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2度目の東京生活の終焉

 2023年3月、自分は宮城の実家を見限ると言い捨て2度目の東京での生活を送る道を選んだ。結論から言えばこれは大失敗なわけであったが、それなりの収穫もあったと言えよう。
 題するなら「くあちる東京編その2」といったところだろう。その1は過去に散々語ってきたので割愛。

 昨年、自分は実家にいながらも適応障害に苛まれていた。言い訳に過ぎないが、それはこんな自分が今さら家族にどう接したら良いのかという戸惑いの感情が主で、母に冷酷な態度を取り続け、父に意地を張り、自分は人として本当に落ちぶれていた。これは病気のせいにするつもりはない。本当に最低だった。
 一人でなら、東京でなら自分は新たに、くあちるとして人生をやり直せる。そう思っていた。

 だが引越してみてどうだ。数日でこのマンションは壁が薄すぎるという事態に直面し、配信を生業としたかった自分は声を出さなければならない都合上すぐに頓挫してしまった。今思えばこの時点で管理会社にクレームを言っていればよかったのだろうが、まさか引越したばかりでそんな発想には至らなかった。だがこれは自分の未熟さが招いたものでもある。そしてそれを踏まえた上で言わせてもらうが、リモート内見などという口八丁の詐欺はもう二度と使わない。みんなも絶対にリモート内見だけはするな。後悔する。それがたとえ鉄筋コンクリート造のマンションだろうとも。何だろうと。絶対に自分の眼で見るのだ。

 4月、ここは桜がとても綺麗だった。最近ではいつ見たのか記憶していないが、「街」と「桜」が映し出す光景はとても美しかった。それにまだ希望を抱いていた。東京でならきっと何かがある。だがそんなもの、やはり希望的観測に過ぎず、結局はODとインターネットに沈みゆく日々。

 何月だったか忘れたが、1ヶ月だけ歌舞伎町でアルバイトをしていた。厳密にはホストじゃないのだが、経営者が「もはやホストだ」と言っていたのでホストということになるのだろうか。
 自分を含め、面接には6人がいた。その中で自分しか合格しなかったのは、ほんの少しだけ自慢できる。別に自慢するような内容でもないが。
 まあ人生で一度はやってみたいと思っていた事だし、経験値を稼ぐにはちょうどいいなと思っていた。そして蓋を開けてみれば、すぐに自分は珍妙な存在に成り果ててしまった。
 初対面の女性と1対1で、いきなり何を話すねん。と悩む時点でこういう業種に向いていないのは明白。まだワンチャンあるだろうかとぼちぼち粘ってはいたものの、指名は一つも無し。後から入ってきた人に売り上げを抜かされる。果てには何やらやってはいけないことをしてしまい中間管理者に「死ね」と言われる。最後のこれで辞める決意が立った。
 次の週、自分にはこの業界は向いてませんでした。と言って歌舞伎町からは去った。
 くあちるとして鍛えてきた雑談力も、ここでは無力だったのだ。それもそのはず、くあちるのいた世界とそこの世界はまるで違うのだから。
 余談だが、自分がカウンターでグラスを洗っている時にいきなりカップルらしき男女が険悪な雰囲気になり、男の方から女をビンタしたのは流石にドン引きした。その衝撃でカウンターに置かれていた一万円札がシンクに落ちてきて諭吉が少し濡れたし、一緒に話をしていた店長も男を止めるので必死だったし、怖すぎるだろ歌舞伎町。店自体は至って優良だったものの、もう二度とあんな街で働こうとは思わない。

 歌舞伎町で働いていた1ヶ月間、やはり夜職ということで自分は朝に帰宅するようになっていた。
 そこでほぼ毎日、マンションのゴミ置き場を清掃するお婆ちゃんと顔を合わせるのだ。そのお婆ちゃんがどこか母方の祖母に似ていて、話を聞けばお婆ちゃんは福島出身だという。なるほど東北の血というものかそれとも単なる勘違いか、温厚なお婆ちゃんは皆ああいうものなのだなと思っていた。
 最初は良かったのだが、次第に自分はお婆ちゃんと会うのが嫌になってきた。
 お婆ちゃんはお節介すぎる。顔を合わせる度に「親に迷惑をかけちゃいかんよ」「犯罪だけはしちゃいかん」「両親に感謝するんだよ」などと言う。その優しさはとてもありがたいのだが、いかんせんくどいのだ。
 すぐに切り上げない自分にも非があるが、だから毎回中身のない話をだらだらと続けることになってしまうわけで、それでいつしかお婆ちゃんを避けるようになってしまった。

 この頃まで日記を毎日書いていたような気がする。元々はにゃるらさんの真似をして始め、それで1年続けて満足してしまった。今でもデエビゴを飲んだ時にはインスタグラムのストーリーのような画像を用意してTwitterでツイートしているのはその名残だと思われる。あれは最近始めたものだけれど。

