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安藤直樹シリーズを読んだよ①

 ここ半年くらい(もっと長期間か?)、小説などの活字本を読んではいるものの、感想を書くなどの出力行為をめっきりしなくなっており、そろそろTwitter(現X)での字数制限以上の文字数の文章を書けなくなりそうなので、リハビリがてらに最近読んでよかった小説のことをつらつらと書いていこうと思います。
 ちなみにいまはオカルトめいた事件をめちゃめちゃ正気の神父が解決する短篇集物語冒頭から女学生たちが河童について50ページくらい談義する長篇を併読しています。どちらもたのしい。
 閑話休題。タイトルにもある通り、この記事で主に言及するのは安藤直樹シリーズ。作家・浦賀和宏による、第5回メフィスト賞受賞作品である『記憶の果て』から幕を開ける、通称“笑わない迷探偵”の安藤直樹をメインキャラクターのひとりとした連作です。まぁ、作品世界が繋がっているというだけで、安藤直樹がほとんど登場しない作品もそこそこあったりはするのですが、それはまた追々。
 とりあえずこの記事では『記憶の果て』~『頭蓋骨の中の楽園』について、いつ書かれるか定かでない②の記事で『とらわれびと』~『透明人間』について書きます。おそらく作品の内容への言及が少なからずあります。『萩原重化学工業連続殺人事件』と『女王暗殺』は、まぁ、その、間に松浦純菜シリーズとかあるので、もし言及するとしても遠い未来の話かなと……。
 ではでは、前置きはこのへんで。

浦賀和宏『記憶の果て』

親父が死んだ。自殺だった。俺は安藤直樹。親父が残したパソコンのなかにいるのは裕子。いや違う、あれは単なるプログラムにすぎない。でもプログラムに意識が宿ったのならば…。いったい彼女は何者なんだ!徹底した方法意識に貫かれたテクストが読者を挑発する、第五回メフィスト賞に輝くデビュー作。

記憶の果て (講談社文庫) | 浦賀 和宏 |本 | 通販 | Amazon

 本作を一言で称すると、“安藤直樹”という名の箱。物語冒頭から自殺した父親だの、父が遺した自分と同じ名字を持つAIだの、そうした謎をいくつもぶつけられて、ただの大学生である安藤直樹はどんどん内へ内へと自閉していきます。そして、物語が進行し、謎が解明されるごとに、自閉はますます進行する。彼が今まで生きてきた現実はぐらぐらと揺らぎ、内にあったグロテスクな真相が次々に姿を見せる。外に逃げ場はなく、彼は段々と、自分の姉を模している(と思われる)人工知能、安藤祐子への依存を深めていく……。
 本作の特筆すべき点は、上記のような、安藤直樹が現実世界から距離を置き、自身(と安藤祐子)のみが存在する殻に閉じこもっていく様が、一人称視点で執拗なまでに描かれることでしょう。長大な物語である本作のほとんどは、彼が悩み、苦しみ、外界に当たり散らしながら壊れていく一部始終の克明な記録であり、こんなもん本来は安藤直樹のみの秘密として墓場まで持って行くはずのもんだと思います。しかし、これは一人称小説なので、そのプライベートな秘密が赤裸々に読者にお届けされる訳ですよ。読んでいる最中は、本当にこんな背徳的な気分になる小説を読んでええのかという気持ちになりました。ガチで。
 物語終盤になると、安藤直樹は決定的な破局を迎えます。そして、真相の完全な解明とともに、安藤直樹は完全に他者と切り離される。辛うじて彼と現実を繋いでいた一本の糸がプツンと断ち切られた瞬間、安藤直樹は、脳の内側にある世界の住人となる。そうなってしまえば、もはやただ辻褄が合うだけの解決に、正しいだけの真実に、価値はない。幕切れの際の恐るべき静謐は、この物語/箱が閉じられ、二度と開かないことを、残酷なまでに象徴しているように思います。


浦賀和宏『時の鳥籠』

私は、この子がそう遠くない未来に死んでしまうことを知っている―初対面の少女の自殺を、何故か「私」は知っていた。「私」の生まれてきた理由は、その少女を救うためだから…。少女に出会った途端、意識を失った「私」が、過去を語り出すとき、日常は、呆気なく崩壊していく…。著者の感性が全編に横溢する新エンターテインメント。

