に生まれたんだ」と、大人になってなげくパターンが
用意されていた幼少期だった。

ところが、カポーティ少年は、不運を感じなかった。幼稚園ではすでに辞書を持ち歩いていた。小学校に入ったときは、読み書きができた。先生にほめられると
「ひとりで、何もすることがなかったから」と言った。

8歳で母が再婚するが、義父は横領で捕まり、結婚強制終了。また、親戚と
二人っきりになる。

小学校から戻ると、他の児童が音楽を習うように、毎日3時間は短い文章を書いていた。そして、11歳で小説を書き、12歳で全米学生小説賞をもらった。

23歳のデビュー作「Other Voices, Other Rooms(他の声、他の部屋)」は、誰の声も届かない、居場所がないゲイの孤独を吐露した。

”抑圧された感情の詩的な暴発”と本人は呼んでいる。

自らのゲイ嗜好を正直に認めることは、降伏することではなく、自由になるための自己の確立だと考えた。

雑誌コスモポリタンのファッション・カメラマンに撮られたカットは、カポーティ自身でポーズをつけた。ハードカバーの表紙を飾る有名な写真になった。

ハロルド・ハルマ撮影カポーティ(24歳)©︎kelton-blogvalencia blogspot.com

NY5番街の書店に大きく貼られた、カポーティのポスターを見た通行人の声は
「何も知らない無防備な若者よ」「もし、彼が若くなかったら、とても危険よ」。
それを聞いたカメラマンは、成功したと思った。


2作目は、カポーティ34歳。映画化された「Breakfast at Thiffany's(ティファニーで朝食を)1958」。

カポーティのパーティで、富裕層の男を追いかける、若い女性たちをスケッチし、数人の女性の性格を一人にして主人公をつくりあげた。後にオードリー・ヘップバーンが演じることになる。

宝飾店ティファニーは、フルセットの銀食器をカポーティに贈り、祝福された
スタートだった。

前作で、文字と同じくらい絵に力があると知ったカポーティは、ポスターのカメラマンを強引に指定。希望をすべて受け入れた、3社目の出版社で決めた。

デイヴィッド・アッティ撮影
「ティファニー〜」執筆の頃のカポーティ(34歳)©︎web-windows.tubitv.com
デイヴィッド・アッティ撮影©︎le0pard13.com

この頃が、カポーティにとっての絶頂期だった。

しかし、パーティをやっても、孤独はいやされなかった。

娘が欲しいと思い、養女にしたい女性の家に出向いた。カポーティは高揚し、女性のようなかん高い声で、気取った英国アクセントで、彼女に語りかけた。

彼女は、キッチンに駆け込み、大声で笑った。父親が「笑うんじゃない。お前のお母さんになってくれる人だよ」とさとした。

養女になって数日後、彼女の父親が、カポーティと結婚。新たな父親となって、娘の前に現れた。


そして、カポーティの代表作「in Cold Blood(冷血)1965」。
カンサスの田舎町の一家惨殺事件の殺人犯を追ったノンフィクション。

出版社に弁護士を雇わせ、上訴を重ね、裁判を長引かせ、その間にカポーティが
独自に尋問をする。作家の洞察力で、凶悪犯の深層心理まで迫りたいというのが、スキームだった。

自分ならできると、カポーティは思った。

カポーティには、カメラマンを考える余裕もあった。ファッションフォトのリチャード・アヴェドンを刑務所に送り、殺人犯の撮影を敢行した。


狙いをつけた犯人は、アメリカン・ネイティブの血が混じっていた。差別されて育ってきた男には、抑圧された異常性が潜んでいるはずだ。娼婦の母を持って、ゲイ差別を受けてきたカポーティの血が騒いだ。

しかし、受刑者には辛苦を噛みしめた悲哀も憤怒もなく、カポーティを絶望させた。絞首台に登って、最後に言いたいことはと問われて「、、忘れた」と言って身体を痙攣させて果てた。

ノンフィクションのはずが、男の心の暗部をあばけず、カポーティの創造力で埋めていくしかなかった。脱稿したカポーティは、立ち直れなかった。賛辞が集まり、ベストセラーにはなったが、カポーティの心は晴れなかった。

リチャード・アヴェドン撮影
「冷血」執筆時のカポーティ(39歳)©︎cindybruchman.worldpress.com


最後の著作は、「Answered Prayers(叶えられた祈り)1965(未完)」。罪深い
カポーティのパーティの常連、薄っぺらい仮面夫婦たちのスキャンダルを、情け
容赦なくあばいた。

エドワード・ポッパーの表紙デザインは日本版のみ、新潮文庫©︎bookmeter.com

社会の底辺からはい出た人間だけが持つ怨念のような狂気で、カポーティは、社会への復讐を遂げたのかも知れない。

ウオール街の弁護士からしたたかに打撃され、エデンの楽園から追放された。

カポーティは、アルコールと薬物に溺れ、59歳で、”社会的自殺”をした。

婦人たちの胸元を飾っていた”アクセサリー”は、音もなく床に落ち踏みつぶされた。

アーヴィン・ペン撮影カポーティ(41歳)©︎pinterest


<at the bar>

カポーティが、
”安らぎを溶かしたアルコール”と呼んで愛した
マティーニ©︎bigodino.it





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