 フォロワーと上野の美術館に行ったな。あの時は楽しくて新鮮な気持ちになれた。
 その時期にふとペンタブを購入し、絵を描き始めた。『無問題』『非リア』『税金』という3人を生み出し、勢いづいて少しの間4コマ漫画もTwitterにアップしていた。
 それからしばらくして『破滅』というキャラクターも追加。

 秋にいきなり姉と妹に大阪に連行されてしまったのは衝撃的だった。初めは関西の神社を巡るとか言われていて、なんと厳かなものだと思っていたがそれはまっさらな嘘で、普通に大阪をエンジョイした。
 自分はUSJに疎いので姉妹に案内を任せていた。だがしかし、姉も妹もUSJなんて慣れていないからてんやわんやで、とにかくインパクトのあるものをやろうということになりハリーポッターのアトラクションを昼と夕方の2回と、何かのジェットコースターにも乗ったし、初見殺しのマリオカートもやった。
 ふとお化け屋敷に行きたくなり姉妹に持ちかけたがどちらも怖がりで、結局一人で行くことになった。2箇所に行ったが、周囲の人々は誰かと一緒に怖がりながら及び腰で進んでいたのに自分は一人で誰にも気を遣わないので、目の前で何かが起きても無反応であっという間に出口まで進んでいた。側から見ればあれほど退屈な人間はいないだろう。自分も、本当ならば誰かと歩きたかった。無念。

 ああ、なんだかんだ人生楽しんでるな。自分。

 そしていよいよ何も無くなる。ここからは1ヶ月おきに見限ったはずの宮城の実家に帰ったり、1ヶ月東京に戻ってきて、また1ヶ月弱宮城に居るという滅茶苦茶な生活をしていた。
 宮城に帰っていたのも理由があって、今これを書いてる時点でもまだ住んでるのだが、前述の通りこのマンションは鉄筋コンクリート造だと謳いながら隣室との壁の作りがザルなのである。きっと最低限「鉄筋コンクリート造」という条件を満たしてあとは適当に建てられたのだろうこの詐欺マンションは。

 話が逸れてしまった。今はこのマンションの悪口を言いたいのではなく、前々から言っている通り、自分は宮城にまた帰るのだ。
 こんなに引越しをすることなど普通考えられないだろう。それがもう、1年に1回のペースで住む場所を転々としていて、自業自得ながらとても大変なのである。
 次の所は、まだ配信とかしていないから何も言えないけれど、自分が直接内見してきた感じでは音の問題は大丈夫。やはり仙台こそが自分の身の丈に合った地であったのだ。
 今後、もしも東京に住むことがあるとすれば、それはくあちるがお金持ちになった時だろう。だがきっとその時は訪れない。自分は、お金持ちにはなれない。

 わずか5.5畳の部屋から机と本棚を解体し、この空間がかつて見た本来の姿に還っていく様を見るのはなんとも侘しいものか。それでいながらようやくこの呪縛から解き放たれるのだという気持ちもある。今はもう、空っぽの冷蔵庫のコンセントも抜き、細かな清掃を施して寝具を処分するのみとなった。
 実家から仙台。仙台から仙台。仙台から千葉。千葉から東京。東京から仙台。仙台から実家。実家から東京。
 このように6度の引越しを経て、今回で7度目となる。そしてこれが4年間で起きているというのが何よりも自分の人間性が表れている。社会不適合。家族不適合。神経質。
 決して、これは神に誓って本当に、自分も家族もお金があるわけではない。こんなに引越しをしているのなら実はさぞお金持ちなのだろうと思われるだろうが、全くそんなことはない。自分はクズだ。22歳にもなってどこまでもわがままで身勝手で傲慢であり、そこまでしておきながら家族の脛を齧っているのだ。なので今の自分は、すべからく非難されるべきなのだ。害悪。

 とにもかくにも、こうして2度目の東京生活も終焉を迎えてしまった。こうなることは不本意だった。インターネットで配信をし続ける生活を送り、この地で普通の生活を手に入れることこそが本懐であったものを、たった一人のくだらない、心の狭い隣人という存在のせいで水泡に帰してしまい、このように自ら身を引く選択をし、自分は仙台へと再々度移り住むこととなったわけである。実に腹立たしいことこの上ないが、今回ばかりは何もかもが自責であるが故に自分を恨み呪うことしか許されない。
 しかしこの1年を無駄とは言うまい。最大の収穫といえば、今後東京なんぞに住む気が失せたというものだ。金持ち以外に碌な住居をも得る権利が無いこのくだらない地に、道楽以外の目的でどうしてしがみつく必要があろうか。東京とは金持ち以外にとっては毒だ。生きる活動、すなわち生活をするだけで困窮するのならばいい加減見切りをつけるべきなのだ。それに気がつくまでがあまりにも遅かった。だから所詮自分には不相応で身の丈に合わない。これで、長い夢もお終い。

 次こそ、自分は同じ轍を踏まない。こんな茶番こそをもうお終いにするべきなのである。さようなら。

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