Amazon.co.jp: 時の鳥籠 (講談社ノベルス) : 浦賀 和宏: Japanese Books

 前作『記憶の果て』の続篇というよりは姉妹篇といったほうがしっくりくる作品です。前作を“箱”として称した訳ですが、じゃあこの作品は何なのか。これはもう、とてもわかりやすいですね。書名通りです。本作は“鳥籠”です。あるいは檻。視点人物たる浅倉幸恵が、知らぬ間に物語に閉じ込められて、愛玩される内に、外の世界から出られなくなっている……そんな作品です。タイムトラベルというガジェットをこの上ないほどに悪用した代表例として語り継いでおいたほうがいい。作者には底知れない悪意がある。
 この物語の何が酷い(すごい)って、本当に物語が完膚なきまでに閉じきっていて、作中世界の全員が浅倉幸恵の運命に関与不能なことですよ。ただでさえちょっとだけ頼みの綱っぽかった安藤クンが完全にぶっ壊れてるのに、外部からのアクセスまで封じられているし、何より当の浅倉すら鳥籠の中の生に満足しているんですから、もうどうしようもない。
 浅倉幸恵は、安藤直樹シリーズで唯一、読者が余白に対して想像を膨らませる余地のない、『時の鳥籠』に封印された登場人物なのです。

浦賀和宏『頭蓋骨の中の楽園』

首無し死体となって発見された美人女子大生、菅野香織。彼女の死と殺害方法は、ミステリ小説の中で、何故か予告されていた。首は見つからぬままに、再び発見される女子大生の首無し死体。異常なる連続殺人の背後には、密室の中で首を切断して自殺した作家の存在があるという。事件と対峙するのは、笑わぬ男、安藤直樹。安藤が最後に微笑むとき、明らかになる「世界の謎」、そして驚愕の「切断の理由」。若き才能が、ミステリ・ルネッサンスの先を見つめ、自らの存在を賭けて挑む超絶のエンターテインメント。

Amazon.co.jp: 頭蓋骨の中の楽園 (講談社ノベルス) : 浦賀 和宏: Japanese Books

 現状、浦賀和宏シリーズのベストは何かと訊かれたら、ぼくは本作を挙げます。無二の傑作。

 これが読み終えた当時のぼくの感想。概ねこの通り。本作の優れている点は、通常の推理小説で欠点となるような箇所が、作品の個性となっているところです。
 どういうことか。まず『記憶の果て』の出来事で安藤直樹はもはや現実世界に興味のない人間になっている訳なんですね。大切なものはすべて手の内にある。現実世界がどうなろうと知ったこっちゃない。自分が何かして誰かが酷い目に逢おうがどうでもいい。……こうした精神性をマジで持っており、躊躇わずに行動に移す人間、それが“笑わない名探偵”安藤直樹の正体です。
 『頭蓋骨の中の楽園』で起きる連続殺人事件の真相は最悪です。人間の業と欲望が、人間の意図と偶然の連続によって有機的に絡みついた歪な集合体こそが、この事件の真相です。この各事件の内容については、実際に読んで体感して貰うのがいちばんよい。
 安藤直樹は、本作で起こる事件のすべてを、ただパズルを解くかのように、実にあっさりと紐解いていきます。彼はその際に、他人に対してまるで斟酌しません。なぜなら他人だから。真相を知って誰が傷つこうが知ったこっちゃない。興味がない。異常な出来事が淡々と語られ、流れ作業のように処理されていく。こんなに悲劇的で異様な出来事がこんなにあっさりと(語弊ありきでいうと、雑に)解決されていいのか、とぼくは思いました。しかし解決されます。なぜなら探偵役が安藤直樹だから。
 そして、事件の解決と、通常のミステリでは到底赦されないような横紙破りを経て、安藤直樹は、彼と彼の周囲の人物の人生をめちゃくちゃにするような事実に直面します。というか実際、彼と彼の周囲の人物の人生はめちゃくちゃになります。でも安藤直樹は気にしません。なぜなら彼の人生はすでにめちゃくちゃだし、もうめちゃくちゃだろうがどうでもいいと思ってるし、彼の周りがめちゃくちゃになろうがどうでもいいからです。まじかよ。本当にそれでいいのかよ。でもこの作品はそのスタンスを貫き通したんですよ。ぼくには真似できないです。っていうか浦賀和宏という作家にしかこんなもん書けないと思います。作品を測る物差し自体を疑わせるような作品なんです。だから傑作なんです。

 さいごに、ノベルス版『頭蓋骨の中の楽園』の裏表紙にある、千街昌之氏による短評を引用して、noteを締め括ります。ぼくはこの評を読んで感動しました。

『記憶の果て』の主人公・安藤直樹が、古典的な「名探偵」の役割を演じるこの物語は、にもかかわらずその結末において多くのミステリファンを当惑させるだろう。――だが私は敢えて、本書を謎解き小説(ミステリ)として読んでみることを勧めたい。人間が、狂気に至るほど明晰な理性と、冷静な判断力を溶かす劇薬のような感情、その双方の仕掛ける罠に挟まれて苦悶する壊れやすい生き物である限り、理性と感情を連結する歪んだ蝶番の在処を捜し求める物語が、ミステリと呼ばれてはいけない理由などありはしないのだから。

Amazon.co.jp: 頭蓋骨の中の楽園 (講談社ノベルス) : 浦賀 和宏: Japanese Books

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